2011年7月29日金曜日

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(3)

「我が国海外ボランティア事業のあり方(案)」に寄せられた主なご意見概より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen/pdfs/volunteer_iken_g.pdf

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(2)の続き

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3.人材育成の成果とボランティアOB・OGの活躍ぶり

●採用例やNGOの設立をもってOB・OGの活躍を説明しているが、人材育成や社会貢献の成
果は採用後の活躍をもって語るべきではないか。

●ポジティブさばかりを強調しているが、公平な検討のためにはネガティブな事例も挙げる必
要があるのではないか。

●人数をもって活躍ぶりを強調するが、いずれも「多い」と評価できるか疑問
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OB・OGの動向は協力隊の参加者としても気になる所。ただ、私の周りに目を向けても、
日本に帰ったら、協力隊に参加する前の状態に戻るだけの人がたくさんいる。
今後更に国際協力事業に参加していこうと思っている人はあまりいない。

国際協力事業の何かに参加していなければ、OB・OGの活躍は紹介できないだろうから、
かなり偏った活躍ぶりの紹介になるだろうと想像できる。

私もOB・OGとなった時どんなことが出来るかと考えてみるが、答えは、、、、

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(2)

「我が国海外ボランティア事業のあり方(案)」に寄せられた主なご意見概より
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen/pdfs/volunteer_iken_g.pdf

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(1)の続き

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2.ボランティア事業の理

(1)政策目

●日本の国家としての国際的地位を高めるため、事業の理念として、人的協力による世界平
和への積極的貢献を明確化すべき。案に示されたように、グローバルな人材育成など、ポジ
ティブな貢献の方向性が求められている。また、個人バラバラの「参加型」ゆえに、それぞれの
貢献が日本という国家の輪郭を取りづらいため、もっと日本の貢献の形が見えるようにしていく
べき。
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世界平和への積極的貢献ってどうやって明確化するのでしょうね。協力隊の隊員は原爆展を
けっこう世界各国でやっているようですが、そのようなことなのでしょうか。そういえば、
反アメリカの国では、原爆展は反アメリカに映る事もありうるという理由で、
展示をする際はJICAの名前を出すなと言われることもあるとか。

個人バラバラの「参加型」の変更は難しいかなと思います。青年海外協力隊という枠組みのままではね。
日本の貢献が見えるようにとなると、一つの分野に集中的に力を入れる必要があると感じます。

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(2)ボランティア事業の今日的意義

●協力隊の存在意義に関して、国民レベルの議論を行うことが重要。その原動力は当事者で
ある隊員自身であり、彼らが広く国民に発信していくことが必要。

●自国への還元は大切だが、人材育成はボランティア事業の副次的な効果であり、本質では
ないのではないか。

●具体的な成果があってこその友好親善・相互理解であり、グローバル人材育成の前提であ
る。「仲良しグループ」と「信頼関係」は別物であることを認識すべき。

●長年実施されてきたボランティア事業の今日的な意義が、途上国の発展ではなく、参加者の
人材育成が強調されている点に違和感を感じる。新政策では将来にわたってボランティアがど
のように国際社会に貢献していくかを提示すべき。

●ボランティア事業の国際人育成機能が果たす役割は非常に大きく、この点を国家の役割と
して明確化すべき。NGO事業にも即戦力人材を提供でき、効率的である。

●日本の経済大国たる地位にかげりが見られる現在、ボランティアを含む人的貢献こそが日
本のファンを増やす方策である。派遣先で「ニーハオ」と声をかけられることも少なくない昨今、
フェース・ツー・フェースの活動で、日本のプレゼンスを意識した活動をする必要がある。

●国際社会における我が国の立場は変化しているのに、それに対する対応に言及していな
い。

●グローバルな人材を育成するのであれば、これまでのやり方にこだわらず、多様な参加方
法を模索すべき。大学と連携したスタディツアーや、インターン形式、専門性の高いシニアボラ
ンティアのサポートなどを取り入れてはどうか。

●「ボランティア」という言葉は日本に根付いていない。震災で確認された、日本人古来からの
感覚である「お互いさま」にボランティアを近づけてて行くことも、JICAやボランティア参加者の
役割だと思う。
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どういったプロセスを経て隊員ブログ「ワールドレポーター」の隊員を決めているのかは
知りませんが、時に協力隊に疑問を持つような事を書く私には登録しないかとの連絡はありません。
JICAにはブログ申請しているので、ブログは常にチェックされているはずです。

ワールドレポーターとして、時には黒い部分も書くような人も含めないと、
少なくとも協力隊の活動を正直に国民に発信していっているとは言えないですよね。

人材育成、、、 難しい話ですが、元々素質がある人はその素質を存分に発揮している
ように思いますが、現地に派遣されてたくましく育ったという印象はあまりないですね。
現地事務所は基本的に何も問題が無ければ隊員を放置するので、隊員が自分で自分を
成長させるような方向に持って行かないと、隊員は育ちません。
でも、そんな風にして自分で自分を育てる人というのは、協力隊に参加しなくても
育つのではないかと思います。

ボランティアのあり方、国際協力のあり方、これらはもっともっとよく考える必要がありそうです。

予算を下げて、質を上げろ!これからの協力隊事業(1)

