2011年12月31日土曜日

言語という宝物

青年海外協力隊に参加する事で得られる事はたくさんある。
その中でもスペイン語を学んだ事は、私にとって一生の宝になると思っている。

高校を卒業して、家族に無理を言って、カナダで学ばせてもらった。
この時学んだ英語は、今とても役に立っている。

カナダから帰国し、日本で仕事を始めた時から英語とは疎遠になり、
話す機会も無くなり、そのまま消えかけていた。日本では、仕事が生活の
かなりの部分を占める。仕事で使わない物は、自分の中で生き続けるのは難しい。
趣味として大事にしていかない限り。

ボリビアに来てから、スペイン語生活が始まった。スペイン語を話す人たちとの
コミュニケーションは難しく、時には何も理解できないままの事もある。
私は感覚で言葉を覚える。テストには向かないが、より現地の人と同じ感覚で
生活するにはこの方がいいし、感情を含めて覚えた言葉は忘れにくい。
英語も8年程、会話する事から離れていたけれど、すぐに戻った。

2年という年月は新しい言語がだいぶ理解できるようになるのに丁度いい期間だと思う。
言葉を通じていろいろな事が見え始める。以前には見えなかった事も見える。
人との交流もスムーズになり、より深い意思疎通ができるようになる。

言葉を通じて様々な人に出会う。育ってきた環境が全く違う人たちと新たな
「泣き笑い」を経験する事ができる。これは人生に大きな刺激を与える。

個人的な意見ではあるが、日本で言語を学ぶことは難しい。試験のための
勉強ならできるが、会話となるとたどたどしい言葉を聞いてくれる人はいないので、
学校に通うしかない。学びに行くための時間を確保するのも難しく、授業料も高い。

ボリビアの人たちは、時間感覚が日本と違い、会話がたどたどしくても、
異国の人間と話す事自体を楽しんでくれるので、ストレスを感じる事は少ない。

言葉を通じて人と知り合え、新たな体験ができる。
スペイン語は確かに宝物として私に溶け込んでいる。

2011年12月30日金曜日

宗教観

ボリビアはキリスト教、ローマ・カトリックが主流。
仏教は見当たらない。

今の日本のどのぐらいの人が本当に宗教を信仰しているのだろうか。
宗教の教えなど忘れてしまうぐらい、普段の生活では触れない人が多いと思う。

日本では確固たる宗教を信仰していなくても、漠然とした信仰があり、
基本的な道徳はその漠然とした何かによって守られている。
私の周りの若い世代は、熱心に一つの宗教を信仰している人はいないが、
人間として善悪の分別はつくし、基本的にいい人たちだ。

しかしながら、冠婚葬祭などの儀式では、宗教の儀式を取り入れる。
人が死ねば坊さんを呼ぶし、お墓も立てる。昔から行われているので、
だれもが無意識に、違和感無く、従う。

結婚式などを見ると、既に宗教観は崩壊しているように思える。
教会でウェディングドレスを着るのが当たり前。人がこれがいい、
これがきれいだ、と思う欲望がそのまま反映される。

日本では宗教とはただの伝統で、人は今の世の中でより目の前に見えている
経済を宗教のように崇めているように思う。生きていくためにはお金を
中心とした考えにならなければならない仕組みになっている。

ボリビア人と話すと、宗教を深く信じる若い人はやはり減っているそうだ。
現代の波がそうさせているのだと思う。小さな頃から親に連れられて
教会に行ってるからその習慣が残って、今もたまに教会に行ったりする。
でも、日本人が習慣的に初詣に行くようなもので、特に深く考えているわけではない。

宗教が無くなる事は決して無いが、希薄化はこれからどんどん進んでいくだろう。
そしてより生活の中で重要だと思うものに意識が移行していく。

パチャママ(Pachamama)にビールを捧げながら。

2011年12月29日木曜日

ボリビア国家機関の年末休暇

去年も今年も変わらず年末は活動先にいる。
残り3ヶ月のうち1ヶ月ほど旅行に出てみたいところだが、まだ計画は白紙。

この活動先である国立統計院に来てから思うのは、国民的休日が少ない事。
日本のゴールデンウィーク、夏季休暇、年末のような1週間程度の休みが無い。
12月は26日が24日(クリスマス休日、土曜)の代わりに休みに、また1月は2日が
1日(新年休日、日曜)の代わりに休みになっただけで、その他は通常通り。

では長期休暇は無いのかというとそうではなく、有給を使うことになる。
統計院では年2回、2週間の連続した休暇を取る事が許されている。
これを年末と夏季(ボリビアでは乾季)に使う人が多い。日本のように
みんな一斉にではなく、一つの部署から人が居なくならないよう
ある程度時期がかぶらないようにする。学校の休暇も長いので、
それで上手く回ってるようだ。

現在の技術部の様子はというと、約1/3が休暇を取っており、入れ替わりで
1月半ばぐらいまではそんな状態が続く。

ボランティアの休暇は活動先が許せば無限に申請する事ができる。
実際、職員よりもかなり緩いと思う。未だ長期休暇は申請したことは
無いのだが、他の隊員の話を聞いたりするとそうだし、これまで
体調不良のための休みや歯科目的の早退などを申請すると、
あっさりと許可してもらえている。

この2年間でたぶん30日以上そういった関連で普通の日に休んでる。
来た当初は本当に酷かった。

去年の年末はガソリン値上げ問題でJICA事務所から自宅待機と命令され、
ラパスに同期を迎える予定が、1人で寂しく新年を祝う事になった。
今年は踊りのメンバーと過ごす予定で、ボリビア流を見ることができそう。

2011年12月27日火曜日

なぜ青年海外協力隊が叩かれるのか

現在派遣されているボランティアの数は3000人を超えるぐらい。
噂では一人にかかる予算は2年間で1000万円。ってことは1年500万。

3000人×500万=1500000万=150億

本当に単純計算で150億円。


財務省のページに予算関連が載っている

平成23年度 財政法第46条に基づく国民への財政報告
http://www.mof.go.jp/budget/report/46_report/fy2011/h23c.htm

財務省所管ODA予算
http://www.mof.go.jp/international_policy/economic_assistance/oda/oda_budget.html

これらによると、JICAの予算は1,457億円らしい。
JICAの一部である青年海外協力隊事業にかかる費用は約10分の1程度。

コンピュータのプログラムを書く時、実際によく使われる動作部は2割で
後の8割は使われない部分になる、と言われる。

JICA予算も同じで、とっても金がかかる事業は他にあるだろう。
しかしながら、そこが青年海外協力隊事業ほど叩かれる事はない。
他を削減すれば協力隊事業の150億ぐらい削減できるかもしれないのに。

では、なぜ協力隊が叩かれるのか。それはきっと叩きどころが分かりやすいから。
討論になれば必ず勝てるので議員は見た目がいい。受ける側も他の予算が
より多い事業に焦点を当てられず、規模の小さい予算の削減で済むから。
だと私は感じている。

最後に青年海外協力隊の総括調査表なるものがあったのでリンクを貼っておく。
http://www.mof.go.jp/budget/topics/budget_execution_audit/fy2010/sy220629/2206d_11.pdf

ちなみにODA全体の予算は5,727億円。
1兆円の頃もあったので、半分ぐらいまで減っている。
でもドル換算(120円の時期と今の80円を比較)するとそれほど変わってないのかもしれない。

ボリビアでは戦争を意識する事は無い

世界では今もなお戦争は起こり、火種は様々なところに潜んでいる。
戦争が起きている国は悲惨だ。人々はまるで存在価値が無のように扱われる。
人権など無い、あらゆる「やってはいけない」と教えられた事が行われる。

最近戦争に関する映画を見た。

El señor de la guerra (Lord of War)
ニコラス・ケイジが主演のソビエト連邦崩壊前後の武器密輸の話。

5 Dias de Guerra (5 Days of War)
グルジア紛争の話。

中東、旧ソ連、アフリカなどはいつも何かが起こっている。
鉱物、燃料など利権が絡む物が取れる国は多くの国がちょっかいを出してくる。
資源の無い国は誰も絡まず放置。

南米では、中米に近い場所を除き、戦争の火種というものは無いように感じる。
ボリビアが隣国、ペルー、ブラジル、チリ、アルゼンチン、パラグアイと
戦争が始まるようには思えない。昔の戦争の話はよく聞くが。

南米で一番貧しいと言われるボリビアだが、アルゼンチン、ブラジルに大量の
ガスを輸出し、今も鉛を中心に鉱物の輸出が盛んで、ウユニ塩湖には次期の収入の
中心となるであろうリチウムが大量に埋まっている。昔であれば、これらの資源を
狙い周辺各国が動く可能性もあるだろうが、現代ではもう戦争を仕掛ける
きっかけも無いだろう。

内紛も起こる雰囲気はない。政治色の強い国ではあるが、弾圧されるほどの事は無く、
国民は色々不満を言いながらも、それほど自分の生活が悪いとは感じていない。
時々、団体が道路いっぱいに居座って集会を行うこともあり、そういうったことで
フラストレーションを発散しているのだろう。もし、集会を弾圧すれば政権が
すぐに崩壊してしまうだろうというのは、これまでの様々な集会を見てきてわかった。
何か政府に対して言いたいことがある時、大規模な集会で訴える。これが確立されている。

戦争は人間がこうして生きるべき、というのを一時的に全て覆す。
戦争から返ってきた人間の多くは、現地での経験の後遺症に悩まされる。

ボリビアには今、戦争になりそうな事は見えない。

JICAボランティアは戦争が起きている国には派遣されない。
しかし、その隣国に派遣される事はありうる。もし、紛争が隣国に影響を及ぼす
可能性があれば、活動は難しいものになる。そういった心配がないボリビアは
ボランティアとして派遣される途上国の中では恵まれている方なのかもしれない。


2011年12月23日金曜日

ボリビアのクリスマスの変わった行事

活動先はラパスのメインスタジアムのすぐ側にある。
今日、職場へ行くとながーーーーい行列がスタジアムに向かってできていた。

この日は、貧しい家庭の子供たちにおもちゃを配るイベントの日だった。
スタジアムには2万人ほどの家族が入ったんじゃないかと思う。
おもちゃはだいたい人形とか20-30cmぐらいの車だとか、高くはないが、
安くもない感じの物が多い。

初めて見た時は、クリスマスってすごいな、と思ったものだ。

明日は24日。去年は職場の同僚の家にお呼ばれした。
今年は踊りの仲間の知り合いの家にお呼ばれする。
日本のそれとは大きな違い。

国立統計院で働く人たち (ちなみに国の機関ですよ)

国立統計院はボリビア全土の様々な分野における統計を扱っている。
全体で400人ほどがコアで働いている、ボリビアでは大きな機関である。
ある種のリサーチをする時は、大量のアルバイトを雇用する。

その機関のテクニコ、すなわち技術部に私は席を置いている。
そこで、ほぼ何でも屋的な事をやっていたのだが、今は何もしていない。
毎日来ては、自分の席でただ一日が過ぎるのを待つ日々が続いている。
残り丁度3ヶ月、どう行動していくのか、考えなければならない。

配属された当初、部署のトップが私のカウンターパートだった。
彼にこれまで仕事でしてきた事のリスト、履歴書の様な物を求められ、
それを元に私がここで何をするのかを決めるようだった。
初っ端から技術の移転などは求められておらず、一人の働き手として、
その部署で働く人の一人としての働きが求められるようだった。
そして、部署には素晴らしい才能を持った人たちがいた。

働き始めてから、ちょくちょく雇用や解雇の話を聞いていた。
技術部でなく、人事部やあちこちたくさんの部署で。
ボリビアではよくある事と聞かされていたが、その中に知り合いは
一人もいなかったので、あまりピンときていなかった。

ところが、今年始め、活動が始まってから8ヶ月が経ち、
カウンターパートが来なくなった。隣の席の同僚に聞くと「辞めた」と。
私は知らされていなかったが、辞める際は、2週間前ぐらいに言うらしい。
重要なポジションでなければ1日2日前でもいいらしい。

初めての知り合いの、しかもカウンターパートの退職。動揺した。
しかし、次にカウンターパートになったのは、私がとても優秀だと
感じていた同い年の同僚。人望、性格、能力すべて申し分なく、
部署のトップになるのではないかと思っていた。

そんな折、国立統計院のトップが変わり、それに伴った大量退職が始まった。
トップが変わると、各部署のトップもほぼ入れ替わるらしい。
まるで野球の監督が変わったらコーチも総入れ替えのような感じ。
前のカウンターパートはきっとそれを予期していて、先に辞めたのだろう。

約9ヶ月間、技術部のトップは不在だった。上層部が決められなかったから。
カウンターパートが適任だと誰もが思っており、本人もやる気はあったようだが、
最後までトップ代理だった。

カウンターパートは10月に辞めた。部署トップにはなれないと悟ったのだろう。
他の同僚が新たなカウンターパートとなったが、既にカウンターパートとして
機能はしておらず、ただの同僚だった。

統計院のトップが変わってからたくさん辞め、たくさん雇用された。

そして、11月終わり、部署に新たなトップがやってきた。そして再び、
履歴書のような物の提出を求められた。仕切り直し、らしい。
しかし、小さな仕事以外の、具体的な長期プランの仕事の申し入れはなく、
現在まで至る。12月は様子見のような時期なのか、もう何も無いのか。

ついこの間までアルバイトで3ヶ月ほど雇われていた2人がいた。
おもに雑用係で、PCの掃除などをやっていた。通常ならフルで使われるのだが、
例えば他の部署が忙しくて掃除をさせてもらえなかったら、一日中PCの前で
座っているだけで終わっていた。時間を潰すだけ。そんな折り合いの
つかない日が多分1/3はあったと思う。

長年働いている人もそれなりにいる。20年、30年同じように働いている人。
それらの人は部署のトップにはなれない。それもと、トップに
なりたくない人が残っているのだろうか。

なんだかとんでもない物を見せられてる気がする。
そしてそれでも何とかなるのだと。
少なくともこれまでは。

2011年12月22日木曜日

翻訳 (福島の中心は解体に40年かかる)

El Diario

http://www.eldiario.net/noticias/2011/2011_12/nt111222/0_06ptd.php

Central Fukushima sería desmantelada en 40 años

desmantelada 解体される

福島の中心は解体に40年かかる

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日本政府は昨日、福島原子力発電所(北西)の施設の状態は劣悪で、解体に最大40年かかるとするロードマップを発表した。

3月11日の地震と津波によって影響を受けた原子力発電所の燃料の除去は2年以内に開始され、それまでの間は原子炉とプールの冷却を強化すると、この作業プログラムの管理者は述べた。

El Gobierno de Japón presentó ayer una hoja de ruta para la central nuclear de Fukushima (noroeste) en la que explica que el desmantelamiento de la planta se hará en varias etapas que tardarían hasta 40 años, por el mal estado de las instalaciones.

una hoja de ruta ロードマップ
varias etapas 複数のステップ

La retirada de combustible de la planta nuclear, afectada por el terremoto y tsunami el pasado 11 de marzo, se iniciará dentro de unos dos años, mientras tanto se reforzarán los sistemas de enfriamiento para reactores y piscinas, según el programa de trabajo presentado por el Ejecutivo nipón.

