2012年3月22日木曜日

帰国までのスケジュール

帰国直前の隊員はとっても忙しい。
スケジュールをメモしておきたい。

私の派遣期間は2010年3月23日~2012年3月22日となっていた。

3月17日、ラパスからサンタクルスへ帰国報告のため移動。
3月18日、帰国報告
3月19日、表敬訪問
3月20日、ボリビア出発36時間の旅の始まり
3月22日、日本の成田へ到着 ペルー、アメリカの2空港を経由
3月23日、帰国研修1日目
3月24日、土曜日
3月25日、日曜日
3月26日、帰国研修2日目
3月27日、帰国研修3日目
3月28日、途中入社面接
3月29日、実家に帰省

ざっとこんな感じであった。
3月17日の前は引越しの準備や挨拶回りなどにも時間が取られ、
ほとんど活動らしき事はできない。

現職参加の皆様はほとんどが4月から会社勤め。
その他はアルバイトしたり、学校行ったり、旅行したり人それぞれ。

2012年3月9日金曜日

さようならボリビア (Adiós Bolivia)

ボリビアを出る、それは2010年3月24日に入国した時に既に分かっていた。

2年間をラ・パスで過ごし、いつの間にかとても大好きな場所となっていた。
協力隊が終わっても、まだ残りたい気持ちが強く、仕事を探してみた。
運良く、4月から募集している1年間の仕事があり、応募してみた。
受かればもう一年ボリビアにいられる。期待が膨らんでいた。

しかし、受からなかった。不合格通知を受け取った時、
「ラパス滞在残り9日間」と書いてある棒でぶん殴られたような
ショックを受けた。たった9日間。悲しさが押し寄せてくる。
受かったらあの人会える、この人と会える、と思い描いてた。

全てが0になった。残りの9日間を大切に過ごしたい。

2012年3月7日水曜日

帰国直前、心境など

残り2週間を切った。

今日、活動先に私の活動についてのまとめを確認しに、調整員が来る。
職場の人間、調整員、私でどんな事をやったのかレビューする。
それが終わると、後は活動終了日である金曜まで好きに過ごすだけだ。

普通なら、過去を振り返り、思い出に浸っているのかもしれないが、
現職参加でない私は、4月からの生活について、どうするかが重要。
幾つか候補は考えている。ありがたい言葉も頂いている。

36歳という年齢、私の考えからすると、本来なら既に技術を会得し、
それを社会に還元し始める年齢。学習するだけではなく、その反対である、
教育も行なっていく頃である。しかしながら、私はまだまだ学ぶだけ
という領域から抜け出ようとしていない。

コンピューター業界で稼いできたわけで、技術はある程度ある。
英語圏に5年、ボリビアに2年住んでたわけで、技術はある程度ある。
これらの技術を使った仕事を探すのが普通なのだろう。

しかしながら、まだ新しい物を探そうとしている。そして見ようとしている。
自分の知らない世界が広がっている、その中の一部を体験したいと思っている。
36歳という年齢でなければ、それは普通なのかもしれない。

私はずいぶん長いこと一人でいる。孤独というのを通り過ぎ、
一人でいる事が極普通である。何をしても自由。自由にした結果、
仕事を辞め、学ぶ事に重点を置いた生き方をしている。
日本という国では、そういう生き方ができてきた。

さて、これから。新たな領域に手を出そうとしている。
受かるかどうかはわからない。しかし、受験はした。
受かれば、この仕事が完結するまで全力を尽くすのみである。

これまで出会った人たち。素晴らしい人間がたくさんいる。
困った時、私のような人間に声をかけてくれる。
励ましてくれる、助けてくれる。

ありがとう。

2012年3月4日日曜日

ウユニ塩湖への旅

2年間、行きたい気持ちはいつもありながら、なかなか行かなかったウユニ塩湖。

たくさんの空想を描きながらやっと本当に行ってきたー。
旅をする時は、まったく準備をしない私。今回も何も調べないで行ってきた。
ラパスから3時間半でオルロ。オルロから7時間でウユニの町。
朝9時に出て夜10時半にウユニ。何気に近い。

ウユニの町に着くと宿の呼び込みがいっぱいと聞いていたので、駅を出て待ってみるも
到着した旅人たちはどんどん散っていきやがて私だけに。。。 嘘情報。。。
慌てて宿を探し始める。情報無いので見た目で決めるしかない。
とりあえずホステルだよなぁ。。。 と最初に目に止まった看板の奥へ。

いっぱい。。。 

観光シーズンだし、夜10時半だし、当然といえば当然。次へ行こうとした時
同じ宿難民に遭遇。いるのね、俺みたいな、無謀な旅人。。。 一緒に探す事に。
3-4件回ってみるも空いていない。やばー、と思い始めた時、ツアー会社の
オバちゃんが話しかけてきた。宿を紹介してくれるって。そしてツアーにも
参加してーーーって。宿は40ボリで1部屋バス・トイレ共同。まぁまぁ快適。
ツアーはまだよくわかってなかったので断った。

次の日ツアーを探してみるが、その日のツアーはやたらいっぱい。
翌日のウユニ塩湖の塩のホテルに泊まる日程を組んでもらった。480ボリ。

塩のホテルに泊まる目的は、夕暮れ、夕日、夜景、星空、朝焼け、朝日!
そして、2日あれば鏡の世界を見れる可能性も広がる。
自分が見たい景色を見られるのは天候による。運。だからこの地に
何日も滞在する旅行者がいる。絶景を見るために。

私は普段のウユニ塩湖の景色を知らない。でも、私が滞在した時間は
天が与えてくれた恵みだろう、と思えるほど美しかった。

塩湖を歩くと、足の毛に塩が絡まる!放おっておくと玉が大きくなる!