外務省が国際協力事業のあり方について一般国民に意見を求めていたのはご存知だろうか。

今回それらをまとめたものが公開された。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen.html

-- 余談 --
これは一般公開はされたが、JICAからボランティアたちには何も連絡がされていないので、
きっと多くの協力隊参加者はこの事を知らない。なぜ協力隊参加者たちにも積極的に
意見を求めようとしないのかは不思議に思う。私は常にアンテナを張っている
他の隊員ブログからこの事を知った。
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下記リンクが意見をまとめた物だそうだ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen/pdfs/volunteer_iken_g.pdf

何回かに分けて、内容を見ていきたい

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1.全体の構成につい

●事業の存続、既定路線ありきで作成されている印象がある。根本から見直すことが必要で
はないか。また、政策検討に際しては、実施団体であるJICAやボランティア経験者に加え、外
部有識者などを交え、幅広い意見が反映される必要がある。

●事業コストに関する検討も併せてなされなければ、国民の納得は得られないと思う。

●「ボランティア」という用語を使用する場合は、まずその定義を明らかにする必要がある。日
本人の「ボランティア」のイメージは「無償の奉仕者」であるが、この政策ペーパーで議論の対
象となっている「青年海外協力隊」には国費が投じられている。「青年海外協力隊」を「ボラン
ティア活動」という用語で説明すると、誤解が生じるのではないか。「シニア海外ボランティア」
は「シニア海外協力隊」と名称変更してはどうか。

●各項目のつながりが分かりづらく、長すぎるのでポイントを絞り、簡潔にまとめてほしい。ま
た、カタカナや専門用語が多く、難解である。広く一般の国民が理解できる言葉を使うべき。
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ごもっともな意見だと思う。2つめの意見は私にはよく意味が理解出来ないが、
その他はそうだろうなと。もともと、イケイケドンドンで日本の国家予算が増えていた時は、
協力隊がどのくらいのお金を使い、どのぐらいの成果を出しているのか興味のない
人が多かっただったろうし、そもそも協力隊って何しているのか知らないのが普通だったろう。
そして、それでも「日本が世界に何か良いことをしている」となんとなく思っていて、
「まぁずっと続いているし、いいでしょ」ぐらいに考えていただろう。

国の借金が増加し、税収入が減り、先が見えなくなってきた今、「ボランティア事業」に
納税者の関心が向くのはすごく自然な事だと思う。

「ボランティア」という言葉は確かに誤解を生みやすい。私は、国から国への
ボランティアという風に理解するようになった。私はボリビアで活動しているので、
日本からボリビアに対してのボランティア、と考えれば無償の協力ということになる。
私は日本政府より住居費、生活費、国内積立金などを受け取っているので、
私個人としては無償で国際協力をしているわけではない。人によってこの全体の
受け取り方は様々だと思うので、もう少し言葉に配慮をする必要はあるだろう。

2011年7月28日木曜日

日本に遊びに来てよ、とは一度も言えない

ボリビアに来て1年4ヶ月、大小様々な交友関係を築いてきた。
それらの人たちと話す中で、これまで一度も使ったことがない言葉がある。

「日本に遊びにきてよ」

ヨーロッパを旅行している時は、出会う人全てにこの言葉を使ってきた。
ボリビアで使ったのは、やはり外国からの旅行者に対してのみ。

時々質問されるのは、日本まで行くのにいくらかかるのか、ということ。
アジアは果てしなく遠く、旅行する事すら考えたことがない人が多い。
日本への旅行は非現実的な事。だから、たまたま日本人がいると、
そういうことを聞いてみるのである。

日本へのチケット、サイトを検索すると$1400-$2000という数値が出てくる。
ボリビア人の平均収入は都市部で$200と言われる。また、ボリビア人の
4人に1人が1日1ドル以下で暮らしている
と新聞にあった。

多く貯蓄できたとして月$100。旅費を貯めるのに1年から2年の計算になる。
更に日本での出費を考えると倍は必要だろうから、2年から4年になる。
それだけの貯蓄をほんの1-2週間で使ってしまうのは非現実的。

$1400-$2000といえば日本人にとっては月収入。年収400万の人であれば
半月分の収入ぐらいだ。大金であることに変わりはないが、感覚はまるで違う。

例え、すごく仲のいい大親友ができたとしても、ほとんどの場合は
2度と会うことが無い。相手はボリビアから出られないのが普通なので、
自分がまたボリビアまでその人たちに会いに来るかどうかしかない。
それが先進国と途上国に住む人間の現実。

だから「日本に遊びに来てよ」とは一度も言えない。

2011年7月27日水曜日

いったい誰が悪いのか?力を発揮できないボランティアたち

本気で書くとすごく長くなると思うので、今回は紹介程度に。

駒ヶ根訓練所での派遣前訓練で必ず言われる事がある。
「生きて返ってきてください。」
「活動より何よりも、無事に帰ってくる事が大切です。」

この言葉は活動がうまくいかず、精神的に病んでしまう人は多い事に少し関係する。
活動がうまくいかない状態というのは物凄くストレスが溜まる。そのストレスから
病気になったり、問題行動に走ってしまう事があるからだ。

少し前にも書いたが、山本敏晴さんによると8割が活動に関する悩みを
抱えたまま、活動期間の2年間を過ごしていく。

8割という数字は、現在2600人派遣されている内の2080人ということになる。
2000人以上、その中では深いものから浅いものまで様々な悩みが存在する。

不思議に思うだろう。途上国の様々な施設が「ボランティアが必要」と
申し出たから、その場所に適した人材を日本で募集し、活動に関する訓練、
言語に関する訓練を行い、「必要」と申し出た施設へと配属されたのに。
なぜそこで2000人以上のボランティアが活動で悩むのか。