La retirada 撤退、除去
combustible 燃料
enfriamiento 冷却
reactores 原子炉

2011年12月20日火曜日

協力隊は現職参加がお勧め

協力隊隊員の中で大きな違い、それは現職参加であるかどうか。

活動期間が残り3ヶ月ほどになると、多くの隊員は帰国後の事を心配し始める。
日本に帰ってからの生活について、主に進路について。協力隊OBの就職先が
あまり無く、帰国後フリーターや引きこもりになるケースがよくあると聞く。

帰国後直ぐの行動は人によって違い、国内積立金が200万近く貯まっていることから、
数ヶ月ゆっくりする事を選んだり、積立金が少しでも目減りするのを嫌い、
次の日から就職活動したりする。私の場合は、旅をするか、きっと後者になる。
36歳で貯金200万じゃ。。。ね。早く支える人でも見つけないと、だらだら(生)行きそう。。。

こういった煩わしい心配をしなくていいのが現職参加。帰国後の進路は元の会社や学校。
任国に居る間、多少の会社への配慮が必要になるだろうが、戻る場所がある安心感は最強。
まぁ、任国での活動で、新たにやりたい事が見つかってしまった人には、相当の足かせの
制度になってしまうが、そんなことはほとんど無いと思う。

JICAとしても大量の帰国隊員を相手に、再就職の斡旋を行わずに済むのでありがたい。

正直、現職参加制度に応じてくれる民間の会社は従業員数100人以上だろう。
多くは1000人以上の大所帯の所じゃないだろうか。なぜなら、従業員数10人の
会社が25-35のバリバリの働き手をおいそれと2年も出せるはずが無いから。
「社会貢献」という名目が掲げられる余裕がある所だけ。

日本人はまじめだから、会社に迷惑をかけたくないと、現職参加を
許してくれるような会社を辞めてきたりする事もある。自分にプレッシャーを
かけておきないのだろうけど、私からするともったいない。

回りの現職参加の皆様は、やはり私などの無職参加と違って、
目の前の事に集中できている気がする。活動に、旅行に、趣味に、
帰国間近でもどんどんやれている。

進路が決まっていないと、いろいろな可能性を見てしまう。
何ができるか。これまでと同じような仕事を探すのか、それともここで得た
経験を基に他の可能性を探るのか。何の目的で探すのか、生きがい?お金?

途上国に生きると、益々お金のために生きる事に違和感を感じるようになる。
高給取り?魅力的?なんだかなぁ。

私は2007年9月にIT関係の仕事を辞めて、いろいろと可能性を探ってきた。
しかしながら、どうしてもこれがしたいという他の業種は見つかっていない。
日本に戻る頃には、IT業界から離れて4年半になる。年齢も考慮して、
たぶん、雇用してもらえるギリギリの境界線になるだろう。
独立してやっていくにも、ギリギリだと思う。

んー、悩みは尽きない。


2011年12月19日月曜日

翻訳 (障害者たちは、ラパスへの行進の再会を期待する)

Los Tiempos

http://www.lostiempos.com/diario/actualidad/nacional/20111216/discapacitados-preven-reanudar-esta-jornada-marcha-hacia-la_153596_319393.html

Discapacitados prevén reanudar esta jornada marcha hacia La Paz

Discapacitados 障害者
prevén 予想する、期待する
reanudar 再開する

障害者たちは、ラパスへの行進の再会を期待する

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障害者のリーダー、Juan José Vera は金曜、3000ボリビアーノス(約430ドル)の年間障害者手当を求めるラパスへの行進を再会する準備ができていると述べた。

Vera は Bolivisión(テレビ局) に、この圧力は今後、政府の拒否を要求の受け入れへと急進されることになる、と話した。

リーダは、セクターが要求している手当は障害のため働けない人だけに対してであるとした。「私は手当は必要ないが、仲間の多くは必要としている」と続けた。

しかしながら、TVB(テレビ局)によると、la ministra de Transparencia (透明大臣?業務を透明化する省だと思われる)の Nardy SuxoNardy Suxo は、これらの人々は政治目的に使われていると非難した。

また、エボ・モラレス大統領やアルバロ・ガルシア副大統領の各自が言うように、障碍者手当てに予算を割り当てるのは不可能であり、それは他のセクターから予算を引くことを意味する。

しかし、モラレスはセクターコーディネーターたちに対し、延期された選挙の党の補助金である4000万ボリビアーノスを基にプロジェクトベースで作業するよう指示を出した。

El dirigente de las personas con discapacidad, Juan José Vera, informó el viernes que durante esta jornada tienen previsto reanudar la marcha con dirección a la ciudad de La Paz, en demanda del pago de un bono de 3.000 bolivianos.

Vera, en contacto con Bolivisión, manifestó que las medidas de presión se irán radicalizando en los siguientes días, ante la negativa del Gobierno de acceder a su petición.

radicalizando 急進する
petición 要求する

El dirigente aclaró que el bono que demanda su sector sólo está destinado a aquellas personas que por su incapacidad física no pueden trabajar. "Yo no necesito el bono, pero muchos de mis compañeros sí", dijo.

Sin embargo, la ministra de Transparencia, Nardy Suxo, según TVB, denunció que este grupo de personas está siendo "utilizado" por sus dirigentes con fines políticos.

denunció 非難した、通知した

Asimismo, tanto el presidente Evo Morales como el vicepresidente Álvaro García, afirmaron, por separado, que es imposible disponer de recursos económicos para asumir el pago de dicho bono, pues esto significaría restar ingresos a otros sectores.

restar 引く

Empero, Morales, pidió al sector organizarse en una coordinadora para trabajar conjuntamente en proyectos que los beneficien con una base económica de 40 millones de bolivianos, provenientes de la subvención a partidos políticos en época electoral que quedó suspendida.

Empero しかし、しかしながら

青年海外協力隊で虫歯になったら (3)

虫歯の治療が完了しました。

虫歯って本当に嫌ですねぇ。細胞器官と違い治癒する事が無いので、
虫歯になった場所は近代的な歯に見える材料で穴埋めしていく。
綺麗なものでパッと見では一度削った歯とは判断つかない仕上がり。
まるで口の中でリフォームが行われているよう。

歯のレントゲンを取ると、自分の口の中は偽りで、作られた
パーツばかりなのだと思い知らされる。

今回、虫歯と判断され治療された箇所が11箇所。そのうち3箇所が
深刻だった。差し歯になる事は免れたが、それも遠い未来ではないかも。
歯茎の位置も退化してきているらしい。まだ歯はグラついていないが、
手入れを怠ると、歯が抜けるよ、と脅しをかけられた。

かかったお金は「8497,70」ボリビアーノス。
ドル換算レート、1ドル=6.90ボリで計算すると、「1231.55」ドル。
円換算レート、1ドル=78円で計算すると、「96061」円。

保険が利く10万円ギリギリで収まった感じ。
あと1箇所虫歯があればアウトだったかも。

治療中の医療費は自分で払う必要があり、お金が返ってくるのは
治療を終えて、提出に必要なドキュメントと領収書を提出してから。
元々、それなりにお金は準備していたけれども、かなりギリギリの
状態で、今は金欠。全財産1400円ぐらい。食事の誘いに気軽に返事できない。

「日本人は歯並びが悪いので、3ヶ月に1度は歯医者で検査してもらうのがいいですね。」
と日本で学んだ事のある先生に言われました。

皆さまも歯はお大事に。

2011年12月15日木曜日

翻訳 (日本人ボランティアが若者を鍛える)

El Diario

http://www.eldiario.net/noticias/2011/2011_12/nt111214/5_14nal.php


Voluntarios japoneses capacitan a jóvenes

日本人ボランティアが若者を鍛える

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プログラムの責任者である Yasuhiro Denis によると、日本人ボランティアが、健康、教育、環境問題、そして農業や文化の発展などを若者と教師に教えている。

国際協力機構(JICA)から、ラパスで13人のボランティアが複数の組織で働き、ボリビア全体で56人いる。

若者や先生に寄与する事で、その技術をさらに知り合いにへと広げることができる。

「ボランティアたちは高い技術を伝授する、そのため彼らは都市で働いているのです。」と Sano は言う。

職業訓練校 「アヤクチョ」

これらのボランティアの活動を知るため EL DIARIO は職業訓練校アヤクチョへ行き、どのように新しい技術の伝授やラパスの文化の共有がなされているかを見てきた。

訓練校の José Apala 学長はボランティアたちが提供するコースは工業機械に基づいたものやデータアナリシスと関連しており、非常に重要である、と述べた。

「若者や先生へのトレーニングは一つの効果的な発展であり、例えば、トレーニングの中で、雇用保障のメカニズムを知ることはとても重要な事である」と続けた。(意味がよく理解できず。。。)

そして、先生たちは経験から、熟練した技術者から指導を受ける事の重要さを語った。


Voluntarios del Japón enseñan a jóvenes y docentes sobre temáticas de salud, educación, medio ambiente, e imparten capacitación técnica en agricultura y desarrollo cultural, según dijo el responsable del Programa, Yasuhiro Denis.

La Agencia de Cooperación Internacional del Japón (JICA), viene trabajando en el departamento de La Paz con 13 voluntarios en diferentes instituciones y 56 de estos también se encuentran en todo Bolivia.

Esto con el fin de coadyuvar con conocimientos a jóvenes y docentes para que estos puedan trasmitirlos a sus conocidos.

“Los voluntarios trabajan para capacitar a todas las personas a nivel técnico, es por esta razón que estos están trabajando en la ciudad”, dijo Sano.

INSTITUTO TÉCNICO “AYACUCHO”

Para observar el trabajo de estos voluntarios EL DIARIO pudo evidenciar en el lugar como se desenvuelven estos enseñando nuevas técnicas y compartiendo las costumbres de los paceños, en el instituto tecnológico Ayacucho.

Por su parte el licenciado José Apala rector de esta institución, señaló que los cursos que brindan estos voluntarios es de vital importancia ya que estos apoyan mucho en las materias de mecánica industrial y análisis de sistemas.

“las capacitaciones a jóvenes y docentes son un paso al desarrollo productivo, en las capacitaciones es muy importante conocer todos los mecanismos de seguridad que emplean por ejemplo”, dijo.

Por otro lado, los docentes comentaron sus experiencias y reconocieron que es muy importante recibir instrucción de personas tan capacitadas.

2011年12月14日水曜日

翻訳 (エルアルトにて、4日間で3人が首絞め強盗に殺された)

Página Siete

http://www.paginasiete.bo/2011-12-14/Nacional/Destacados/37Seg00114-01.aspx

En El Alto cogoteros matan a tres personas en cuatro días

エルアルトにて、4日間で3人が首絞め強盗に殺された。(直訳なら「首絞め強盗が3人を殺した」なんでしょうけど、日本の新聞だったら殺された方が主語になりますよね?)

Los investigadores aún no dan con los autores
Las víctimas aparecieron en terrenos baldíos. La Policía no descarta que se trate de una misma banda.

捜査班はまだ犯人の特定していない。
犠牲者は空き地で見つかる。警察は同一グループの犯行とみている。

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警察は昨日、エルアルトで首絞め強盗グループの被害者とみられる25歳の男性の死体を発見した。

警察に発見された首絞めにあった痕跡が残る死体は、週末から数えて、これで3件目のケースとなる。月曜に76歳の女性と25-30歳ほどの若い男性が被害にあっている。

エルアルト地区の特別警察(直訳で「犯罪と闘う当局スペシャルフォース」)(FELCC)は公式コメントとして、首に血のスジがある男性遺体を運ぶため、殺人課と検察がエルアルトのParcopataに設置された。遺体は空き地で見つかったと補完した。

続きは各自で。

La Policía de El Alto halló ayer el cadáver de un joven de 25 años que supuestamente fue víctima de una banda de cogoteros.

Este es el tercer caso, desde el fin de semana, de personas fallecidas que fueron halladas por la Pólicía con signos de haber sido cogoteadas. El lunes fueron una mujer de 76 años y otro joven, entre 25 y 30 años.

Autoridades de la Fuerza Especial de Lucha Contra el Crimen (FELCC) de la urbe alteña informaron oficialmente que personal de homicidios y del laboratorio técnico científico se constituyeron en la localidad de Parcopata, aledaña a El Alto, para proceder al levantamiento legal de un cadáver de sexo masculino, que presentaba un surco equimótico en la región del cuello. El informe complementó que el cuerpo sin vida se encontraba en un terreno baldío.

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Hasta ayer, la persona que se encuentra en la morgue del Hospital de Clínicas no había sido identificada por sus familiares.

El primer hallazgo se produjo en la zona San Luis Pampa, donde policías de la división Homicidios hicieron el levantamiento del cadáver de una comerciante de 76 años de edad, a la que sus agresores golpearon antes de asesinarla sin compasión.

La víctima fue identificada por sus familiares, quienes aseguraron que no tenía ningún enemigo, ni persona con la que tenía algún problema.

El segundo caso se registró poco después, en la zona Villa Bolívar Municipal, donde en otro terreno baldío los policías encontraron el cuerpo del joven.

Esta víctima tenía características similares a la señora, con un surco equimótico en el cuello.

Los tres casos se encuentran en estado de investigación. La Policía realiza un intenso rastrillaje, no se descarta que podría tratarse de la misma banda.

Anunciaron ayer que las indagaciones están adelantadas y que se sigue de cerca la pista de los autores, sin embargo, los avances se mantienen en reserva para no alertar a los delincuentes. Por la tarde, otro grupo de delincuentes ingresaron a un domicilio y se llevaron 30.000 dólares y 3.000 bolivianos.

翻訳 (極度の貧困がボリビアでは存続する)

El Diario

http://www.eldiario.net/noticias/2011/2011_12/nt111214/0_01ptd.php

En Bolivia persiste la extrema pobreza

極度の貧困がボリビアでは存続する

• Yoriko Yasukawa sostiene que se debe impulsar el desarrollo humano, junto a la equidad y protección del medio ambiente.

Yoriko Yasukawa は公正、環境保護と共に人間開発が促進されなければならないと訴えかける。

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ボリビアは未だ高く推移している貧困の指数を下げなければならない。人間開発の報告書によると、520万人が劣悪な環境に住み、270万人が極貧の状態で生きている。さらに、教育や環境保護に関しても改善を示唆している。

国連常駐コーディネーターであり、PNUDボリビアの常駐代表である Yoriko Yasukawa は政府当局に対しこの比率を改善するため、ドキュメントに示された国内各所の人間開発の例を取ることを勧めた。

また、4分の1が小学校を終えず、2分の1が高校を卒業せず、そして1万4千人が1歳の誕生日を迎えずに死亡しているとした。


Bolivia debe bajar los índices de pobreza que aún se encuentran muy altos, ya que 5.2 millones de personas viven en mala situación y 2.7 millones viven en ese estado de manera extrema, según revela el informe sobre Desarrollo Humano, que además sugiere mejoras en cuanto a la educación y la protección al medio ambiente.

La Coordinadora Residente de las Naciones Unidas y representante residente del PNUD en Bolivia, Yoriko Yasukawa, recomendó a las autoridades gubernamentales tomar el ejemplo de desarrollo humano de países de la región con la finalidad de mejorar los índices que se presentan en el mencionado documento.

Asimismo, sostiene que casi la cuarta parte de los niños y niñas no termina la primaria, la mitad no termina la secundaria y casi 14 mil mueren anualmente antes de cumplir un año.

翻訳 (2012年の国勢調査は携帯と健康保険の所持を質問)

Página Siete

http://www.paginasiete.bo/2011-12-14/Sociedad/Destacados/34soc01-141211.aspx

Censo 2012 consultará tenencia de celular y de seguro de salud

2012年の国勢調査は携帯と健康保険の所持を質問

Se incluyeron siete nuevas preguntas con relación a 2001
La propuesta censal consta de 62 preguntas; en 2001 fueron 55. El tiempo para empadronar será de 20 a 30 minutos por familia, según cálculos del INE.

empadronar 国勢調査を書く

2001年の時と比べ7つの新しい質問が含まれる
国勢調査は62の質問で構成されている:2001年は55。INEの計算によると、国勢調査に回答する時間は1家族につき20分から30分になる。

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2012年の人口と住宅の国勢調査票の質問には2001年のものから7つの新しい質問が含まれた物が使用される。調査されるのは、例えば、携帯を所持しているか、健康保険に参加しているか、などなど。

政府と国立統計院の関係者は新たな質問は必要ないとしたが、前回の調査を指揮したex-INEの代表のLuis Pereiraは7つの新たな質問を調査票に含めた。(翻訳に自信無し)

Pereira は昨日、政府関係者と共にPlazaホテルで開かれた2012年の国勢調査のワークショップに参加した。

Pereira によれば、新たな質問はより緻密で様々な分野の助けになる。:生年月日;身分証明の所持;RUN又はRIN;何らかの健康保険に入っているか;信仰宗教又は魂を信じるか;職場の場所;自信の最後の子供はまだ生きているか;携帯電話を所持しているか。

続きはご自身で。


En la boleta de preguntas que se empleará en el Censo de Población y Vivienda de 2012 se incluyó siete nuevas consultas con relación a la de 2001. Se indagará, por ejemplo, si la persona posee un teléfono celular y si cuenta con un seguro de salud, entre otros.

se empleará 使用される
la boleta 投票
Se indagará 調査する
posee 持つ

No obstante de que funcionarios de Gobierno y del Instituto Nacional de Estadística (INE) no precisaron qué nuevas consultas se harán, el ex director del INE Luis Pereira, quien dirigió el proceso censal de 2001, observó siete nuevas preguntas en la propuesta de boleta.

funcionarios de Gobierno 政府関係者
No obstante ~にもかかわらず、~しかしながら
precisaron 指摘した

Pereira participó ayer del taller La ruta del Censo 2012, realizado en el hotel Plaza, con representantes del Gobierno y de varias organizaciones.