塩の結晶がいっぱい流れている。ピラミッド型で神秘的。自然って面白い!

夕日は絶景!影が美しい!

朝靄チック。フラミンゴがいっぱい飛んでます。

言葉、いらないね。

ただただ美しい。

ここでやるトリックにしては。。。
水がいっぱいでトリックするにはちょっと厳しかったー

きれいー

雲が出てきて、こんなに綺麗に反射!

チリ人美女と ;)

信じられないぐらい観光客がいて、みんなが一箇所に集まるから
お友達ができやすい。ここで1週間友達つくればきっと世界一周できる。

塩のホテル。ティンクの衣装!

同じく塩のホテル。壁は全て塩でできてる。夜は電気無くロウソクで。

ウユニ塩湖、また行きたい。

2012年1月26日木曜日

職場での正式な扱い

ボランティアというものは常々、誰かに求められた所へ行くものと思っていた。
しかしながら、私の場合非常に微妙な立場にある。

JICAと活動先が結ぶ契約書が存在する。内容を見ると活動先がベースを作っていると思われる。
その契約書の中に気になる言葉が。Pasantía. 調べてみると見習いとかインターンシップとか
そんな意味らしい。えっと、インターンシップ?現地の知り合いに聞いてみると、経験のために
ただ働きする人ってことだとか。日本での意味合いそのまま。。。

1年10ヶ月の中で、確かに周囲を巻き込んで職場改善!なんて事はなく、
ただ黙々と上から命令された仕事をこなす勤務員の一員としてここにいた。

契約書の中にPasantíaには1年半の間バケーションが無いなんて書いてある。
1年半を過ぎれば20日の休暇の権利が与えられる。
実際にはそれほどキツイ縛りは無く、何日も体調不良で休んではいる。
しかし、日本人だからだろうが、Pasantíaという立場上、他の人が働いている時に
休みは取りにくく結局のところ長期休暇の申請はこれまでしていない。

部署のトップ以外にとって私はお客さんのようで、だいたいは私の仕事の内容や
作業の進み具合などには興味は無く、日本からきた珍しい話をしてくれる人、
ぐらいに思われている。イベント事は何でもよく誘われ、特にフットサルは
もうコアメンバーの一人となっている。

ザ・協力隊的な活動はなかなか出来ずとも、こちらでの生活はなかなか楽しい。
職場を出れば自由な時間がかなりあり、自分の好きなように使える。
他の隊員と語り合うもよし、現地人と飲み明かすもよし、踊りまくってもよし、
研究するもよし、勉強するもよし、家でボケッとするもよし、自由!

日本で時間に追われる生活をしていた人にとっては、信じられないほど
たくさんの時間がある。やりたかった事がある人にとっては、
新しい事を始めて、それを好きなだけ極める時間がある。
ある人は楽器を、ある人は踊りを、ある人は言語を、なんでもあり。

例え、職場での扱いがショボショボであったとしても、それがすべてではなく、
自分の工夫次第で、生活はいくらでも変化する。これらは視点の持ち方次第。
活動先で上手くいかないからと、他に生活のベースを移すのを「逃げ」だと
考える人もいる。しかし、他の視点からは「開拓」と取れる。

実際、隊員は好き勝手な主張ができる。それを制限する壁は低い。
自分を正当化しなければとても辛くなることもある。答えが無いこともある。

ただ、生きることに一生懸命である間は、光明も一緒についてくると思っている。

2012年1月22日日曜日

ハグミー、ハグハグハグハグ

シャイな私がボリビアで最初は抵抗あったけど、今では慣れた事、
それは女性との出会いと別れの挨拶。

「郷に入っては郷に従え」とよく言いますが、確かにこの挨拶の時の
顔を合わせる動作にもシチュエーションによって色々違いがあるのを
知る事ができた。

1年を過ぎると、顔なじみも増える。カリーニョ(親愛?)を持って接する
人たちがたくさんになる。そうするとこれまでほっぺたベソ(チュ)が
ノーマルだったのが、ベソ→ハグ→ベソのパターンになる。
ちなみに男も、握手→ハグ又は肩を叩き合う→握手になる。
毎日顔を合わせてる仕事の仲間とはそこまではしないのだが、
週明けとかはやったりする。

最近、このハグに慣れてしまって、日本人にもしてしまいそうになる。
あ、ちなみに、相手が自分みたいに慣れ慣れだとそういう挨拶します。
でも、不思議なもので、そういう習慣が無いところで知り合った人は
2年近くボリビアに一緒にいながら、一度も南米流の挨拶をしたことがない。

日本でながらく、女性に触れる事すら抵抗があった自分にとって、
(あ、KTCでは少しハグらせてもらったが)南米に来てからの変化は
かなり大きい。

日本に帰って同じ挨拶したら、セクハラおやじとして叩かれるんだろうなぁ。。。

2012年1月21日土曜日

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