普通に考えれば、
「来てくれてありがとう。たくさんの技術移転をお願いします。」
「はい。よろしくお願いします!」
そして2年が過ぎてめでたしめでたし、のはずなのに。

理由はある。ありすぎる。なので、一つのブログエントリーでは収まらない。
一つの理由で一つのエントリーが書けるぐらい、複雑である。
そしてそれらを解決する手段はきっとないのだろう。もう何年も同じような
問題を抱えて青年海外協力隊は続いている。

隊員、活動先、JICA、大きく分けるとこの3つが力を発揮できない原因となる。

■ 隊員は、言語や専門性に関する知識が足りないため、活動先に相手にされないような事。
■ 活動先は、「カウンターパート(活動先の相談相手)がいない」「辞めるすぐ交代する」
「ヤル気がない」「仕事を奪われると思い敵視する」などのカウンターパートに関する事や
「施設が潰れた」「JICAが援助を辞めた」「お金ばかり要求する」
「既に手助けがいらないほどしっかりしている」などで活動先が問題になったりする事。
■ JICAは、「要請のミスマッチ」「調整員が役立たず」
「調整員は隊員と同じように2年というスパンの中で変わり責任というものが存在せず」
「またそれらを改善できない組織」などの事。

ここには一部の問題だけを書いており、ここに書いてある事が全てではない。
隊員、活動先、JICA組織には素晴らしい方々がたくさんいる。

でも、上記の理由から「力を発揮できないボランティア」が生まれてくる。

青年海外協力隊の活動の質を上げるためには何が必要なのか、
組織は考え続けなければならない。

2011年7月26日火曜日

pre entrada universitaria プレエントラーダ ウニベルシタリア

いよいよ今週末の土曜日が entrada universitaria です。
過去、全ての踊りの祭典で、予行演習が行われてきましたが、
今回も同じようにプレエントラーダがありました。

グーグル画像検索(entrada universitaria)
http://www.google.com/search?q=entrada+universitaria&hl=ja&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=cNUtTvfPNca9tgf5rqHXAg&ved=0CEEQsAQ&biw=1440&bih=799

プレエントラーダの舞台は我が活動先であるINEの近く、
我が家の目の前 Av.Busch (約2km) を踊り歩くというもの。
下の画像ではわからないですが、ずっと緩やかな上り坂で、
歩いて上るだけでも、(日本人には)かなりきついです。

スタートとゴールの標高差は約200m。


途中一度休憩があり、その時に記念撮影。


最近踊り過ぎで腰が痛いです。歳ですかね。疲労も1日じゃ抜けない感じです。

登りきったら、今度はいつものようにお酒で乾杯。この方たちは
本当にたくさん飲みます。最初は人数も多くて、ゆっくり少しずつ
いろいろ話をしながらいい感じで飲めるんですが、4-5時間経つと、
人は減り、アルコールの分量も多くなり、

「気分は悪くないかい?」
「大丈夫だよ」
「じゃぁ、もっと飲め」

という過程を経て全員がボラーチョ(酔っ払い)になります。
35歳という、いい加減いい年齢ですが、この日は本当によく飲みました。
でも、さすがに最後までは残れなかったです。

2011年7月23日土曜日

地元からの執筆依頼、ボランティアの日常

徳島から4度目の執筆依頼が来た。今度は徳島人という雑誌らしい。

だいたいどこも似たようなものだと思うが、「ボランティアとしての
生活を赤裸々に書いて欲しい」、というのが多い。しかしながら、
ボランティアの中ですごく活動できているという人は少ないので、
この赤裸々というのはとても表現が難しい。

山本敏晴さんのブログより
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青年海外協力隊の良し悪し 5,455字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/51901806.html

1.思うような活動が、なかなかできない。
自分が思ったような活動ができた、と言うケースは
全体の1割程度。
8割りは、なかなか思うような仕事ができず
悩みながら、もがき苦しみながら、ともかく2年間、
現地でがんばった、というケースが多い。
最後の1割りは、行って早々に、がんばることを諦め(あきらめ)
2年間、ずっと遊んでいる人々もいる。
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私も8割の部類に入る。しかし、報告書や人に見てもらう雑誌の
執筆依頼などは、それなりの事を書きたくなる。自分の立場だけでなく、
JICA徳島や編集者の立場も含めて考えると、あまり情けない事は書けない。

私の職種はコンピュータ技術で、その中でも特別、足りないものが見当たらない
環境にいる。私はいかにも活動していますといった写真を持っていない。
何故かというと、そういった写真を撮る機会がないからである。この職種で
ありがちな写真は、教室の中でPCの使い方を指導をしていたりするのだが、
今の場所でそういった指導をする事は無い。

何枚かはちゃんと職場の写真があるのだが、それらは誰かの誕生日のお祝いを
していたり、クリスマスだったりと、みんなでお祝いをするときのものである。
職場の同僚たちにはとてもよくしてもらっており、仲はいいので、記念撮影は
よくするのだが、活動中の写真となると皆無。

「活動中の写真はありません」ではさすがに資料を受け取る側も困ると思うので、
ボリビアという国を紹介する事に力をいれるようにしている。
例えば、今の時期は踊りが毎月あるので、私が参加しているボリビアの
伝統的な踊りに関するネタを書く。これは写真も派手で見栄えがいい。