De acuerdo con Pereira, las nuevas preguntas son más precisas y consultan sobre diferentes ámbitos: cuál es la fecha de su nacimiento; si tiene cédula de identidad, RUN o RIN; si está registrado en algún seguro de salud; cuál es su religión o creencia espiritual; en qué municipio se encuentra el establecimiento donde trabaja; si su último hijo nacido sigue vivo, y si dispone de un teléfono celular.

cédula ドキュメントの


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Asimismo, explicó que algunas preguntas se disgregaron de otras que se hicieron en 2001, a fin de contar con más precisión en la información que se desea obtener. Así, por ejemplo, la consulta sobre migración no era muy precisa en el anterior proceso censal y ahora se la plantea de manera específica.

El responsable de cartografía del INE, Eduardo Aguirre, dijo que el Censo 2012 contabilizará el número de emigrantes bolivianos y los países en los que actualmente viven.

“El acápite de la emigración internacional se está incluyendo en las preguntas; no tenían cabida en el anterior censo (2001). Antes había migraciones internas, pero no externas como las hay ahora y esto se está tratando de medir”, dijo Aguirre a ABI.

Bolivia no dispone de estadísticas confiables que permitan dimensionar la magnitud de la emigración, aunque se calcula que unos dos millones de bolivianos viven fuera del país, principalmente en Argentina, España, Estados Unidos y Brasil.

La propuesta de boleta censal presentada ayer tiene 62 preguntas, las cuales están en proceso de socialización para ser mejoradas, por lo cual el número de éstas podría variar. En el Censo de 2001 se tenía 55 consultas, precisó el ex director del INE.

El INE organizó un cronograma de talleres a escala nacional para socializar y concertar las preguntas que incluirá la boleta del nuevo proceso censal, que se prevé realizar en el segundo semestre del próximo año.

De acuerdo con Aguirre, 217 mil personas trabajarán como empadronadores en el Censo 2012. Entre ellos estarán estudiantes de último año de secundaria de todos los colegios de Bolivia. Se estima que el tiempo de consulta por familia será de entre 20 a 30 minutos, y cada uno de los encuestadores deberá visitar 18 viviendas.

2011年12月3日土曜日

安全対策連絡協議会で大暴れ(でもないか)

安全対策連絡協議会というものがあります。年に2回。
80カ国、全ての国で共通なのかはわかりません。

この協議会はボランティア、調整員、専門家など、JICAに関連して
やってきている全ての人が出席を義務付けられています。

国土の広いボリビアでは、隊員同士が集う絶好の機会であり、
同時に分科会や隊員総会なども行われます。

協議会は、主に犯罪について取り扱われるため、とても緊張感のある
雰囲気の中で進められます。

ボリビアでは毎年何人かが犯罪被害に遭います。そのため、いつも
実例を持って注意喚起が行われます。ボリビアで多いのは窃盗被害。
お金以外の目的で行われる犯罪はあまり多くありません。

通常ならば、JICA事務所が用意したプログラムを3時間ほどかけて行い、
参加者は話を聞いて終わりなのですが、今回ボリビア全土で噂となっていた
今年はじめに起きた事件について、見解を聞いてみました。

事前に質問する内容を伝えていたので、答えは用意していただいていたみたいで、
「規定に沿った対応をしており、改正する必要は全く無く、
同じような事件が起こったとしても、同様の対応をする」との事でした。

途中に、「犯罪があった、という事を誰が決めるんですかね?」という
所長の言葉には少し落胆させられました。これは、加害者と被害者の言い分が
異なる場合に、その真実を求めるのは難しく、被害者だけの言葉を聴いて、
処分を行うわけには行かない、という事なのだと思います。
ただ、これは同時に、JICA内だけで問題を話し合った場合、
「加害者が否認すれば、犯罪は無かった事、またはグレーのまま終わり、
それ以上は何もしませんよ」と同義になるからです。

そして、白か黒かはっきりさせるには、地元の警察を呼び、地元で裁判を
行う必要があるという事になります。そうすれば、「犯罪があった」かどうか
決めてくれる人がいるでしょうから。

将来、調整員に応募する事も考えているのですが、本来の隊員に対する
活動のサポートよりも、倫理に関する問題の対応が一番難しいのかもしれません。

2011年11月28日月曜日

混血の無い国

日本で日本人を捕まえて血のルーツを聞けば、そのほとんどは日本国内だろう。

アメリカ人は移民がほとんどで、ルーツがわからない人もいる。あと200年もすれば、
マルチカルチャーが進み、更なる混血の国となっているだろう。
カナダやオーストラリアも似たようなものだろう。ヨーロッパも途上国からの
移民などで純血はどんどん減っていると思われる。

南米も侵略の歴史ありで、ヨーロッパから、たくさんの人が流れ込んでいる。
しかし、侵略から何百年も経っているのにここボリビアではインディヘナの純血が
今もまだ65%を越えているそうだ。

日本人には純血率が高い事を誇りに思っている人もいるだろう。日本人とは何か、
その文化を現し、唯一の保有者と感じられるからだと思う。ボリビア人からは純血に対し
それほど強い誇りはまだ感じられないが、根底には同じような感情が存在するのではないか。

確固たるインディヘナという混ざり気の無い人種が形成しているこの町に暮らすのは、
自分が何者であるのかという事を強く感じさせてくれる。こういった感情は、
混血の進んだ、人種的な壁が無くなりつつあるアメリカやカナダでは起こらなかった。

世界ってのは広い。
自分の知らない事が世界中にある。
たくさんの経験をさせてくれる協力隊に感謝。

2011年11月22日火曜日

青年海外協力隊で虫歯になったら (2)

16日に初診をしてもらってから、21日にさし歯にGOサインが出た。

日本の医師に確認するのは結局、治療が行き過ぎでない妥当なものかどうかを
チェックしてくれる、ボランティアを守るための制度なのだが、
どのような治療をするかは全て当人に任せられる。だから本当は、
当人が良いといえば直ぐに治療を開始することもできるのだ。

しかし、保険の事や任地の医療レベルを考えるとやはり日本の医師に
一度診断書を見てもらってアドバイスをもらうのがベストだと思う。
治療はたくさんしたほうが儲かるから、あまり悪くない歯まで何か
理由をつけて削られる可能性も・・・(そこまではないか?)

協力隊で虫歯になった際の利点は、まずは10万円までの治療費が保証されるということ。
日本で3割負担、3万円の治療分と考えると、けっこう上限が高い。
歯科にかかることになっても十分な治療が受けられることになると思う。

他の利点は、やはり時間だろう。日本で仕事を抱えている時は、
歯科に通うためのスケジュール管理がかなり大変だった。
ここでは、ある隊員は一日4時間だけの勤務だったり、学校が2ヶ月休みになったりと、
時間がたっぷりある事が多い。私にしても、8:30-12:30, 14:30-18:30が
勤務時間だが半休をお願いすればすぐに許可をもらえる。
仕事の時間に縛られず歯科に通うことができるのは大きい。
また、歯科が無い地方隊員にしても、治療が必要となれば、
JICAの命令で上京し治療が終わるまで待機する事ができる。
この場合、活動に大きな影響が出るかもしれないが。。。

明日から本格的に治療を開始することになる。
活動先には2週間ほどは治療のためいない時間が多くなると言ってある。
特に問題ないとの事。

しかし。。。 お菓子の食べすぎには気をつけないと。。。
ここ2ヶ月ほどチョコレートを常に食べていたのがきっと原因。

2011年11月16日水曜日

青年海外協力隊で虫歯になったら

日本を出る前に、2週間毎日歯科に通い歯の全てを治してきた。

日本を出発して1年と8ヶ月、1週間前に奥歯が痛みだす。。。 突然。。。
歯の中で何かが起きてしまった様子。。。

痛み出して2日後、11月9日に健康管理員に相談すると、とりあえず歯科で
みてもらうようアドバイスを受ける。日本語が話せる2歯科ともう1件の
3歯科を紹介してもらう。場所は皆、上流階級住居地域と言われるソナスール。
自分の活動先から30分ほど崖を下った場所。

その中で Dr. Marcelo Cortez と言う方を選び、16日に予約を入れて
見てもらってきた。その結果。。。 caries muy grave(酷い虫歯だね)と
聞かされ、これから治療を行うことに。

JICAによると、歯の治療には年間あたり10万円の保健が出るそうで、
それを超える治療は自費で行うことになる。また、見た目を良くする
ような治療には保健が出ないと教えてもらった。
例えば、ホワイトニングや歯並びの矯正など。

虫歯はもう普通の治療は無理そうで、「差し歯」と「インプラント」と
どちらがいいか選ぶように言われた。いきなり歯を放棄しなければならない
現実を突きつけられ、動揺。。。

。。。

たった今、健康管理員から電話があり、「インプラント」や「差し歯」などの
大きな治療を行う際には、「先生の診断書」と「レントゲン」と「インプラントと
差し歯のどちらで治療するのかという、ボランティアの意思」の3点を持って
日本の担当医師に相談する必要があると言われる。

酷い虫歯だと聞いてから、早く治療を始めたいという気持ちに変わったが、
あまりにも酷い虫歯のため、JICAからストップがかかり、日本の医師に
確認するまでは治療しちゃダメと言われる。ああ、歯は痛み出したら末期。
年に一度の健康診断に歯科診断も入れてみた方が良いんじゃないかと思った
今日この頃。

本格的な治療は来週からかなぁ。
本日、11月16日。

2011年11月14日月曜日

日本人ボランティアの最大のネック (2)

日本人ボランティア最大のネックは言語だと以前書いた。

日本人ボランティアの最大のネック

言葉に苦しむ隊員は多い。途上国と言えど、ある程度の組織力があるところにしか、
青年海外協力隊のボランティアは派遣されない。隊員のカウンターパートになる人
というのは、ある程度の学歴があり、仕事がある程度できる。その国のやり方や、
習慣が日本とは大きく異なり、組織全体としてうまく機能していない事はあるが、
個人能力の高い人が一緒に働く事は多い。知識がカウンターパートと比べて
物凄く低ければ、既に必要とされなくなる事もある。そんな中で、言語すらできない
というのは致命的となりうる。

机と椅子をもらって、ただのお客さんとして2年間過ごす隊員もいる。

役に立たないというのは、ボランティアとして参加した人間にとってはとても
苦痛なことで、その存在意義が守れなくなってしまう。なんとか「自分はここにいる!」
と訴えるのだが、耐えられなくなれば「どうせ俺なんかいなくても」という考えから、
活動先に行かなくなり、何か他に生きがいを見つけたり、趣味や旅行で残りの時間を過ごす。

そんな状態の彼らにJICAが注意する事もない。活動先がJICAにクレームを
入れない限りは、そういった問題が明るみに出ることはなく、放置され続ける。
よほどの事がないかぎり、活動先が隊員の事に口出しをすることもなく、
双方の歩み寄りがないままとなる。

中には、専門分野の能力は高いのに、会話がまともにできないために
同じような状況にハマってしまう人がいる。

隊員として派遣されて半年ぐらいは、どれだけ現地の言語が使えなくても、
だいたい理解を示してくれる。しかし、半年を過ぎれば周りの目は厳しくなる。
ジェスチャーなどでどうにかできるレベルの仕事ではないのである。
現地人とちゃんとコミュニケーションができないボランティアはどれだけ専門分野の
知識が高かろうと、ただの仕事のできない人間に見えてしまう。

仕事上の話だけでなく、きちんと人間としての付き合いができていれば、
そこら辺は問題になりようも無いのだが、「プライベートは別」とボランティアが区切りを
つけてしまえば、あとは職場で力を証明するしかない。しかしながら、そんな
限られた中で自分を分かってもらうには、やはり言葉は必須となる。

語学は大きく分けて2つの能力に分けられる。コミュニケーション能力と言語能力。
文法をきちんとマスターしていなくても、その国の人間にどっぷり浸かっていれば、
コミュニケーションは取れる。逆にコミュニケーション能力が低くて、会話が
成り立たなくても、言語能力が高ければ、図表、レポートなどでやり取りができる。

どちらの能力も低い場合に、ボランティアの悲劇は生まれる。
更に仕事の能力も低ければ・・・

言語というのはマラソンに似ており、毎日勉強していれば伸びていく。
毎日、現地人と会話をしていれば、会話ができるようになる。
得手不得手はあるが、誰でもいつかは話せるようになるのだ。

余りにも地道な作業なため、続かない人もいる。
でも、日本に帰る頃に笑顔になれるのは、やはり現地にどっぷり浸かったボランティアなんだろうと思う。

2011年11月7日月曜日

11月2日 死者の日 ( Día de Muertos )

Día de Muertosは日本のお盆に当たる行事。死者の霊が帰ってきます。

死者の日(wikipedia)

去年は町で一番大きな墓地へ行き、その雰囲気を味わってきましたが、
今年は最近私をイベントによく呼んでくれるボリビアの家族と共に過ごした。

彼らが言うには、このイベントはオルロが一番盛り上がり、ラパスやポトシでも
同じ習慣があるとの事。そして、サンタクルスやコチャバンバやタリハでは
この行事はやっていないそう。

家族の誰かが亡くなると、3年間、この日に親戚を集めて故人を思い出すそう。
最初の2年間は音楽は無く静かに、みんなで雑談をするだけのようだが、
3年目はガンガンに音楽をかけて、踊りまくってお祭り騒ぎをするらしい。
4年目からは何もしないそう。

私が懇意にしている家族の親族に去年亡くなった人がいて、今年は2回目の
死者の日を迎えていた。親戚がたくさん集まってくる。いっぱい自己紹介を
されるのだが、名前と親族の関係図はどうしても1度では覚えられない。
ボリビアは基本的に大ファミリー。

今の日本では仕出し屋があるので通常1食3000円から5000円の料理を注文して、
来てくれた親戚に振舞うのだろうが、ここにはそんなサービスは無く、
親戚の女性が集まって役割分担しながら料理をつくる。昭和初期の日本も、
たぶんそれが普通だったのではないかと思う。今は、見栄えの事もあるし、
仕出しの方が楽で安心できる。

こういうイベントではお酒がつきもの。今回もまた自分の限界にチャレンジする事に。


祭壇?死者を迎える飾り

主にパンで飾りつけ。それぞれのパンには意味があるそう。

法律に反しているのか、いないのか、94%のアルコール。日本でも買えるのかな?

上のアルコールをシナモンのお茶で割った飲み物。カイマンと呼ぶそう。

飲むサイズはこのサイズ。悪酔いするらしい。(じゃぁ、飲むなよって。)

キッチン。これは前夜で羊肉で何か作ってる様子。

名称は忘れた。パスタ、ジャガイモ、羊肉!