他にも、自然災害に遭った人たちへの支援や日本の地震のチャリティーなど、
活動以外の事なら赤裸々に語りたい事はたくさんある。2年間も途上国で住んで
いれば、色々な出来事があり、話題には事欠かない。

執筆依頼があれば必ず受けるようにしている。半分はボランティアの
義務だと考えているので。しかし、書きながら自虐的になることもあり、
色々と考えさせられる事になる。でも、その繰り返しが自分にとって
最終的に良いものになるだろう、と思っている。

2011年7月22日金曜日

またまたTINKUネタ、踊りの女王決定戦、「写真たくさん」

未だに完璧にはスペイン語が理解出来ない。
7月20日(水)の夜に踊りの大会があるらしい。
なにやら女性の1番を決めるらしいのだが、詳細がわからない。

うちのチームからはソフィアが出場。150cmぐらいの小さな体だが、
運動神経が良く、踊りはとてもダイナミック。ボリビア人にしては
性格が控えめなので、アピールするのにそこが少し心配。

必ず見に来なさい、とのお達しだったので、観戦しに行ってみた。

ヤボ用があり、最初からは参加できなかったが、1時間半程遅れて
20時半頃会場へ行ってみると、そこは室内競技場のような場所。
中央奥にステージが設けられていた。

入り口。。。 

人がいっぱい。とてもじゃないが入り込む隙間が無い。あまりの
人だかりにステージが見えない。チームはどっかに陣取っているはず
なのだが、確認することができない。このままじゃ何もわからないまま
終わってしまう、と焦りを感じ、意を決して人ごみにダイブ。

久々に押し競饅頭を味わった。体の自由が効かない。凄まじい圧力。
東京の朝の通勤の酷い時を思い出した。しかし、戦利品として、
仲間の場所が確認でき、なんとか合流できた。

うちのチームの代表のソフィアのママに呼ばれ隣で観戦する事に。

落ち着いて観戦できる状態になった時には21時を過ぎていたが、
ステージはまだ前座の女性バンド(何度かテレビてみたことあるので
けっこう有名?)が演奏していた。

前座演奏


応援するUMSAの学生でいっぱい


ここで詳細について詳しくきいてみると、今日の大会では52人が
それぞれの踊りのチームを代表して出場するらしい。52人は全てUMSAの
生徒で、それぞれの学部が何らかの踊りのチームを運営している。
1つの学部に複数の異なる踊りのチームが存在する。踊りの種類は
様々でクリャワラ、ワラワラ、カポラレス、ディアブラダ、チャカレラ、
ミネラ、トバス、モレナダ、TINKU、そして知らない踊りも幾つかあった。

うちの代表の踊り






ほかたくさん。


天使って何の踊りなんだろうか???



踊りの種類に関係なく、一番いい踊りを披露した人が優勝らしい。
(種類が違うのに公平にちゃんと採点できるのだろうか?)

1分ぐらいの踊りを全員が披露した後、52人から10人に絞られる。
その後、インタビューを受け、1-3位を決める事になる。





ソフィアのママは応援している間じゅう、ノリノリ。笛は吹く、
たばこは吸う、踊る踊る、酒を回す、ハンバーガーも回す。
楽しいことは体全体で表現するタイプの人ですね。

踊るママ


大会が始まり、3時間ほどかけて終了した。
結果、ソフィアは10人のフィナリスタに残れず。
残念。





52チームのうちTINKUは6チームぐらい。それが10人のフィナリスタに
3人も残り、更にベスト3に2人が残った。TINKUすごい人気。
チャカレラなんてすごい綺麗だったのに10人の中に1人も残らなかった。



全体的な印象として、背が低いとクリャワラやTINKUを踊る人が
多いみたい。足が長くて背が高ければモレナダやカポラレスが人気。
肌の色も浅い色の人が多かったな。

最後に記念撮影


ソフィア

2011年7月21日木曜日

所属中のアンデス民族伝統の踊り(TINKU)のチーム

ラパスに住んでいればUMSAは超有名。たくさんのMinibusが「UMSA」の
看板を掲げているし、ラパス内のあちこちに学部ビルが点在する。

昨日まで、このUMSAが何の略が知らなかった。あまり気にしてなかったので。

この日練習に行くと旗が掲げてあった。7月30日に行われる踊りの祭典、
ウニベルシタリアで踊り歩く際、このチームを紹介するために先頭に掲げる旗だ。
色々とやることが遅いボリビアの人たちだが、こういう準備は本当に怠らない。



去年は見るだけだったウニベルシタリア、今年は踊るんだなぁと、ちょっとドキドキ。
旗に書いてあるのを読んでみると「Universidad Mayor de San Andrés」と書いてある。
「なるほど、サンアンドレス大学か、聞いたこと無いな、どこにあるの?」と
仲間に聞くと、「Plaza del Estudianteの近く」との答えが。「UMSAの近くだね」
と間抜けな事を言った所で気がついた。「UMSA」が「サンアンドレス大学」なのね。

Universidad Mayor de San Andrés (UMSA)
http://www.umsa.bo/umsa/app

踊りのチームの事をこちらでは「Fraternidad」と呼ぶ。日本語に直訳すると「友愛」。
このFraternidadに所属して5ヶ月になる。最初はメンバーと話をすることもほとんど
無かったが、長く練習に参加している間に、「友愛」の関係を築き始められている
と感じるようになった。