親戚。左のおばちゃんかわいい。

この国で、親戚の集まりがある時、赤ちゃんを見ないことは無い。

ボリビア人の赤ちゃんは無条件にかわいい。めっちゃかわいい。

ある種の防御本能なんだろうかというぐらいかわいい。

当日、お昼を作ってる様子。

お米をまず炒めて、にんにく混ぜて、ニンジン混ぜて、そして炊く。

お肉は骨の部分を斧で砕く!ちなみにリャマ肉

まるで大工さんのように!

料理作りながらでもビールを飲む!ほぼみんなお酒を飲む。

肉上がりました~

調理場の外では椅子を円状に並べて雑談。

結構スペイン語がんばってるんだけど、未だにちょっとしかしゃべれないと紹介される。まぁ、そうなんだけど。。。

この日は見ていただけでも、2ケースが消えた。よく飲むわ。

イベント後は飾ったパンやその他もろもろを全て来てくれた人に配っていく。

お願いしたらエケコ人形の顔をしたパンをくれた。

他にもチョリータのパンがあったりと、面白い。

コカも配られた。こちらの人は噛むのよね。食べ方に馴染めない。

みなさん普通に食べます。飲み込んじゃいけないらしいので後で吐き出す。

2011年11月5日土曜日

オーストリア人行方不明事件の真相

ラパスでは時々、外国人が事件に遭います。バックパッカーがとても多いので、
明るみに出ない事件もあるんじゃないかと。

今回、30歳のオーストリア人の足取りが掴めず、何かの事件に巻き込まれたか、
誘拐・拉致・殺害されたのではないかと、噂され始めていた。

このオーストリア人は9月18日にペルーからボリビアにバスで入国、19日に銀行から
お金を下ろしたところまで確認されていた。その後の足取りがプッツリと途絶えてしまい、
10月22日の新聞でニュースとなった。

10月22日の新聞 (オーストリア人旅行者が行方不明・足取りつかめず)
Un turista austriaco desapareció en Bolivia y no hay rastros de él
10月26日の新聞 (行方不明のオーストラリア人の両親がボリビアへ)
Los padres del austriaco que desapareció vendrán a Bolivia
10月27日の新聞 (不明の旅行者は行進には参加していなかった)
Turista perdido no estuvo en la marcha, dice el consulado
10月28日の新聞 (消えた旅行者は死亡者リストにもいない)
Turista desaparecido no está en ninguna lista de cadáveres
11月1日の新聞 (オーストリア人旅行者は生きていた。消えたのは愛を見つけたため。。。)
El turista austriaco está vivo, se perdió porque encontró el amor...
11月2日の新聞 (「息子は死んだものだと考えていた」)
“Pensamos que nuestro hijo Elmar estaba muerto”

このオーストリア人、1ヶ月以上も行方不明だったのだが、実はブラジル人女性と
恋に落ちて、両親との連絡を取るのも忘れてブラジルへ移動したそう。
陸路にてパンド県からブラジルに入り、その後ちゃっかりとオーストリアに帰ったそう。
お兄さんがラパスへと息子を探しに来た両親に連絡を入れ、真相が明らかになったとの事。

んー、なんとも間抜けなお話。事実は小説よりも奇なり。
ブラジル人女性との恋がどうなったのか気になるところ。

2011年11月3日木曜日

女友達は明らかに存在する、ボリビア

日本でほとんど女友達がいませんでした。

今はどうか知らないが、私が育ってきた日本では明らかに異性の友達というのは
あまり存在しないものだった。なんというか、付き合いってものは当然あるのだが、
友情が芽生えるような事は無いものだった。自分の悩みを聞いてもらってアドバイスを
してもらったり、面倒な頼みごとをお願いしたり、おもいっきりの気晴らしに遊びに行ったり、
そういったのは男友達とだけしかして来なかった。普段からつるむのも男ばかり。
女性は特別な日にしか登場しない。

ボリビアでは友達というカテゴリーに男女という区別は存在しない。存在していても、
社会的に大きな区別とはなっていない。なんというか、ボリビア人のグループに
入り始めてから感じるのは、男と女の接し方に違いがあまり無いというところ。
まるで、大学のサークル(想像)のように皆平等に接している。まぁ、男同士で
挨拶のベソをすることは無いので、習慣的にも違いはあるのだが。。。

年をとると、異性の友達というのは、更に遠い存在になりそうだが、
この国ではそういうこともない。彼氏ができようが、夫ができようが、
その前と変わらない。何も変わらない。それがボリビア。

育ってきた環境と違う場所に住むには、自分の中にある色々なものを壊すことになる。
そして、新しい出来事を取り込んで、また形あるものにする。
それは成長とも退化とも取れる行動で、楽しくもあったり、苦しくもあったりする。

何が面白いか、人それぞれ。
今のこの環境は、最高に面白いと、私は感じている。

2011年11月2日水曜日

日本人ボランティアの最大のネック

ボリビアに来てから、この国には日本以外からも様々な援助が入っている事を知った。

身近でよく聞くのはスイスとドイツ。そしてスペインやアメリカからも来ているらしい。
私の職場にはスイスの統計局から二人の人間が派遣されている。30-40歳ぐらい。
私のように、単にコンピューターに詳しい人間ではなく、統計に詳しい人たちだ。
援助も統計局全体でサポートを行なっており、ビデオカンファレンスをインターネットで
行なっているようだ。

半年前にあるドイツ人グループとフットサルを行った。ボリビア人対ドイツ人で
私はボリビア人側に。結構ガチンコでかなり本気だった。ドイツ人は男女あわせて
8人ぐらいで、20-27歳ぐらいといったところだ。彼らは、ラパスの親のいない子供が
勉強している学校で働いている。この子供たちは学校の隣にある寮で暮らしており、
彼らもそこで暮らしている。

さて、彼らに共通して言えるのは、彼らの言語能力は日本人のそれをはるかに
上回っているということ。スペイン語を第二言語として扱えるようになるまでの期間は
はるかに短くて済む。組織としてもボランティアに言語を学ばせるための費用が
少ないので楽だ。

青年海外協力隊でも言語に長けてる人はいる。しかし、全体で考えると、その数は少ない。
派遣前の訓練のほとんどが語学なのもそれを表している。派遣国での訓練も含め、
合計3ヶ月ほどの語学訓練で話せるようになるレベルというのはたかが知れている。
任地で1年を過ぎても、言葉のキャッチボールをちゃんとできない人だっている。
日本人にとって他の言語を学ぶのがこんなに難しいものなのだろうかと思ってしまう。

同様にヨーロッパの人たちがアジアの言語が全く異なる地域で、ボランティアを
するのはとても難しい事なのかもしれない。

ボリビアではヨーロッパやアメリカからのボランティアが目立つ。同じアルファベットを
使って文字を書き、意味の似た言葉を扱う彼らには、コミュニケーションの問題で
活動が上手くいかないなんてことは無いだろう。日本人にとってはそれが一番の
問題になりうるのに。

隊員の中にはきっと、日本語と同じくらいスペイン語が最初から話せれば
すばらしい貢献ができたはずなのに、と思っている人もいるだろう。

せめて、アルファベットがもっと早く読めればいいんだけどね。
映画の字幕が読めるぐらいに。

プログラマネタ・○○させると死ぬ

昔プログラマやってました。

ネットを見てて、プログラマの殺し方という記事があり、ちょっと面白かったので紹介。
イライラ度MAX! 「プログラマに半角全角の入り乱れた数字を見せ続ける」サイト

上の記事に殺し方紹介のサイトがある。
プログラマを殺す方法

個人的には、
「プログラマに昔自分で組んだソースを見せると死ぬ」
がお気に入り

昔、新たに仕事を受けたは良いものの、担当プログラマが変ったことを
お客さんには内緒という条件で、他人が書いた滅茶苦茶なソースの責任を
全て請け負わなければいけなかったのはキツかった。

昔、自分が書いたソースをメンテしてくれている人がいる。
何故か、今でも時々申し訳なく思ってしまう。(コードは覚えてないけどね)

今、携帯電話向けゲームが大いに盛り上がってる様子。年々業績はうなぎのぼりで、
昔ながらのゲーム機が売れなくなってきてるそうな。課金型ゲームがドル箱だそうで、
中毒者は何万円もつぎ込んでしまう事もあるとか。パチスロの新しい形かな。
噂では出会い系サイトに次いで高校生売春の温床にもなっているとかで、
将来的に様々な規制が設けられる対象となりそう。

あれ?脱線しちゃった。
では、最後に

「プログラマから仕事中のネットサーフィンを奪うと、、、○○」

2011年10月31日月曜日

青年海外協力隊の応募者の減少、時代と共に一万から四千前後へ

応募のピークは平成6年の1万1832人。それ以後減少が続いている。
国際貢献、人材足りない 青年海外協力隊の応援激減 被災地にボランティア殺到

記事には以下のようにあるが、
「JICAでは「国際貢献の質を落とすわけにはいかない」と危機感を強めている。」
質の低下は既に随分前から始まっているのではないだろうか。

質とコストの問題は常に対局の位置にあり、議論の対象となる。
質とはすなわち経験であり、すでに仕事をこなせる実績のある人たち。
主に、現職参加という形で参加してもらい、派遣中は給料の8割を補填する。
そのためコストはバカ高い。

現職参加制度はJICA0負担ということにもできる。0負担の場合、活動終了後に
職場に戻れるというだけで、金銭面の待遇は無職参加と変わらない。

現職参加の場合、馬鹿正直に補填制度を使っているという必要はない。
400人いる同期の中で補填制度を使っている人はそれほど多くないため、
堂々と「補填制度を使って自分は毎月、給料の8割を受け取っている」
なんて宣言するのは多少なりとも後ろめたい気持ちになる。
200万と1000万の違いになる事もあるからだ。(23年度からは100万と1000万か)

現職参加とは対局にあるのが、新卒参加。仕事経験0。学校の知識だけ。
経験がないので、無職参加しかできず、安上がりである。給料を貰ったことが
ある人も少なく、積立金に対する満足度は仕事の経験がある人に比べても高い。
金銭に関する文句は出にくい。JICAとしても扱いやすい。

新卒参加の中には、「をを、こいつスゲー」と感じる才能を放つ人もいるが、
平均してみると、仕事をしてきた人間と比べると、やり方が浅く雑に見える。
人間的にも未熟で、上辺ばかりを見て深く知ろうとしない事が多い。
(まぁ、30歳以上でも経験隠して、上辺だけ見せて、若い人に伝えようとしない人も多いが)

JICA的に一番美味しいのは、現職参加で0給料負担、二番目は経験豊富な
無職参加の人。ただし、年齢が上であればあるほど、情熱が低く、言語の伸びが
悪くなる傾向にあり、また、経験から世の中がどんなものかある程度わかっている事が
良くない方向へ作用する事もありがち。

応募者の減少は将来の青年海外協力隊の質を更に落とす事になる。
事業としての存続の意義を考える時なのかもしれない。

専門家などのエキスパートに的を絞るように。
(専門家の方がよほど金かかってると思うが、批判を聞いたことがない)

2011年10月30日日曜日

協力隊番外編 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 を17年ぶりに見た感想

協力隊とは全く関係ない、ただの映画に関する感想です。

私が 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 を初めて見たのは19歳でオーストラリアにいた時。
当時トム・ハンクスが大人気で、大きな話題となっていた。

英語にまだ馴染んでなかった私は、最後まで主人公が障害者だと気がつくことは無かったが、
ストーリーはわかりやすく、映画自体は楽しめた。

その後、ちょいちょいと映画を目にする機会があり、最初に見た時に足りていなかった
情報を補完していったが、映画の最初から最後までをじっくり見ることは無かった。

昨日、17年ぶりにじっくりと映画を見た。英語音声のスペイン語字幕で。
そして、映画を見ている時の感情が初めて見た時とは全く異なる事に気づいた。

オーストラリアで見た時は、まず羽に代表されるCGが印象的で、映像にナチュラルに
挿入されたたくさんのCGに、これからの映画がどんな風に変化していくのか楽しみにさせられた。
そして、ストーリーの展開の速さや軽快さは純粋に映画として楽しめた。

17年ぶりに見る 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 はヒューマンドラマとしての深みを増していた。
これは、歳をとって涙もろくなっただけなのか、それともこの17年の経験を映画の様々な
シーンと重ねられるようになり、新しい共感を生むようになったのか。

歳を取ると映画が更に面白くなるという考え方は、これからの人生の美味しいスパイスになる。
また17年後にこの映画を見てみようかな。

(ちなみに、フォレスト・ガンプの息子役がシックスセンスの子役だったのは面白い発見だった)

2011年10月29日土曜日

国立統計院トップの誕生日

国立統計院のトップの誕生日があった。

部署の誰かの誕生日があれば、直ぐに分かる。イントラネットにアクセスすると、
誰かの誕生日であれば、それを知らせてくれるから。しかしながら、今日の
イントラネットには何も載っていなかった。

10時頃、A1二枚ほどの大きさの紙が我が部署のインフォルマティカに回ってきた。
トップにプレゼントする寄せ書きを作成するために、コーディネーターが紙を各部署へ
持ってまわる。200人ほどになる全ての人間が書く。書かない人は。。。
私はいつものように日本語で書いた。日本語は受けが良い。

10時半からほぼ全ての人が視聴室に集まり、トップの誕生日を祝う。
いつも通りサルテーニャを食べるのだが、視聴室に入りきらず廊下にまで溢れた
沢山の人達を見ていると、立食パーティのように賑やか。

トップが相当慕われているのか、それともこれがボリビア流なのか、
1人の誕生日のために1-2時間の仕事が止まる、トップの誕生日というのは、
きっと日本では受け入れられない行事だろうと思う。

日本ならばワンマン社長のゴリ押しイベント、下の者は顔色を伺いながらの
ご機嫌取りになりそうだ。しかし、ここはボリビア、雰囲気は普通。

午後からは普通の1日に戻った。

2011年10月28日金曜日

これまでこのブログに来ていただいた日本国内の皆さま

Shinjuku
Shibuya
Osaka
Chiyoda
Tokushima
Tokyo
Minato
Nagoya
Kagoshima
Yokohama
Sapporo
Kobe
Fukuoka
Kyoto
Akita
Naha
Saitama
Shizuoka
Itabashi
Komatsushima
Miyazaki
Kanazawa
Nerima
Niigata
Tsukuba
Kizuki
Kusatsu
Utsunomiya
Iida
Sendai
Nagasaki
Hamamatsu
Hiroshima
Chuo
Chiba
Gifu
Kawaguchi
Akashi
Suginami
Koide
Mito
Kanagawa
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Kumamoto
Tokorozawa
Nagano
Saga
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Iwaki
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Suita
Narashino
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Akishima
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Chofu
Amagasaki
Takatsuki
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Kitakata
Higashiosaka
Tatebayashi
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Neyagawa
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Okazaki
Omiya
Yokaichiba
Tokuyama
Takayama
Tajimi
Shiga
Kozan
Katsushika
Matsue
Nabari
Okinawa
Hakodate
Yamanashi
Taketa
Harima
Tanashi
Moriguchi
Iizuka
Kobayashi
Kasumigaseki
Yono
Ageo
Iwade
Omihachiman
Atsugi
Isahaya
Kaizuka
Kurashiki
Komae
Toyota
Kadena
Isesaki
Koganei
Noboribetsu
Komaki

これまでこのブログに来ていただいた国の皆さま

Japan 約半数が日本から
Bolivia 約1/4 がボリビアから

合計86ヶ国! なんかすごいねー。

Guatemala
Uzbekistan
Costa Rica
United States
El Salvador
Bangladesh
Tanzania
Brazil
Paraguay
Vanuatu
Senegal
Ecuador
Micronesia
Canada
Spain
Laos
Ghana
Panama
Uganda
Chile
Mexico
United Kingdom
Maldives
Vietnam
Indonesia
Peru
Argentina
Philippines
Morocco
Thailand
Germany
Fiji
Mongolia
Australia
Benin
Honduras
Venezuela
Taiwan
Dominican Republic
India
Kyrgyzstan
Bhutan
Kenya
Sri Lanka
Cambodia
Cameroon
Saint Vincent and the Grenadines
Colombia
Nepal
Egypt
Burkina Faso
Italy
Malaysia
Jamaica
Jordan
Uruguay
Russia
Zambia
Rwanda
Papua New Guinea
Namibia
Botswana
Greece
Ireland
Dominica
Turkey
Qatar
China
South Africa
Singapore
Hong Kong
Ethiopia
South Korea
Lithuania
Niger
Gabon
Guam
Nicaragua
Sweden
Solomon Islands
Finland
Samoa
France
United Arab Emirates

2011年10月24日月曜日

笑いの根底。個人的に感じる日本との違い。

当然といえば当然だが、ボリビア人と日本人の笑いのツボは違う。
こちらに来てから感じるようになったのは、日本では用意された笑いがあるということ。

ゴールデンタイムにテレビのスイッチを入れると放映されているのはお笑い番組。
又は、視聴者を楽しませ、笑わせる番組が多数ある。たくさんの人が番組をみる。
ビートたけし、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、たくさんの芸人たち、
日本人でこれらの名前を知らない人はほとんどいないだろう。

これらの芸人は人を笑わせるツボを抑えている。話題も様々。我々はいつしか、
彼らの笑いに慣らされ、自分たちもその笑いの上に身を置くようになっている。
彼らが提案している「笑い」を受け入れ、自分も同じ手法を使う。
笑わせられ方を学び、笑わせ方を学び、笑い方を学ぶ。
意識の共通があれば、例え笑わせるのが下手でも、その努力は見てもらえる。

ボリビアには国民全員が見ているようなお笑い番組はない。お笑い番組はあるが、
だいたいメキシコなど外国から来たもの。こちらの人はテレビを見るよりも
人とおしゃべりするほうが好きで、その中で絶えず笑いが生まれる。
話題はテレビ番組についてではなく、だいたい自分の身の回りについてだ。
きっと同じような話も多いのだろうが、あまり気にしていないように思う。

ボリビアには日本のように提案された笑いというのは存在しないが、
何故かほとんどの人はユーモアのセンスがある。そして、笑いのツボがあるらしく、
誰かが上手いこと言った後に、全員で同時に笑う。1時間も話していれば
全員で笑うのは20回ほどあるんじゃないだろうか。
(この笑いにはいつも取り残される。まだツボが理解できていない。。。)

私がボリビアに来た後、同僚たちすぐに私を笑わせようとした。顔を合わせると
いつもジョークを言ってくれる。それがボリビア流。笑いのベースは周りにいる人たち。

日本でもそういった感じはあるのだろうが、どちらかと言うと「お笑い」のプロが
用意した土台で、笑いを生もうとする人が多い気がする。

海外に住み始めると、日本のテレビ番組は見なくなる。見なくなると気にならなくなる。
現在どんな番組をやっているのか知らない。一生見れなくても別にかまわない。
一度見なくなると固執しなくなるらしい。

ただ、ちょっとまえに見せてもらったアメトーークは呼吸困難になるほど笑ったけどね。
諸見里がカミカミのやつ。死ぬほど笑った。

2011年10月19日水曜日

世界最高地のボウリング?ラパスにて

2週連続でボウリングに行ってきた。

先週は生まれてはじめてボウリングをするボリビア人と行ってきたので、
スペアとかストライクとか意識せず、スコアも気にしなかったのだが、
今週は日本人2人と行ったので頑張ってみた。

日本でボウリングといえば、時間は関係なく、1ゲームいくらが普通だと思う。
徳島でそうだったし、東京でもそうだった。そして1ゲーム400円~600円ぐらいだろう。

ラパスは時間制。30分単位で申し込む。30分で45ボリビアーノ(600円ぐらい)。
靴代が6ボリビアーノ(80円ぐらい)。ゲームを始めると画面に残り時間が表示され、
時間がくるとレーンの電源が落ちる。1人が1ゲームにかかる時間は約10分。
30分で3ゲーム出来ると考えると、日本より安いが、ボリビアの物価からすると、
高級な遊びになる。
(ボーリングが先進的で新しい遊びという感覚はいつぞやの日本にもあったんだろうな)

ラパスのどこかにはおじさんがピンを並べてくれるボウリング場もあるそうだが、
今回は日本のシステムと同じ。全自動、コンピュータ制御である。

南アフリカワールドカップの時に、高地ではボールへの空気抵抗少なく、
フリーキックは浮かび上がってしまう事が多いと話題になっていた。
ボウリングのボールは、特に影響を受けないようで、日本の感覚と変わらなかった。(余談)

この日は3人で1時間申し込み、2ゲーム行った。
そして、スコア 169、168 と、鬼結果が出た。ストライクはダブルまでしか出なかったが、
スペアが面白いように取れた。

このボウリング場に来ているのはほとんどが白人。そしてそれ以外の外人(私たちのような)。
ここに来ると、こんなに外人がいるんだなと驚く反面、格差社会というのを目の当たりにする。
また、育ってきた環境の中に無いものに馴染んでいく難しさもまた感じてしまう。


2011年10月18日火曜日

目のケア、レーシック受けてて良かった

2007年の6月、池袋でレーシック手術を受けた。目はそこまで悪くなかったのだが、
夜は視界が悪くなり、コンタクトレンズやメガネが必要だった。

レーシックを受けた後に見えるようになると、朝起きた時に感動するなどと
いう人もいるが、見えるようになったことで私はあまり感動しなかった。
見え方はコンタクトレンズを入れていた時とあまり変わらず、それほど見えることに
凄さを感じなかったから。

しかしながら、術後のメンテナンスを考えると、その恩恵は計り知れないものとなる。

コンタクトはDailyや1週間、月、交換なしなど様々なタイプがあり、やはりDailyタイプが
一番清潔で使ってても気持ちが良かった。しかしそのコストは年8万ほどになり、
メガネとの併用でなんとかコストを抑えていた。交換なしで毎日洗浄するタイプも
使ったことがあるが、数ヶ月後、レンズに小さな傷がついているのか目に入れると
違和感が出るようになることが多かった。

メガネもコンタクトも、出張や旅行に行く際には忘れてはならない代物で、洗浄液や
入れ物を忘れた時の落胆は計り知れない。

メガネは着け外しが頻繁で、ふと床に置いてしまったりする時があり、
踏んでしまって少し歪んでしまったりすると、その後、レンズが斜めになったまま
使っていたりした。

レーシック後はそれらの煩わしさが一掃。どこへ行くにも、目の心配をする必要が
無くなったのだ。

青年海外協力隊で海外に出ることになり、この恩恵は更に威力を増す。
途上国でのメガネのメンテナンスやコンタクトレンズのメンテナンスは更に困難で、
メガネは壊れてしまえば、直せなかったり、コンタクトは合う洗浄液が見つからなかったりと
対応に困る。大都市隊員ならそれほどの心配も無いかもしれないが、絶対的な
安心はない。

レーシックを受けてから、目をなるべく疲れさせないように心がけているためか、
術後の1.2-1.5の視力を保ち続けている。このため、視力が原因で任地で
困ることもない。

また、日本には存在しない病原菌が途上国ではたくさんあると聞く。
目と手が接触する機会が減るのは、病原菌が目に入ることを防ぐ事にもなる。

ラパスという美しい町をいつでも好きな時に見られる目を持っている今、
レーシックを受けていてよかったと感じる。


2011年10月17日月曜日

ラパスにて世界一周旅行中の日本人カップルが死亡

新聞を読んでいると日本人旅行者の死亡記事が出ていた。

La malaria pudo causar muerte de japonesa
Hallan cadáver de una japonesa en un hostal

最初は女性だけだったが、今日の記事には男性も亡くなったと書いてある。
原因はこちらに来る前に行っていたアフリカで感染したマラリアではないかとの事。
ラパスではマラリアにかかる心配はほとんどない(デング熱は聞く)。

こちらに来て、日本人の死亡をリアルタイムで聞くのは2回目。1度目は
ユンガスにある「死の道」でバイクツアーに参加していた人が谷に落ちて亡くなった。

ボリビアでは交通事故が多発しており、日本人に限らず観光客が
巻き込まれるケースは多々ある。ラパスでの交通事故での隊員の死亡は
今のところ聞いたことはないが、一般庶民と同じ交通手段を利用する我々もまた
交通の面では常に死のリスクに晒されている。

今回、マラリアに感染というのは非常に珍しいケース。
私のヨーロッパ旅行の経験から、旅行中は健康状態よりもスケジュールを
優先しがちになる。同じ場所にいるのがもったいなく感じてしまうから。
旅券の事もあるし。ちゃんと、健康ケアを行なっていればこんな事に
ならなかったのではないかと思うと、悔やまれる。




2011年10月16日日曜日

GUERRA DE DANZAS BOLIVIANAS (ラパスで踊りの大会3)

大会から3週間、やっと書く気になった。

準決勝にコマを進めた我々は、大会に向けて毎日練習して望んだ。
その結果は散々なものだった。評価は軒並み低く、40点満点中18点。
他のチームが30-32点を獲得しているのを見る限り、我々のパフォーマンスは
余りにも酷いものだったということだ。

スペイン語がまだまだ弱いせいで、マイク越しに我々にコメントしている
批評家たちの言葉が聞き取れない。後から教えてもらった内容では、
散々にこき下ろしていたらしい。そして、チームの皆に堪えたコメントは
ある批評家が私に助言したこの言葉。

「Recomendo que cambie la fraternidad.」
「他のチームへ移籍する事を助言するわ」

当然、私は移籍することなど無いが、あるメンバーは本気か冗談かわからない
口調で、「チーム変わるの?」などと聞いてきた。

自分には何がそこまで評価を下げたのかがかわからない。踊りの経験が足りない。
スペイン語がわからない。TINKUを理解しきれていない。わからないから余計
虚しさと悔しさが込み上げてくる。

今回の大会はあっけなく終わってしまったが、またもっと小さな大会や
イベントの見世物としてどこかで踊る事もあるようだ。これからも少しずつ
TINKUを自分の中に溶け込ませていきたい。

ちなみに、TINKUとは現地語で「出会い」という意味。
私にとってTINKUとの出会いは忘れられないものとなっている。

(今回は動画を撮ってくれる人がいなかったので動画はありません。)

2011年10月13日木曜日

悲しい知らせ、同期隊員の任期短縮での帰国

また1通のメールが来た。今度はアフリカ同期隊員の帰国。理由は健康上の事らしい。

それにしても、任期を全うできずに帰国しなければならない隊員が多い。
私が知っているだけで7件を超える。私が知っている隊員はせいぜい200人
程度だと思うので、常時2000人派遣されている中で考えると2年間の任期では
その10倍である70人ほどが任期短縮による帰国をしているのではないかと思う。

活動がうまくいっている隊員もいれば、活動以外に力を入れている隊員もいる。
現地のためにまだまだしたいことがる隊員もいれば、早く日本に帰りたいと嘆く隊員もいる。

しかしながら、どんな隊員にとっても任期短縮は辛いことである。色々な事が頭をよぎる。
任地への想い、突然の仲間との別れ、全うできないカッコ悪さ(自分の心の中で)。
なぜ自分だけが、と思ってしまう事もあると思う。

これまでの経験上、それは突然やってくる。誰も予期していない事が起こる。
誰も任期短縮で帰りたいなんて思ってはいない。しかし、突然心をエグルのである。
残って活動する者にとっては帰る者にかける言葉もない。いや、どんな言葉をかけても、
白々しく聞こえてしまう。

これだけたくさんの人を見送ってきていても、やはり任期短縮は自分とは関係のない事に
思えてしまう。何故だろうか。残り半年を無事に終えることができると思っている。
次は自分の番かもしれないのに。

ただ、今回の隊員の帰国は、半分は幸運な事だった。
JICAに感謝。

2011年10月12日水曜日

深考、隊員行事の開催の意味

よく、頑固者とか遊び心が足りないと言われる。私はそんな人間です。

例えばパスタを茹でる時、袋に10分と書いてあれば普通なら10分茹でる。
私は8分や12分の茹で具合が気になるので、それらの時間も試してみる。
逆に他の茹で時間に興味を示さない人たちを不思議に思う。

料理のレシピ。昔ながらの作り方。この通りに作れば美味しくできるだろうが、
私は途中で違った事を試したくなる。よく失敗する。
しかし、その通りにしか作らないのはなんだかつまらなく感じてしまう。

まぁ、要するに人の言う通りするのが嫌なのか、
同じ事を繰り返すのが嫌なのか、
新しいことにチャレンジしたいだけなのか、
そんな感じだと思われる。

ボリビアに来てから、隊員が行わなければならない事が色々あるのを知った。
1年に2回の総会、ほぼ総会とペアになってる分科会と懇親会。
一年に一回発行されるTINKUという隊員が制作する雑誌の編集。
隊員連絡所の管理。

これらはこれまでずっと続いてきており、現在も継続されている。
ハッキリと誰が何をやるのか決めている訳ではないが、暗黙の了解でどの隊次が
何をやるのか決まっている。やらなかったらその隊次は問題児扱いされる(だろう)。

隊員の行事は絶対的な正義を持っており、それに逆らえば逆賊である。
例えば、私はほとんどTINKUという雑誌を読まないので編集する事に全く興味が無いのだが、
編集したいという隊員がいなければ担当する必要がでてくる(幸いやってくれる隊員がいた)。
やりたい人がやればいいのだが、これらは「やりたい」より「やらなければいけない」事に
なっているように感じる。半ば義務のように。

確かに、青年海外協力隊で来ているので、隊員としてやらなければいけないことというのは
たくさんあると思う。しかし、昔からやっているからという理由で何もかもを続けていく事が
本当にいい事なのかは考えなければならない。「やりたい」という気持ちがあるなら、
続けていけばいい。やっちゃダメ、という人はいないのだから。しかし、「やらなければ」
という気持ちで他人を巻き込んで、やらない人を「なんでお前はしないんだ!」と
蔑むような事になってまでする必要があるのかは疑問である。

隊員行事は絶対的正義で反論は許さん、というのはあまり協力隊らしくない。

私の隊次が隊員総会の担当をする事になった際、私は事務所の対応に不満があり、
総会の幹事から手を引いた。しかし、幸いな事に、他の担当者からは苦情はなく、
すんなりと受け入れてくれた。絶対的正義を盾に私を非難する人はいなかった。
たぶん若い人が多かったから? しかし、義務というものを重んじる人は、
協力しない人をよく思わない事が多々ある。本当に自分が正しいのか、それだけが
正義なのか、あまり考えないのだろうと思う。

良くも悪くも、本当の意味で、協力隊隊員に義務というものは存在しない。
管理する組織が無いので、もし隊員たちが何もしない、と決めれば何もなくなる。
空中分解するだけ。それでも、各個人の隊員の活動には支障は出ないだろう。

私も結局、疑問を投げかけるだけで、何も答えは持っていない。
しかし、何も考えないで、ただレールの上を歩くのは好きじゃない。
ただそれだけである。

2011年10月9日日曜日

税金泥棒

我々にぴったりの言葉。

協力隊に来ている間、我々のほとんどは税金を一切納めていない。
収めている人でも、給料泥棒ということになるだろうか。
公務員の方で現職参加で全額受け取ってる方なんて、どうなるんだろうか。

「私は税金分働いているぞ!」という隊員がいれば、どうやって証明するのか教えてほしい。

ちゃんと税金を無駄なく利用できているというのは、結局その人の判断であって、
色々な人の意見を聞けば隙間だらけのスカスカの解釈に過ぎないかもしれない。
税金をめいいっぱい使っているのは事実であり、草の根無償資金協力というもので、
更に税金を注ぎ込む事も多々ある。この草の根だって、最大限に税金を生かせているのか
という疑問には完全に答えることは難しい。

私が1年前にざっと計算した隊員一人にかかる2年間のコスト(現職参加以外)は
http://xjsako.blogspot.com/2010/07/11000.html
約750万となった。