ラ・パス、好きです。

2011年7月20日水曜日

7月19日、火曜日の一日、ただつらつら、オチ無し

前日23時に寝たため、朝5時半に目が覚める。起きるにはまだ早いので、
印刷した単語帳を見ながら、もう一度眠たくならないか期待する。

残念ながら眠たくならず7時起床。朝飯を作る。今日は昼にフットサルが
あるため、多めにご飯を炊き、味噌汁を作る。腹いっぱい食う。

8時半5分前に家を出発し、8時半に職場に到着。誰もいない。
今は職場の補助で特別授業が受けられるらしく、全員が9時半まで
どこかでIT系の何かを習っている。8時半から少し遅れて、
この恩恵を受けられなかった新人さんが到着。

この国では10分ぐらいの遅刻は遅刻にならず。日本とは大違い。

今は特に仕事が無く、待機モード。メールチェックしたりして
時間をつぶす。サーバルームに今度なにやらまたラックを入れるらしい。
ネットワーク構成が変わるかもしれないと事前に打診された。

10時頃、建物付属のカフェテリアのお姉さんが注文を取りに来る。
卵のハンバーガー(2.5ボリ)とリナッサ(1.5ボリ)という飲み物を注文。
最近毎日何か頼んでる気がする。おかげでカフェテリアの
人たちにはだいぶ顔を覚えてもらった。

12時半、お昼休み。今日は職場フットサルの日なので、昼食は取らず
家に一度戻ってから着替え、カンチャ(コート)へ。昼飯は食べないが、
日曜に買ったみかんを2つほど持っていく。このみかん、25個で8ボリ。
日本円で約100円。1個4円。。。 凄まじく安い。

フットサルは毎週火曜日13時から14時まで。みんな負けず嫌いで、
かなり熱くなるが、ボリビアにしてはラフプレーが少ない。
強制ではなく、行くか行かないかの連絡をする必要もないので、
毎回来る人数とメンバーが変わるのだが、面白いことに少なすぎたり、
多すぎたりすることは無く、8人から12人が集まる。

体格差は様々なのだが、何故か力量が偏る事が無い。みんなそれなりに
やったことあるんだろうなといった感じ。サッカーが一番人気の
スポーツというより、おおよそサッカーしか身近にないのだろう。

14時に終わると一度家に帰って着替える。帰り道にオレンジジュース屋が
たまにいるのだがこの日は見当たらなかった。3-4個のみかんを
絞り器でギュッと搾り出してくれる。2.5ボリ(30円ぐらい)。

14時半からまた職場。18時半まで。午後は朝に比べて静か。
16時頃、またカフェテリアの姉ちゃんがたくさんのゼリー(1.5ボリ)、
プリン(3ボリ)、フルーツサラダ(2.5ボリ)をお盆にのせてやってくる。
午後のデザートは毎日持ってくる。必ず買う必要はないのだが、
ビタミン不足解消のため、いつもフルーツサラダをもらっている。

そういえば、カウンターパートがミーティングの際に、今日から
1週間午後休を取っていると言っていた。なので居ない。

18時半、職場終了。みんな一斉に帰宅。インフォルマティカ(技術部)は
いつも19時半頃まで誰かがいる。部署によっては20時ぐらいまでいる様子。
ほとんどは定時で帰る。自分も今は特に何も無いのでここで終了。

19時からTINKUの練習。ウニベルシタリアまであと2週間なので、
そろそろみんなの気合も入り始める。2月の終わりからこのチームに
いるけれど、もうかなり古株の気分。踊りのパターンは変えないので、
もう全て覚えている。そのため、最近は新人さんに教える事が多い。

ちなみに、19時から練習!と言っても集まり始めるのが19時半。
これがボリビア。100%、19時から始まることは無い。
終了はだいたい22時。この時間になると、スピーカーへ供給する
電気を借りているスタジアムのポルテロ(管理人)さんが帰ってしまうので、
絶対に終わる。

練習前にポジョコパカバーナ(ケンタッキーみたいな店)でコーヒーを購入。
ここのカフェラテがお気に入り。9ボリとちょっと高めだが、
家ではおいしいコーヒーが入れられないので、ぜいたくしてる。
販売員の子と最近よく話すようになった。日本について色々と聞かれる。

練習が終わると、家に帰って簡単なメシを作り、少しの間インターネット。
特に用事が無いのであとは寝る。最近寒いので熱湯を酒瓶に入れて
湯たんぽ替わりにして寝てる。意外に気持ちいい。

そして単語帳を眺めながら寝るのだが、30分ももたない。

ZZZzzz...

2011年7月19日火曜日

翻訳(ラパスの物価は世界で下から3番目)

つい先日、東京の物価は世界の都市で2番目に高いと発表がありましたね。

海外駐在員の生活費、東京が世界2位で大阪が6位

このランキングに私の活動場所であるラパスも含まれていました。
確かに物価は安いなと思っていましたが、まさかこれ程とは。。。


以下翻訳。


ラパスの物価は世界で下から3番目
La Paz es la tercera ciudad con los costos más bajos del mundo

http://www.paginasiete.bo/2011-07-14/Sociedad/Destacados/34Esp00114.aspx

マーサーは海外駐在員の生活コストをまとめたものを公開した。
(ランキング) 全部で5大陸、214の主要都市での研究の一部から形成している。最も高いのはアンゴラのルアンダで最も安いのはパキスタンのカラチ。
La firma Mercer presentó su informe Costo de Vida Internacional
RANKING Un total de 214 capitales de los cinco continentes conforman parte del estudio. La más cara es Luanda, en Angola, y la más barata, Karachi, en Pakistán.