今は経費削減で隊員の積立金やらが減っているので、100万から200万ほど
少なくなっていると思われる。

さて、これだけの税金を使っている我々は、どのようにして無駄なく利用している事を
証明するのだろうか。「一生懸命やっています」では余りに心許ない。

ここは日本から遠く離れた異国の地。納税者の方々の目はとどかない。
何にも縛られることのない隊員たちは、自分の価値観のみによって日々行動を
している(ように見える)。そんな隊員たちの個々の活動を第三者的立場で見た時、
税金分働いていますよ、なんて人は私の知っている限り一人もいないように思う。

JICAのシステムが悪い、行ったら仕事が無いから仕方がない、誰も手伝ってくれない、
任地の人間が使えない、「私は悪くない!」、と言ってしまうのは簡単で、
人のせいにして2年間過ごすことだってできてしまう。周りが自分の思い通りに
動いてくれないから税金泥棒って言われても困る、なんて言う人もいるだろう。

しかしながら、それをわかっていながら、それでも何か派遣された国のために
何かしようと考えるのが青年海外協力隊なのではないだろうか。

私には税金泥棒と言われて言い返す言葉はありません。
私がやりたい事のために、ありがたく税金を使わせて頂いております。

2011年10月6日木曜日

ボランティアじゃなかったらやりません、FINAL

ジャジャジャジャーン

最終回

連絡所に新しく設置されたパソコンは、数回の再インストールの実施の度、
変わらずアップデートの途中で不具合を起こした。単調な再インストールの
作業に飽きてしまった私は、事務所へ簡単に現状を説明し、おまかせする
事にした。

そして事務所の結論としては、別のパソコンを用意してくれる事に。

WindowsXP SP1が初期インストールの時代だから2001年、2002年辺りの
パソコンだったのだろうが、一番「うわっ」と思ったのはDVDドライブではなく、
CDドライブだったこと。最初、DVDをドライブに入れても反応が無く、
DVDメディアの焼き失敗を真っ先に疑ってしまった。ディスプレイも1024x768
という代物で、本当に倉庫から掘り出してきたような感じ。

また新しいパソコンが来たらいじることになるんだろうけど、もう多分
どこが悪いのかわからないまま作業するようなことは無いだろう(と願う)。

リカバリーなんて久しぶりにやったけど、昔はOSの調子が悪くなる度に
やってたような気がする。年に一度は再インストールみたいな感じで。
そう考えると、今のOSはかなり安定してきているんだなと思った。
仕事で使う分には何度か再インストールが必要になることもあるけど、
自分のプライベートなパソコンはもう3年は再インストールしていない。

知らず知らずのうちに変わってきている事もあるもんだ。

2011年10月2日日曜日

ボランティアじゃなかったらやりません、ただの愚痴

やっと動くようになった連絡所のPC、次の日にSkypeやらオフィスやらの
隊員が使うであろうソフトをインストールして再起動すると。。。

起動の途中で止まるようになった。前回の正常起動を選んで起動してみるが
やはり止まる。。。 回復コンソールで試してみるも止まる。。。

また一からやり直し。HPのリストアCD入れてリカバリーを始めると。。。
今度はOSインストールの途中で止まりやがる。5度やり直したが、
いつも同じ所で止まる。メモリ不良を疑い、メモリを半分にして交互に
差して試してみるもうまくいかない。

もう嫌。

試しにリカバリではなくOSを直接入れてみる。入る。問題ない。
ドライバ類はリカバリCDから直接参照できないらしく、CDを検索しても
デバイスマネージャーで?マークが出ているLAN、Audio、Graphicの
ドライバは出て来なかった。

箱を開けてマザーボードを見るとP4SDと書いてある。調べてみると
ASUSの製品らしい。ドライバーを探すとASUSのホームページには
置いていないらしい。HP専用に作られたマザー? 似たような名称の
P4SDXというのはドライバーがあったので試しにダウンロードしてみるが
残念ながら認識してくれなかった。

この日は日が暮れてしまったのでここで終了。

で、さっきまた少し調べてみると、HPがドライバを提供しているらしい
ということがわかった。製品のモデルを調べて今度はHPにドライバが
あるのか調べてみることになる。

こんな事に、いったいどれだけの時間を費やしているのか。。。

仕事をしている時もそうだが、何度も同じ作業をしていると、
人生を無駄に過ごしている気分になってくる。。。
ま、いろいろ無駄に過ごしているので今更ですが。

2011年9月30日金曜日

ボランティアじゃなかったらやりません、PCセットアップ

PC隊員というのは、PCに関する事はだいたい引き受けてしまいます。
まぁ、そういうものでしょう。

ボリビアのラパスには隊員連絡所というものがあり、事務所から提供されている
一台のPCがありました。現在JICAでは報告書などをインターネットから投稿
する仕組みを提供しており、PCを持っていない隊員のために置いてあるそう。

このPCが8月の終わりに壊れたというので見に行ってみると、電源を入れた後、
スタートアップ途中で異常を起こし、再起動を繰り返す状態。簡単に修理
できないと直感したので、そのまま事務所へ持って行き、症状を説明して
対応を事務所に任せることにした。

先週の木曜日、代わりのPCを用意して連絡所に置いたというので、残りの
セットアップなどの対応をお願いします、と事務所より連絡があった。
配線をつなげて立ち上げてみると、普通に起動し、さすがインストール直後
だけあって、軽快に動いていた。

早速セキュリティーソフトなど、定番のソフトをインストールしようと思ったら、
一点気がついた。「WindowsXP SP1」だということに。。。。
SP1 バージョンが出た時にもう仕事をしていた人ならわかると思うのだが、
SP2が出るまでどれだけ泣かされたか。。。

まずはSPをアップデートだー、とMicrosoftのサイトに。今はSP3が出ているので
それをダウンロードしてインストール。再起動した起動中の画面で。。。

ブルーバック! そして ERROR。

何度繰り返しても同じ。OSの再インストールからやり直し。
事務所にインストールディスクをもらおうと電話すると、金曜日は秋分の日で休み。
月曜にまだ戻る事に。

日を改め月曜日、インストールディスクをもらい初期状態に戻す。
今度はSP2をまず入れる事にした。そしてダウンロード。
しかし、ここはボリビア、SP2の270MBをダウンロード中に何度も途切れる。
結局半日がかりでダウンロードに成功。そしてインストール。
すんなり入ってくれたが、なんとなくシステムが不安定で、時々突然再起動してしまう。
引き続きWindowsUpdateを使いセキュリティパッチなどを充てていく。
簡単だが時間のかかる作業。この間も時々突然再起動。
この再起動によってシステムが壊れない事を祈りながら見守る。

幸いWindowsUpdateは全て終わり、いよいよSP3を充ててみることに。
順調にインストールが進んでると思ったら、最後に ERROR。入らなかった。
まぁ、SP2でいいかなということで、これ以上はアップデートしない事に。

画像圧縮ソフトや動画再生ソフト、その他色々と使われるソフトを入れて
一応の作業完了。費やした時間2.5日。一人っきりで。

SP1じゃなかったら、もっと楽だったのにね。
PC隊員の宿命です。

2011年9月26日月曜日

うれしい知らせ、日本大使館職員の「怠慢」と「頑張り」

私は当人ではないので、半フィクションとしてお楽しみください。

青年海外協力隊員の活動は隊員各個人の想いにより、様々な方向性を持ちます。
活動自体、良く言えば非常に自由で、悪く言えば何もすることが無い事が多いです。
その活動の中で、多くの隊員が利用しようと試みるのが「草の根無償資金協力」と
いうものです。

草の根・人間の安全保障無償資金協力

外務省管轄の資金援助の仕組みで、協力隊員無しでも申し込めますが、
協力隊員が自分の活動先にこの制度を利用して施設を建築したり、機械を導入
しようとします。そして、毎年この制度を通してたくさんの資金援助がなされています。

揃える書類は様々で、準備にはかなり時間を要します。書類不備などもチェック
する必要があり、そういった側面からも協力隊員がサポートすると審査に通り
やすくなります。

さて、この草の根無償資金協力を申請する先は、各国にある日本大使館です。
ここで審査され、必要とされれば最大1000万の資金が提供されるのです。
協力隊員は申し込みの際は何度か大使館の担当者に教えを乞う事になります。

ストーリー
------------------
ある△△隊員がこの制度を利用するため申し込みの準備を始めました。
この時、草の根無償資金協力の大使館担当者は××さんで何度か打ち合わせをすることになります。

△△隊員は活動先の同僚に必要な書類について告げ、それらを用意するよう頼みます。
提出してもらった書類に足りないもの、不要なものがあれば逐次チェックし整理していきます。
3ヶ月後、図面や見積もりなど、様々なものを揃えると200-300ページの資料が出来上がりました。

納得がいく資料を持って、大使館の××さんへ資料を提出すると意外な点を指摘されます。

「あなたの活動先では申請した物をメンテナンスしていく資金を確実に確保できる保証がありません」
「申請元があなたの施設では申し込みできません。」
「もっと大きな団体から申し込むようにしてください。」

要は、お金の無い施設に行う草の根無償資金協力なのに、お金が回る施設にしかお金が入れられない、ということです。
△△隊員は納得がいかないながらも、この件を代わりに受け持ってくれる先を探しました。
そして、県が親元になってくれる事になり、再び大使館の××さんへ申請をしにいきました。すると、、、

「県は5年前に申請した同制度の事業が完了しておらず、同時に2つの申請はできません。」
との答えが。

草の根無償資金協力は通常1年で事業を終える必要があり、5年も放置されているのは
どこかに何かマズイことがあることになります。

××さんは続けて言います。
「あなたの申請を通したかったら、県と協議して、以前のものを終わらせるよう働きかけてください」

△△は
「それは大使館の仕事なのではないですか?」
「そもそもおかしく無いですか?資金提供後ちゃんと事業をチェックしていないのですか?」
などと詰め寄ると、

××さんは
「別にこちらは、草の根無償資金協力を申請してくれなくてもいいんですよ」
と開き直ってしまいました。

交渉は決裂し、この申請は御蔵入となり、陽の目を見ることがなくなります。。。

と思った2ヶ月後、、、

日本大使館の××さんが任期を終え帰国、代わりに○○さんがやって来ました。
この○○さんから突然電話がかかってきて、

「草の根無償資金協力の申請の資料を見ましたが、もう申請なされないのですか?」

△△隊員は驚き、一通りの事情を説明すると、提出している資料は申し分なく、
もう一度審査してもらえる事になります。

その2ヶ月後、以前に作成していた申請資料は草の根無償資金協力の審査をパスし、
活動先は資金提供を受けられる事になります。しかも、最初に申請した通り、
申請元は県ではなく、この隊員の活動先で問題ありませんでした。

いったい××職員は何をもってダメだしをしていたのかわかりませんが、○○職員に交代し、
○○職員がとても頑張ってくれたおかげで、嬉しい局面を迎える事ができました。
------------------

草の根無償資金協力は外務省管轄であり、協力隊員がいくらがんばろうとも、
提供を受けられるかどうかは、大使館担当職員の力でどのようにでも変わります。
今回、非常に有能で親身になってくれる職員の方が担当になってくれたことは、
この国のプラスになるのではないかと思います。

2011年9月17日土曜日

GUERRA DE DANZAS BOLIVIANAS (ラパスで踊りの大会2)

ども、またやって来ました、踊りの大会。前回は緊張しすぎて、
トイレに2回、頭ボーとして、踊りも間違えまくりでしたが、
今回はリベンジしてきましたよー。



前回と一緒で一番右側。今回はおもいっきり踊ったので、息が。。。

インタビュー受けたり。日本のどこから来たのか、ってだけだけど。徳島!、大阪の近くです。。。と返答。

今回は本当に良いダンスができました。

なんでも選考に残ったらしく、また2週間後にやるらしい。
優勝賞金が2万ボリビアーノ(約30万)とかでいらぬ皮算用している
メンバーもいたり。。。

日本人ということで踊りの後は毎回いじられます。

TINKU !!!
JIRAS !!!
Shoooooo !!!

2011年9月11日日曜日

スペイン動詞を覚えるためのプログラム

言語の勉強というのは地道だ。少し話せるようになるまでに相当の時間がかかる。
最初のうちはちゃんと言葉がしゃべれるようになるのか不安で、先が全然見えない。

訓練を繰り返すうちに、いつの間にか少し理解できるようになり、話せるようになっている。
1日1日の変化は小さなもので、感じ取る事はできないが、1ヶ月、2ヶ月という単位で
過去の自分と比べると、その違いがハッキリと見て取れる。例えば映画。スペイン語で
何を言っているのかわからなかったものでも、期間を置いてもう一度見ると、以前より
言っている事がわかるようになっている。

少し話せるようになったと言っても、地元の人と話していると知らない言葉だらけ。
言いたいことを言おうとすると、活用が出てこない。

1年も過ぎると、ゆっくり話してもらえればなんとなく言ってることがわかるようになってくる。
そして、こちらの言い方に周りが慣れてくれるので、言葉でストレスを感じる事が少なくなる。
そうすると、スペイン語の勉強よりも活動や生活に力が入り始める。言語というのは
100%で話せなくても、生きていけるのだ。間違えた活用を使い続けていても、相手が
慣れてくれていれば、間違いや空白を脳内補完してくれるようになってくる。

まだまだ知らない単語があっても、知ってる言葉だけでなんとかなる。
スペイン語の勉強は2の次となる。

で、ここに書いたどの語学レベルでもある程度同じ方向を向いて勉強できる事がある。
単語を覚える事。

そんなわけで単語を覚えるためのプログラムを書いてみました。
http://xjsako.blogspot.com/p/blog-page_01.html

コメントにフィードバックもらえるとありがたいです。

あと、単語と訳はhttp://www.verbo.jp/のサイトを利用させて頂いています。
許可を貰いたく連絡先を探していたのですが、サイトには載っていませんでした。
もし、問題があれば直ぐに削除致しますのでご連絡ください。

2011年9月9日金曜日

ボリビアにできて日本にできないこと、何を大切にするのか

ボリビアという国は、本当に政府が幼稚なところがある。1年半見てきたが、
どれほど政府の対応のマズさから問題の解決が遅れたことがあったか。
ボリビアでは政治のニュースが多く取り上げられるので(一番ニュースにしやすい)、
嫌でもそのダメな部分が目に付く。

ボリビア政府は市民に対してもの凄い力を持っている。実行力が強いのは
警察が政府の言うことを聞くから。時には政府の方針に逆らう市民に対し
武力行使することだってある(ここ1年半は無いが、過去にはあった)。

日本の政府と全く違うこの国の政府には何度も驚かされてきた。
ただ、どちらの国にも言えるのは、政府は信用が無いって事。
市民が納得する政府を創り上げるのは不可能なのかもしれない。

で、そんな政府が Día del Peatón を実施すると発表した。

通称、「歩行者の日」。

要するに車を走らせない日。救急車、プレス、警察などの必要最低限の
車を除き車やバイクが走ってはいけないのだ。ボリビア第三の都市、
コチャバンバでは長らくこのイベントを行っているそうなのだが、今回
ラパスでも同じ試みをすることになった。

どんな反発を招くやらと思いながらその日を迎えたのだが、特に大きな
混乱もなく車の存在しない世界となった。

El Diario
http://www.eldiario.net/noticias/2011/2011_09/nt110905/0_06ptd.php

Página Siete
http://www.paginasiete.bo/2011-09-05/Sociedad/Destacados/28Soc01050911.aspx

La Razón
http://www.la-razon.com/version.php?ArticleId=136939&EditionId=2643

主要道路には歩行者か自転車が溢れ、まるで映画の一シーンを見ているような
不思議な気分にさせられた。

この試みは朝9時から夕方4時まで。夕方4時からは車が復活し、
いつもと変わらぬ風景となった。

日本で同じ事。。。 は決してできないだろう。東京ではなく、例えラパスと
同じ規模の町でも、経済を最も重んじ、日曜も休む人が少ない日本では
凄まじい反発が起こるだろうし、まぁ、そもそも、そんな事を言い出す人すら
出てこないと思う。