南米の都市でラパスより安く生活できる都市は無い。世界レベルでも、カラチ(パキスタン)とマナグア(ニカラグア)の2都市だけ。このデータは米国のマーサーから出された海外駐在員の最終の調査結果である。

この調査では、五大陸214都市をカバーし、5つの分野における200以上の項目を比較しコスト計測している:住居、交通、食料、衣類、家庭用品やエンターテイメント。この分析は、世界の中でもより完全なもので、外国人従業員のための補助金のレベルを決定するために、企業や政府に使用される、と企業のWebサイトで説明されている。

レポートは都市のベース都市としてニューヨークを使用し、全ての都市はこのインデックスと比較される; 並行して、通貨の動きは、対米ドルで測定される。住宅のコストは、多くの場合、駐在員の最大の経費であり、都市のクラス分けを決定する上で重要な役割を果たしている。

Ninguna ciudad de Sudamérica es más barata que La Paz para vivir. A nivel mundial, sólo dos ciudades lo son, Karachi (Pakistán) y Managua (Nicaragua). Los datos se desprenden del último estudio de Costo de Vida Internacional de la consultora Mercer, de Estados Unidos.

El mencionado estudio cubre 214 ciudades en cinco continentes y mide el costo comparativo de más de 200 rubros en cinco ámbitos: vivienda, transporte, alimentos, ropa, enseres domésticos y entretenimiento. Este análisis es el más completo del mundo y se usa para ayudar a las empresas transnacionales y a los gobiernos a determinar el nivel de subsidio para sus empleados expatriados, se explica en el portal de internet de la firma.

mide 測定
rubros アイテム
ámbitos エリア
enseres domésticos 家庭
expatriados 国外居住者

El informe utiliza Nueva York como la ciudad base para el índice y todas las ciudades se comparan con ella; en paralelo, los movimientos de divisa se miden con respecto al dólar estadounidense. El costo de la vivienda, a menudo el mayor gasto para los expatriados, juega un papel importante para determinar el lugar de clasificación de las ciudades.

en paralelo 並列で
divisa バッジ
se miden 測定
respecto に関して


ラテンアメリカはより安い

最も顕著な変更は、チリとベネズエラで、昨年に関連して中南米で発生した。サンチアゴの順位は123から75に移動し、カラカスは100から50へと移動、生活コストは2倍に上がった。

しかし、ブラジルには南米で生活コストの最も高い都市が2つある: サンペドロとリオデジャネイロで、それぞれ10位と12位に位置する。

調査ではランキングの最後の14都市に - 最も安い都市 - 南米から次の都市が含まれる、テグシガルパ(ホンジュラス)、アスンシオン(パラグアイ)、サンサルバドル(エルサルバドル)、キト(エクアドル)。

前述のとおり、ニカラグアの首都やラパスが最後の順位に示されており、つまり、カラチ(パキスタン)に続き最も安い。

Latinoamericanas, más baratas

Los cambios más impactantes de América Latina se registraron, en relación con el año pasado, en Chile y en Venezuela. Santiago de Chile pasó del puesto 123 al 75, mientras que Caracas pasó de ocupar la casilla 100 a ubicarse en la 50, vale decir que el costo de vida se subió al doble.

Pero el costo de vida más alto de la región lo tienen dos ciudades brasileñas: San Pablo y Río de Janeiro, que ocupan los lugares 10 y 12, respectivamente.

La encuesta ubica en los últimos 14 puestos de su ranking -entre las más baratas- a ciudades latinoamericanas, entre ellas Tegucigalpa (Honduras), Asunción (Paraguay), San Salvador (El Salvador) y Quito (Ecuador).

Como se dijo, la capital nicaragüense y La Paz se ubican en los últimos puestos, es decir, son las menos costosas después de Karachi (Pakistán).


世界で最も高い都市

世界第1位は、5百万人が極度の貧困の状態で暮らしているルアンダ(アンゴラ)で、一緒に一握りの石油起業家が住んでいる。

マーサーのクラス分けによると、ルアンダに続き、2位が東京とチャドの首都ンジャメナとなる。

モスクワ(ロシア)は4位でジュネーブ(スイス)が5位と続く。

マーサーの生活コストの数値やレンタルコストの比較は、今年の3月に調査から導かれたものに更新される。これは、その月の為替レートの測定、国際的な物品やマーサーのサービスのベースに使われる。

Las más caras del orbe

orbe 世界

El primer lugar, a nivel global, es para Luanda (Angola), ciudad donde conviven cinco millones de personas en condición de extrema pobreza, junto a un puñado de empresarios petroleros.

puñado 一握り
empresarios 起業家
petroleros 原油

A Luanda le secunda Tokio (Japón) y la capital de Chad, Ndjamena, según la clasificación de la consultora Mercer.

Moscú (Rusia) se coloca en cuarto lugar, seguida de Ginebra (Suiza) en el quinto.

Las cifras de costo de vida de Mercer y los comparativos de costos de alquiler se derivan de una encuesta realizada en marzo del presente año. Se han utilizado como mediciones de base los tipos de cambio de dicho mes y una cesta internacional de bienes y servicios de Mercer.

2011年7月15日金曜日

療養一時帰国をする隊員について

療養一時帰国、それは負傷したり、病気に罹ってしまい、受入国等では治療が
困難なため日本で治療等の処置を講じる必要があるとJICAが認めた場合に
行うことができる。

現地のどんな物でも食べ、時にはホームレスと一緒に寝て、暑い時期から
寒い時期まで、ヨーロッパを歩きまわった際にも、数えるほどしか
体調を崩さなかった私は、この制度とは縁がない。ボリビアでは高山よりも
生肉を食べてしまったりして、消化不良を起こし、健康の大切さを学んだ。

自分では体験することのないこの制度だが、ついこの間までラパスで
高山病に苦しんでいた後輩隊員がこの制度を利用して日本へ帰国した。

上に書いたとおり、私は健康で、この制度を使うことは無いと、
ボリビアへ来る前から思っていた。今回、帰国した隊員も同じような事を
思っていたそうだ。だが、実際は違った。体調が悪い日が何日も続いた。

この隊員は療養一時帰国の体験をブログに投稿している。
http://misa0130.blogspot.com/2011/07/blog-post_08.html

どれだけ健康であっても、どれだけ経験があっても、協力隊としての
生活が現地で始まれば、何が原因かわからない病気にかかることが
あるかもしれない。

「自分は大丈夫!関係ない事」と思うよりも「自分にも起こるかも」
ということを常に意識しておくべきなのかもしれない。

2011年7月14日木曜日

ガソリンが届きません、スタンドに長い列 → 原因: 住民による道路封鎖

7月11日、22時頃、家への帰宅途中にガソリンスタンドの横を通ると、
ガソリンスタンドは閉鎖されており、入り口からエンジンを止めた車が何台も
列を作っていた。また年末のようなガソリンの値上げ騒動でもあるのかと
人に尋ねると、今回は違った理由であった。

「エルアルトでブロッケオやってて、ガソリンが届かないんだ」

ブロッケオ、すなわち交通封鎖。やり方は原始的で、道路に岩をたくさん並べ、
人が無理やり通ろうとする車には石を投げる。ブロッケオはデモ行進と共に
この国の文化と思ってしまうぐらい頻繁に行われる。政府も困るのだが、
一番困るのは周辺の住民。移動ができなくなる。

エルアルト郊外でブロッケオを行っていた住民の要求は生活インフラの整備。
エルアルトは年々、ものすごい勢いで広がっており、生活インフラの整備が
追いつかないそう。追いついてなくても、人は安く住める場所を求めてどんどん
家を建てていく。

7月12日の夜はガソリン不足により、国民の足であるミニブスのほとんどが
ラパスとエルアルト間の運行を辞めた。エルアルトから働きにきている人は
何時間も、あるかどうかわからないミニブスを待つか、高いお金を払って
タクシーを使うか、選択に迫られた。

政府との交渉の結果、早く下水設備を整える事を約束して落ち着いたようで、
2日間に及ぶブロッケオは解除された。7月12日深夜にガソリンはスタンドに届けられ、
長蛇の車の列は補給のため大混雑。7月13日朝には全ては過ぎ去った出来事として、
みんな普通に生活していた。

ボリビアの新聞、La Prensa によると、今回のブロッケオに対する経済的損失は
1400万ボリビアーノス(200万ドル)に上るとの試算を出した。

http://www.laprensa.com.bo/diario/actualidad/la-paz/20110713/bs-14-millones-perdidos-por-el-bloqueo_609_1191.html

国民が他の国民の首を締めるような今の抗議行動はなんとかならないものか。

2011年7月13日水曜日

健康管理員不在のお知らせ、年に4回、一年の休日数

JICAから1通のメールがやってきた。もうおなじみのメール。

健康管理員不在のお知らせ。

今回は11連休らしい。この不在のお知らせのメールは、たぶん健康管理員が
有給を使う時に流れてくる。JICAの事務所は日本の国民の休日とボリビアの
国民の休日の両方がお休みになる。例えばゴールデンウィークは、有給を
使わなくても、ほぼ丸々1週間お休みになる。この休みの基準は大使館と同じ
だそうで、休まなければならないらしい。そして、土曜と日曜は当然お休みである。

健康管理員の方は今年の5月に9連休、3月には6連休、そして去年の12月に
8連休を取っている。私は中小企業でしか働いたことがないので、
この休暇の多さは目を引く。たしかに、日本で長く働いていれば
有給は15日~20日ぐらいあるだろうから、フルで休みを取れば、
これぐらいの休みは取れるのだろう。でも、何か感覚についていけない。

不在のお知らせにある平日を足すと21日。3日が事務所休日と重なって
いるようなので、18日の有給にたぶんなる。

1. 土日休み 2011年度 105日
2. 2011年度の国民の休日(日本とボリビア両方) 17日
3. 有給 18日

合計140日

休暇は当然の権利であるし、日本の企業でも給料がいい大きな会社ほど、
休暇も比例して上がるような気がするので、これが妥当なのかもしれない。

ただ、ちょっと心配な事がある。3ヶ月前にやってきた新隊員がラパスという
高地に順応できずに一時帰国している。そんなことがあり、高山病って
やっぱり怖いなと思っていた。そんな中、また新たに新隊員がやってくる。
健康管理員はこの新隊員がラパスに入る次の日から11連休を取っている。