どこかの会社がきっと、1日でもそんな日を設けた場合の経済的損失について
デカデカと発表するだろう。

ラパスに住む全市民が同じイベントを共有して楽しむ、こんな途方も無いことを
いとも簡単にやってのけるボリビアは本当はすごい国なんじゃないかと感心してしまった。

2011年9月3日土曜日

隊員間で起きる事件の解決の難しさ

年間1000人以上の隊員が世界へ派遣されます。

例えば、1000人の生徒がいる学校があったとすればその中には
優秀な生徒から問題を起こす生徒まで様々いるでしょう。
これはごく自然な事だと思います。

協力隊に参加している隊員も同じで、皆がすべて他人の模範と
なるような人間ばかりではありません。中には海外にいることで
タガが外れてしまう事もあります。

色々な犯罪が考えられますが、その中でも性犯罪というのは
解決がとても難しいものです。現地人との間で発生したものであれば
現地の警察が動くのでしょうが、例えば隊員間で起きたものであれば、
JICA事務所に相談することになると思います。

しかし、私はこれまで現地人から犯罪にあったという事をJICAが
注意喚起しているのを聞いた事はあっても、隊員間での犯罪は
聞いたことがありません。この長年の活動にあって、隊員間での
犯罪が無いというのは、結構不自然な事のように感じます。

仮に性犯罪に遭ったと訴えても、日本から離れた遠い国では、
JICAが迅速に動いてくれなければ犯罪を犯した人間を訴える事が
できません。何故ならば、証拠として提出できる物が何も無いからです。
日本国内でもこの手の犯罪というのは訴えるのが難しいのに、
海外で起こった事を実証するのは、更に難しくなる。

JICAが動いて状況を把握、証拠品を押収するなどしてくれる事を
期待しますが、そもそも、JICAは警察のような機関ではないので、
話を聞くぐらいしかしてくれません。

日本に帰ってから犯罪を犯した相手を訴えるとしても、月日も経ち
証拠となる品も何も残らず、中立の立場で証言をしてくれるはずの
JICAの人間もいため、泣き寝入りする事になります。

そんな事から「やったもんがち」の世界です。

JICAでは普段から性犯罪に気をつけるように言っています。
例え信頼できる人でも2人きりにならないようにと。でも、それは
現地人との事を指している事が多く、隊員に対して気をつけろ
という事は言いません。

そういえば、安全対策会議がついこの間行われましたが、
日本からやってきた部長は性犯罪に関しては小さな声でボソボソと
何か20秒ぐらい言っただけでした。

JICAからすれば、隊員間の問題は自分らで片付けろといったところなのでしょうか。
ただ、噂では加害者、被害者共に任期短縮して返されるみたいです。

2011年9月2日金曜日

GUERRA DE DANZAS BOLIVIANAS (ラパスで踊りの大会)

週末に出てきました、踊りの大会。観客、超いっぱい。
正直、緊張しっぱなしで、舞台の上の事よく覚えてない。

結果は普通だったけど、楽しかった。
すごいなと思ったのは、あれだけ少ない練習量で、
踊りも全部覚えているわけではないのに、
俺以外のメンバーは誰も緊張していなかった事。

本番に強いというか、ボリビアの文化がそうなのか、
この人たちを見ていると、ナーバスになる方がおかしい
のじゃないかと思ってしまう、おもしろい体験ができた。

一番右が私








舞台裏






2011年8月29日月曜日

異なる価値観、ボリビア踊りTINKUのチームにて

6月のグランポデール、7月のウニベルシタリアと踊りの祭典が続き、
8月からゆっくりした時間が流れるかと思いきや、8月の最初の週には
Villa Copacabana地区の踊りにチームがお呼ばれし、8月の末には
Guerra de danzas bolivianasがあるってことで、また忙しくなった。

Guerra de danzas bolivianasは直訳でボリビア踊りの戦争。
あるテレビ局の企画で、ウニベルシタリアなどに出場しているチームの
中から幾つかのチームを招待し、ボリビアで人気の踊りをステージで
披露して順位を決めるというもの。

この企画には8人しか出られない。本来ならチームのコアが出るのだが、
みな忙しくて出られない。それで私にもお誘いが来た。1年以上の古株は
8人の内、2人しかいない。

練習は本番の2週間前から始まった。いつもの練習と違って長いし
キビキビしている。そして、覚えるのが早い。ついていくのがやっと。
全部で5分間もある踊りで、先週でやっと半分を覚え、残り2日の今日で
3分半まで覚えた。しかし、これは8人全体のポジション替えの動きは
まだ入ってないため、どこまで完成させられるのか未知数。。。

さて本題。今回やってて色々感じた事がある。まず時間について。
ボリビア人の時間感覚は、日本人とかなり異なる。時間にルーズ。
19時と約束して、20時に来る。日本なら大激怒するところだろうが、
こちらでは当たり前。でも、en punto!(時間通りに!)が口癖。
今回、毎日19時に待っていたが、ちゃんとその時間に始まったのは1回だけ。
時間通りに動くというのは、日本人としてのアイデンティティのように
感じるようになった。

遅れてくるので練習時間がとても足りない。のだけれども、本番ぎりぎりに
なってから練習時間が早まる。18時とか17時とか。そうやって練習不足を
補い、本番に間に合わせているのだ。だったら最初から真面目にやろうよ。。。

まぁ、何にせよ、こちらの人々は時間に寛大であり、遅れに関して怒らない。
時間に間に合わない事でストレスを感じる習慣がない。おかげでこちらも
時間に関するストレスを感じなくなったが、自分が遅れる際に、
どのように遅れるのがいいのかがわからず、ボリビアでの正しい時間の
遅れ方はなんだろうと考えてしまう事がある。

時間の他に、未だ慣れないのが異性とのふれあい方。挨拶のベソは
もう慣れて、何も感じなくなったが、友としての時間が長くなると、
アミーゴ社会のボリビアでは普段話している時とかの距離が近くなる。
腕を組んだりするのも普通なのだが、これがなかなか慣れない。
話の流れから軽く抱きついたり、肩並べて話したりと、なんせ近い。
戸惑っている自分を見て、俺って日本人、と感じてしまう。

本番まであと2日、男4人と女4人で踊る。踊りが結構長いので覚えるのに
時間がかかる。でも今2人女性が足りていない。それでも普通に練習を
進めている事に違和感を感じる。日本であれば、必ずまずメンバーを
確定させるだろう。じゃないと、練習不足もそうだが、人数足りないまま
本番きたらどうするの?しかし、だれもそれほど深く心配していない。
不思議だ。

足りてない理由は、最初にお願いしていた子たちが「やっぱ踊らない」と
言ったためらしい。正直、「ちょっとまて、責任って感じないの?」と
思ってしまうところだが、メンバーは「そっか、じゃ仕方ないね」的な
感じで、誰も「あいつムカつく」的な事を言わない。出るのも入るのも
すごく自由な感じ。残された方は結構困ると思うのだが、それでもこの
社会はうまく回っているように見える。

最後に、最近面白い違いに気がついた。会話で相手に何を聞くかという事。
あるメンバーGとメンバーYについて話してて、

私「そういやあの子いくつ?」
メ「知らない」
私「あの子の専攻何?」
メ「さぁ?」
私「どこの学校行ってるの?」
メ「どこだろうね」

何というか、日本で最初に聞くようなことが、こちらではそうではない。
めっちゃ仲良く楽しそうに話しているのに、そういった事は会話に
出てこないらしい。

そういえば、異性に年齢を聞かれたら、それは相手が自分の事を
気にしているという事だと誰かに聞いたことがある。それを知らずに
相手の年齢を聞きまくっている俺は変に見えたかもしれない。
まぁ、外人は別かな。

にしても、最近は自分を日本人だと感じる事が多くなってきたな。

2011年8月18日木曜日

日本人好き、結構いますボリビアに

ボリビアでは、日本人というだけで、現地の人に好かれる。たぶん。
日本文化が好きな人が結構いて、ついでに日本人も好きみたいだ。

ボリビアには日本のアニメやドラマがDVDで売られている。
オタクグループがあり、コスプレが好きな人もいる。
オタク祭りなんかもあったりして、コスプレ大会やったり。
結構大きな規模。

こっちの人の日本人が好きというのは、日本で言うイタリア人や
フランス人がかっこよく見えるのと同じなのかもしれない。

日本人からすると、日本人というだけで好かれるのはあまり
好まないかもしれない。中身をまったく見てもらえてない気が
してしまうので。しかしながら、ボリビアの人たちは普通に
「日本人が好き」という。まさに上辺だけなのだが、こちらの
人にとっては、中身を見ないのは、あまり重要ではないのかも
しれない。Feeling命?

こちらに来て間もない頃、日本祭りに参加したら、若い子から
一緒に写真とってくださいとお願いされた。その頃、坊主に
ひげで正直、人を惹きつける要素がまったく無い時。
ま、電話交換しても、連絡は来なかったんだけどね。。。

まぁ、オタクに電話番号を教えて、1日に何通もSMSが来るように
なったなんて、ボリビアではよく聞く話だから、オタクの
人たちの日本人に対する情熱はすごい。

最近は、K-POPやK-ダンスが結構出回っているので、
韓国人好きな人も増えてくるかも。

2011年8月17日水曜日

おばちゃんのミサというのに行ってきました

踊りのTINKUのメンバーの一人に誘われ、la misa de mi tia (おばちゃんのミサ)
というのに行ってきました。一種のキリスト教の行事?のようです。

お昼の1時半に待ち合わせをして、ラパスからエルアルトのSantiago2という場所へ。
エルアルトは広い!そしてどこもブロックの家ばっかり。場所の名前はわかっても、
自分がどこにいるのかまったく見当がつかない。そんな場所にあるおばちゃんの家に入り込む。

中に入ってすぐにミサの部屋に。親戚が8-9人ほど。そしてTINKUのメンバーが何人か
そこに座っている。そして飲んでいる。飲んで、、、飲まされて。。。まだ昼の2時半。。。
この飲みはいつまで続くのか。。。 という心配をしながら、飲み始め。

このミサってなんなのかと聞いてみると、おばちゃんが死んでから1回忌に
このような機会を設けるらしい。あんまり関係ないTINKUのメンバーがいるのは
謎なのだが、日本で言う法事みたいなものらしい。でも、日本であれば
49日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、
三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌、百回忌と
あるようだが、ボリビアは1度で終わりらしい。

今回誘ってくれた子には8人もおばさんがいるらしいので、一人が経験する
回忌の回数は同じぐらいかもしれない。日本も昔、子沢山の時代があったが、
全部やってたらすごいことになってただろうな。

ちなみに今ボリビアの人口は爆発的に増えている。いとことかもすごい
たくさんいる。いっぱいprimo(いとこ)を紹介された。

で、このミサ、ひたすら仲間と飲み続ける。若干静かでおとなしい感じだが、
飲むペースは速い。正直キャパを超える飲み方。どうせ夜まで飲み続ける事に
なるに決まってるのにこれでは体が持たない。ということで、時々20分ぐらい
部屋の外に逃げては休息を入れる。完全に酔っ払ってしまうわけにはいかない。
意識を保たねば。

午後6時頃?飲んでいる途中に1度、みんなでお祈りをした。

そしてまた飲み続ける。ちょっとした食事が出た。 ensalada de luza。
レタスをお皿に置いて、その上にジャガイモとニンジンのゆでて刻んで混ぜたのを
乗せる、そして茹でた後の鳥を炒めたものを更に上に乗せる。鳥の味付けが
濃かったが、あまり味のついていないジャガイモとニンジンと一緒に食べると
なかなかおいしかった。

午後8時半、ミサの家を出て行く。正直、これ以上は飲めないとこまで
飲んでいたので、TINKUのリーダーに誘われて、リーダーの家へ移動し、
すぐに寝た。最近、お酒に強くなってるのか弱くなってるのか、
よくわからない領域にきている。こちらの人は本当に良く飲む。

この日、誰かが言っていたが、ボリビアは麻薬やドラッグよりも、
アルコールの方がよっぽど問題だ、と。最近ボリビア人と付き合いを
濃くしていて、言ってる意味が良くわかる。本当に飲みすぎ。

私は、お酒を30を過ぎてから飲むようになった。
飲むようになってから、お酒は飲めた方が良いなと思うようになった。
しかし、ボリビア人は飲みすぎ。まるで日本の大学生のよう。
もう少しなんとかならないものか。

2011年8月16日火曜日

ショック!カウンターパートの退職。2度目。

先ほど同僚から呼ばれ、明日のお別れ会の打ち合わせ。
突然の話に「えっ?誰が?」とビックリ。
そして、超優秀なカウンターパートが去るんだと聞いてまたビックリ。

正直、前回の退職は驚かなかったけど、今回はかなりショック。
とても才能豊かで優秀な同い年のカウンターパートだったので、
いろいろとやりやすかったのに。

理由も何もわからない。ただ、他の場所で働くとは言っていたので、
引き抜きにでもあったのだろうか。残念でならない。

しかし、職場の人らはあっけらかんとしている。ボリビア気質
なのだろうが、人が抜けるということは普通に日常として
組み込まれていて、動揺のかけらもない。

あんなに優秀な人が抜けたら結構これから大変だと思うだけどなぁ。。。

カウンターパートに恵まれていたと思う反面、2度目の退職は
残り7ヶ月の活動に大きく響くだろうな。

2011年8月10日水曜日

活動先の好意による授業。もちろん無料。

これまで何度か書いてきたが、私の活動先の国立統計院は非常に設備が整った場所で、
きっと協力隊員の中でも1-2を争うほど先進的な場所だろうと思う。

この活動先で先月半ばからある取り組みが始まった。統計院の全体のレベルアップを
図るため、様々な仕事に関連する授業のコースを用意し、無料で受けさせてくれる、
というものだ。

我がインフォルマティカ(情報局、システム課)も例外なくこの制度を受けており、
月曜-金曜が7:00から9:00(仕事の始まりは8:30なので、毎日1時間近く遅れる)、
土曜が8:00-13:00に授業がある。平日の授業の間には休憩が10分ほどあり、
コーヒーや紅茶と何か1品の食べ物が用意される。もちろん無料。

このコース、私はボランティアということで遠慮していたのだが、8人定員の
コースに「空きがあるのでJUNも来いよ」と誘われ受けることに。毎朝6時起きで
授業を受けに行っている。今受けているのは「Windows Server 2008 R2」という
コースで、2ヶ月半の間にだいたい3つのコースがあるそうだ。先進的な内容を
教えられる教育機関が少ないボリビアで、このコースを受けられるのは
今通っている機関だけらしい。自腹で受けると3000ドルそうだ。

ボランティアでこれだけいい思いをしているのは私だけではないだろうか。

授業はスペイン語で行われていて、理解出来ない事も多々あるのだが、
テキストは英語なので内容はそこから補完できる(英語は結構できるので)。
そしてコース自体はかなりいい。

[ちょっと専門語含む]
日本で仕事していた時はLAMPに偏った開発者だったので、Windows Serverに
関する知識はあまり無かった。そのため、いい感じで知識補完ができている。
(ドメインとかフォレストとかユーザ管理とかポリシーマネージメントとか)
(WindowsはVisual StudioのVC++なら多少やっていたことがあるぐらい)
Windows Serverがサーバとしてかなりレベルアップしてきているんだなと感じた。
益々企業のユーザ管理はWindowsベッタリになっていくんだろうなと。

この広いITの世界でプログラマとしての自分の立ち位置についても見つめ
直す必要性がありそうだ。エリアを絞ってこれから伸びる所に力を入れて
知識を広げていかないと、尻すぼみの部分に陥ってしまうと後戻りする事すら
困難な未来がそこにある。これは多くの協力隊に参加しているPCインストラクターや
コンピュータ技術の隊員にも当てはまるだろう。

残り7カ月半、そろそろ帰国後の事も考える時期かな。

2011年8月9日火曜日

口論?討論?おせっかい? ブログ申請について他の隊員と。

最近ある隊員とよく言い合いをする。周りで見ている他の隊員は
かなり深刻に映るらしいのだが、当人たちは生活の一部に取り込まれて
いるようなものなので、とくにいがみ合っているわけではないのだが。

言い合いになる題はだいたいその隊員の素行や考えに関してで、
私がいろいろと突っ込むと、言い返されるといった感じだ。
まぁ、内容はつまらない事の時が多いのだが。

最近の言い合いは「隊員ブログ」について。

通常、隊員がブログを書く際は事前研修中に申請する事がほとんど。
そのため、任国へ派遣された後に申請する事はあまりない。
しかし、私の担当調整員だった人にブログの事を言うと、「ボリビアでは
再度申請が必要です」と言われた。そのため再度申請した。

2度の申請、これは周知されていないので、ほとんどの隊員は知らない。
調整員にはその事を質問したり、2度申請しなければいけない無駄な
労力について苦言し、改善をお願いした。

話は戻って、最近よく言い合いをするこの隊員はボリビアで申請は
していないと言っていたので、私と調整員とのやり取りを話してみた。
そして、一応調整員に確認をしてみるべきだろうと言ったのだが、、、

その隊員の意見としては、「ボリビア事務所が周知していないのだから
別に申請する必要は無い」、「(私が)改善を要求した後も特に連絡は
無いのだから、事務所もそれで構わないんだろう」。
だから「ブログの申請の確認なんてする必要は無い」と言い切った。

ここで私のスイッチが入り、
「そんな自分の勝手な考えで完結していいもんじゃないだろう」
「事実関係はちゃんと確認してみるべきじゃないか」
と言うと、他の隊員は
「そんなん自分だけやればいいじゃん、私はやらない」
と返ってきた。
「いやいやいや、そういう問題じゃないでしょ。」
「確認ができないならまだしも、確認ができるのに状況から判断してしまうのはまずいでしょ」
と私。そして普段ならこのまま並行して続くのだが、、、

今回はガンガンに言い合いが進む前に同期隊員に止められた。
「あたし疲れてんだから止めて。」
この隊員は、この言い合いが実を結ばないのを知っている。
そうとうどうでもいいと思っている。本人たちと同じぐらい。

その一言で、とりあえず両者振り上げた刀を鞘に戻した。
そして5分後には別の話題で盛り上がってたり。

我々の言い合い、他の隊次の隊員が見るとかなり険悪に映るようで、
本気で心配される。ご迷惑をおかけして申し訳ない。

でも、帰国まで続くのだろうな。



2011年8月6日土曜日

ラパスとエルアルト、近くにある異世界

ラパスは世界で一番高い首都(3600m)として既にご存知の方も多いと思います。
このラパス、年々人口が増加しており、入り切れない人たちが住む場所として
ラパスの崖を登った平地の町エルアルトが年々広がっています。現在までのところ、
エルアルトとラパスの人口比はほぼ同じぐらいだそうです。

Googleマップ(ラパスとエルアルト)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=-16.506706,-68.176346&spn=0.10764,0.181789&t=h&z=13&brcurrent=3,0x60f4269c63f22175:0x9dcf3fdf1f8d08a,1

Google Earth
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=-16.50763,-68.148145&spn=0.05382,0.090895&t=f&brcurrent=3,0x60f4269c63f22175:0x9dcf3fdf1f8d08a,1&z=14&ecpose=-16.51388532,-68.08434457,10714.1,-84.17,44.892,0

ラパスの中心からエルアルトの入り口 CEJA までは20分~30分の所要時間。
たくさんの人がこの道を往復して仕事に通っています。

私の所属している踊りのチームの人たちも、どこに住んでいるのか聞いてみると
半分はエルアルトに住んでいるとの声が返ってきます。

エルアルトに住むのと、ラパスのエルアルトとは違う方向の外れに住むのと
どちらが安いかと一度聞いてみたことがありますが、相手は笑いながら、
エルアルトは casi nada (ほとんどタダ)だよと言われました。

エルアルトという土地はラパス隊員にとってはほぼ未知の世界です。
空港と有名なフェリアに行くことはあっても、それ以外の場所に用事があって
行くことはまずありません。また、JICAから危険区域に指定されているので、
住むこともできないですし、日が暮れてからの滞在は禁止されています。

ラパスでは特に制限を設けられる事はありませんが、連絡所の出入りは
夜12時までと決められています。以前はルールが無かった事を考えると、
ラパスの治安はエルアルトのそれとは比べものにならないほど良いのでは
ないかと思います。

職場で誰かが、猿を食べるのはどこか、という話をし始めました。
日本では食べないが、中国の一部では猿の脳を食べるらしい、と答え、
そういえばエルアルトでは羊の脳が食べられるよね?と聞いてみると、
誰かが「エルアルトでは何でも食べるよ」と笑いながら言ってました。
軽い冗談ですが、若干の差別発言にも取れる言い方でした。

ちなみにラパスでも何でも食べられます。インド料理、イタリア料理、日本料理、
アルゼンチン料理、などなど、様々な飲食店が存在します。

ついこの間エルアルトに初めてのフードコートができたと新聞に出ていました。
エルアルトにはたくさんの青空食堂があり、20-30ボリもするフードコートが
流行るとは思われなかったのです。しかし、人口増加に伴って、境界に
貧困層ではない層が住み始め、それなりに採算が合うと判断したのでしょう。
ファーストフードが長らく入らなかったこの地で成功すれば、この先もっと
増えてくるかもしれません。

エルアルトは私にとっては、レンガ造りの家が果てしなく広がっている場所
というだけです。オルロ、コチャバンバ、チチカカ湖など遠出をする際に必ず
このエルアルトを通るので、車窓からその景色を眺めます。

たった30分の距離、でもラパスとエルアルトのどちらに住むのかの選択は
とても遠い距離なのです。

死への価値観、日常と非現実 (ボリビアで誕生する命)

「明日死んだら」私はよく意識する。そして明日死んでもいい生き方を意識する。

日本人の平均寿命はとても長い。20歳ぐらいまではあまり葬式に出ることも
ないだろう。少なくとも私はそうだった。死に別れる人はほとんどが70歳以上。
若い自分と死がつながる事を意識する機会は少ない。日本ではそんな事を考えるより、
どうやってもっと効率良く仕事をするか、お金を稼ぐかそんな事で頭はいっぱいだ。

ボリビアでは死への距離は、日本のそれよりも圧倒的に近い。

ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボリビア
--------------------
ユニセフの発表によると、5歳以下で死亡する子供の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。 平均寿命は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
--------------------

子供は死にやすい存在なのだと目に見えてわかる。そして更に未だ、
出産へのリスクは高く、妊産婦の死亡率は高い。この国の現実。

同じボリビアのサンフアンという地に協力隊がいる。彼が書いたブログの
エントリーに、ボリビアでの死へ価値観について語られている。
旅をする木 "el viaje del madero flotante"

ぜひ一度ご一読ください。

2011年8月3日水曜日

調整員、健康管理員の帰国、閉ざされた関係

もうすぐ調整員(企画調査員)2名と健康管理員が交代となる。
送別会を行うことになったのだが、このうち2名が参加しない事となった。

今のボリビアJICA事務所とボランティアの状態をよく表しているように思う。

仕事上必要が無ければ、調整員や健康管理員からはほとんど連絡がない。
正直「ボランティアと関係値を上げてもメリット無し」と思っているのだろうと感じる。
業務上の連絡以外は、いつもこちらから。ボランティアの働き具合や
精神状態を時々チェックしたりはしない。

他の国の話を聞くと、決して全ての国がボリビアのようではないみたいだ。
ボリビアは70ヶ国以上の内の一つの国の話だが、全体での調整員、健康管理員と
ボランティアの関係は、どういった感じのが多いのだろうか。少し興味がある。

ちなみに、調整員と健康管理員の方は与えられた仕事はキッチリしてくれる。
そのため、活動でJICAの手助けが必要になった時や、怪我をした時には
滞りなく書類を通してくれた。

日本で普通に務めているのであれば、仕事さえできていれば別にだれも文句は
無いのだろうけれど、ボリビアのこの地で仕事の顔しか見れないのは、
なんだかとても寂しい気がする。

2011年8月2日火曜日

日本人はボリビア人にモテるか?自身での1年半の検証

答えは半分YES、半分NO。

普通に過ごしていると、職場の人以外のボリビア人と接点はできない。
だから、それ以外で友達などが出来ることは無い。自分から何かに
関わりをもつようにしないと、自由な時間ができた時は常に一人である。

最初の一年、協力隊の活動に関連する事以外は何もしてこなかった。
日本文化好きのボリビア人がたくさんいるのだが、そういった人たちとも
関わり合いを持ってこなかった。そのため、ほとんどの自由な時間は
一人で過ごしていた。

そのため、モテるモテないという事は検証するまでもない。ちなみに、
職場は完全男社会。15人中1人が女性で、1児のママ。男はほとんどが
家庭を持っており、家庭を大事にするここボリビアでは、休日を
私と一緒に過ごす相手にはならない。(月イチぐらい) そうすると、
職場の人から女性と知り合うこともない。

町でナンパされる事も、話しかけられる事も無いので、普段の生活の
中からモテるような要素が生まれてくる事はない。

2年目に入り、踊りのチームに所属。最初はあまり外人だからといって
チヤホヤされる事は無かった。でも、オルロの次のグランポデール
ぐらいから、会話量が増え始め、仲良くなり始める。

この頃からなんとなく女性たちとの距離を近く感じるようになるが、
なんというか、友愛的なもののようで、ボリビア男性と変わらない、
そんな感じである。(酒に酔うとほっぺたへのチューがきつくなるが)

普段のチームの集まりで、皆の会話の中に入るには、まだ語学力が足りず、
沈黙している事が多い。(1体1は問題ない)
ボリビアの大学生はFacebookでよくコミュニケーションを取るので
この中ではまぁまぁ会話をしている。

チームには全体で女性が30人以上、普段の練習には毎回変わりながら
10人ぐらいは来る。結構みんなと仲良くさせてもらっている。(と思う)

で、結論、今まで一度も「2人で遊びに」とか「付き合って」とか
言われたことは無い。ボリビアでは女性からアプローチするのは
普通だと言っていたので、特にモテてるわけではない。

しかしながら、35歳のオッサンが20歳そこそこの子たちと違和感なく
会話できるのは日本ではあまり見られない光景だと思う。これは
一種の日本人である特権かもしれない。

そして、憶測の域を超えないが、自分から行動を起こせば、
日本でいるよりは女性と付き合える確率は高いような気がする。

以上が1年半の検証となる。

しかしながら、日本人女性はこの限りではない。

2011年8月1日月曜日

ウニベルシタリア うちのチームが新聞に載ったー

La Razón

このページの5枚目の写真。img5。
http://www.la-razon.com/version.php?ArticleId=134753&EditionId=2607

拡大写真。
http://www.la-razon.com/MULTIMEDIA/PICTURESART/2011/07/30/20110730_29925.jpg

左から
マルタ、ジャミール、ドリー、ロベルトの奥さん、クラウディオ、ソフィア

私は、ソフィアの後ろの後ろ辺り。写らなかった。。。

2011年7月29日金曜日

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(3)

「我が国海外ボランティア事業のあり方(案)」に寄せられた主なご意見概より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen/pdfs/volunteer_iken_g.pdf

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(2)の続き

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3.人材育成の成果とボランティアOB・OGの活躍ぶり

●採用例やNGOの設立をもってOB・OGの活躍を説明しているが、人材育成や社会貢献の成
果は採用後の活躍をもって語るべきではないか。

●ポジティブさばかりを強調しているが、公平な検討のためにはネガティブな事例も挙げる必
要があるのではないか。

●人数をもって活躍ぶりを強調するが、いずれも「多い」と評価できるか疑問
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OB・OGの動向は協力隊の参加者としても気になる所。ただ、私の周りに目を向けても、
日本に帰ったら、協力隊に参加する前の状態に戻るだけの人がたくさんいる。
今後更に国際協力事業に参加していこうと思っている人はあまりいない。

国際協力事業の何かに参加していなければ、OB・OGの活躍は紹介できないだろうから、
かなり偏った活躍ぶりの紹介になるだろうと想像できる。

私もOB・OGとなった時どんなことが出来るかと考えてみるが、答えは、、、、

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(2)

「我が国海外ボランティア事業のあり方(案)」に寄せられた主なご意見概より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen/pdfs/volunteer_iken_g.pdf

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(1)の続き

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2.ボランティア事業の理

(1)政策目

●日本の国家としての国際的地位を高めるため、事業の理念として、人的協力による世界平
和への積極的貢献を明確化すべき。案に示されたように、グローバルな人材育成など、ポジ
ティブな貢献の方向性が求められている。また、個人バラバラの「参加型」ゆえに、それぞれの
貢献が日本という国家の輪郭を取りづらいため、もっと日本の貢献の形が見えるようにしていく
べき。
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世界平和への積極的貢献ってどうやって明確化するのでしょうね。協力隊の隊員は原爆展を
けっこう世界各国でやっているようですが、そのようなことなのでしょうか。そういえば、
反アメリカの国では、原爆展は反アメリカに映る事もありうるという理由で、
展示をする際はJICAの名前を出すなと言われることもあるとか。

個人バラバラの「参加型」の変更は難しいかなと思います。青年海外協力隊という枠組みのままではね。
日本の貢献が見えるようにとなると、一つの分野に集中的に力を入れる必要があると感じます。

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(2)ボランティア事業の今日的意義

●協力隊の存在意義に関して、国民レベルの議論を行うことが重要。その原動力は当事者で
ある隊員自身であり、彼らが広く国民に発信していくことが必要。

●自国への還元は大切だが、人材育成はボランティア事業の副次的な効果であり、本質では
ないのではないか。

●具体的な成果があってこその友好親善・相互理解であり、グローバル人材育成の前提であ
る。「仲良しグループ」と「信頼関係」は別物であることを認識すべき。

●長年実施されてきたボランティア事業の今日的な意義が、途上国の発展ではなく、参加者の
人材育成が強調されている点に違和感を感じる。新政策では将来にわたってボランティアがど
のように国際社会に貢献していくかを提示すべき。

●ボランティア事業の国際人育成機能が果たす役割は非常に大きく、この点を国家の役割と
して明確化すべき。NGO事業にも即戦力人材を提供でき、効率的である。

●日本の経済大国たる地位にかげりが見られる現在、ボランティアを含む人的貢献こそが日
本のファンを増やす方策である。派遣先で「ニーハオ」と声をかけられることも少なくない昨今、
フェース・ツー・フェースの活動で、日本のプレゼンスを意識した活動をする必要がある。

●国際社会における我が国の立場は変化しているのに、それに対する対応に言及していな
い。

●グローバルな人材を育成するのであれば、これまでのやり方にこだわらず、多様な参加方
法を模索すべき。大学と連携したスタディツアーや、インターン形式、専門性の高いシニアボラ
ンティアのサポートなどを取り入れてはどうか。

●「ボランティア」という言葉は日本に根付いていない。震災で確認された、日本人古来からの
感覚である「お互いさま」にボランティアを近づけてて行くことも、JICAやボランティア参加者の
役割だと思う。
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どういったプロセスを経て隊員ブログ「ワールドレポーター」の隊員を決めているのかは
知りませんが、時に協力隊に疑問を持つような事を書く私には登録しないかとの連絡はありません。
JICAにはブログ申請しているので、ブログは常にチェックされているはずです。

ワールドレポーターとして、時には黒い部分も書くような人も含めないと、
少なくとも協力隊の活動を正直に国民に発信していっているとは言えないですよね。

人材育成、、、 難しい話ですが、元々素質がある人はその素質を存分に発揮している
ように思いますが、現地に派遣されてたくましく育ったという印象はあまりないですね。
現地事務所は基本的に何も問題が無ければ隊員を放置するので、隊員が自分で自分を
成長させるような方向に持って行かないと、隊員は育ちません。
でも、そんな風にして自分で自分を育てる人というのは、協力隊に参加しなくても
育つのではないかと思います。

ボランティアのあり方、国際協力のあり方、これらはもっともっとよく考える必要がありそうです。