私だったら1週間ぐらいは様子をみるところだけどね。。。

まぁ、ボリビア事務所の次長が総会で「健康管理員が不在の時でも万全の
体制を取っているから心配要らない」と言っていたのを我々は信じるだけですね。

2011年7月12日火曜日

スペイン語の単語を覚える運動を始動

先週の土曜から、ラパスの他のボランティア2名と共通の単語を覚える
企画を始めました。

継続してスペイン語の勉強を行っていくのは結構強い意志が必要で、
なかなか大変です。できれば学校のように同じようなレベルの人と
刺激し合いながら継続して勉強ができればいいのですが、年に4回も
入れ替わりがある協力隊では、最初からレベルの差があり、「一緒に」
というのはなかなか難しいものがあります。

ほとんどの隊員は個人的に学校に行ったり、家庭教師を雇ったりして、
個々で語学のレベルアップに励みます。その方が効率がいいので。
1回1時間のレッスンで15ボリ(約200円)から40ボリ(約550円)ぐらいの
授業料なので、日本で習う事を考えればかなりお得です。これぐらいの
出費であれば、毎月支給される生活費から十分補えます。

ただ、せっかくラパスにはたくさんの隊員がいるので、何か共通で
語学を学べないかと思い、単語に目をつけました。

純粋に単語を覚える事に特化すれば、スペイン語のレベル差は
あまり関係なく、ちょっとした空いている時間に勉強ができるからです。
そのため、レベルが異なる別隊次間でも一緒の勉強ができますし、
時間があまりとれなくても参加できます。

そして一緒に覚える仲間がいれば、「あの単語なんだっけ」と
いつでも聞きやすく、答えやすいからです。

滞在時間が長い隊員でも、生活に慣れてくると、結構同じ動詞ばかり
使うようになり、新しい動詞を覚えることが少なくなります。
なぜかというと、同じ環境の中でずっと暮らしているので、
新しい言葉を覚えなくても十分通用してしまうのです。
そんな事から、意外にこの試みは上手くいくのではないかと思っています。

覚える単語のネタとして、まず最初に目をつけたのはこのサイトに
載っている動詞です。
http://www.verbo.jp/

ここの動詞700-800単語をベースに覚えようと思っています。


補足: ここをと合わせて見てみるともっといいかも。
http://www.casa7.com/spain/diccio/ej/ej.htm

2011年7月11日月曜日

新しい彼女

釣られた方ごめんなさい。

うそです。

恋愛ネタのタイトルを書くとアクセスが増えると聞いたもので。。。

協力隊でボリビアに来てから色々ありました。
身近な隊員に不幸な出来事もありました。

でも、私は今、とても幸せです。

2011年7月9日土曜日

2011年7月8日金曜日

なぜブログを書くのですか?調整員に聞かれて

青年海外協力隊の隊員がブログを始める時、JICAに申請する必要がある。
それほど強い制限は無いが、組織ならではの縛りが規約に書かれてある。
我々隊員はその規約に反さぬよう心がけてブログを書く。

ブログを申請した際、担当の調整員にこう聞かれた。
「なぜブログを書くのですか?」

その調整員は元PC隊員なので、ブログが何なのかは知っていると思う。
しかし、あまりにも素朴な疑問に回答に少し困った。
その言語の中に「それって意味あるの?」といった含みを感じたので、
一番ベーシックな理由を答えた。

「日本や各国にいる家族や友人に自分の無事を知らせるためです」

調整員はこの回答にあまり納得しなかったようで、不満そうな顔に
「そんな理由でブログなんて面倒くさい事をやるの?」
と書いてあった。

まぁ、実際、ブログを書くのは場合によっては面倒くさい。
ブログを書いた事が無ければ、月に何度も文章を書くことは
想像するだけで時間の無駄に感じる事もあるかもしれない。

ブログは明確な理由があれば書きやすい。私がブログを書く他の理由は
「青年海外協力隊という物を更に広く知ってもらうため」そして、
「より多くの若者に協力隊に応募してもらえるようになるため」そして、
「任地であるボリビアというものをもっと知ってもらうため」である。

私が書くブログの大半は「未来の協力隊員」に向けて書いている。
彼らが、より良い活動ができるように、より確かな覚悟が持てるように。

協力隊での経験は、隊員本人の意思で良い物にも悪いものにも変わる。
たくさんの幸せを感じながら活動していければ最高だものね。

このブログへは半分がGoogleやYahoo!などの検索エンジンでやってくる。
残りの半分は日本や各国の家族や知り合いである。
細々ではあるが、協力隊の良いところ悪いところを感じ取ってもらい、
協力隊への応募者の増加に貢献出来ればと思っている。

2011年7月7日木曜日

PC隊員による中南米ネットワークを作りたいだけなのに

青年海外協力隊には広域研修制度というのがあります。
近隣諸国の同職種のボランティアが集まって研修を行い、その場所に適した
技術力を高めようというのが狙いです。

例えば、私であれば、ボリビア、チリ、パラグアイ、エクアドル、コロンビア
のどこかを主催国にして、それらの国に派遣されているPC隊員を集め
ハードウェアやソフトウェアに関する研修を行うことになります。

この研修制度、アフリカでは毎年使われているようで、クロスロードにも
その様子が載っていました。我が21年度4次隊からも参加者が数名いたので、
いいなー、と思いながら雑誌を眺めていました。

中南米ではPC隊員の広域研修は行われていません。ならばやってみようと
どうやって開催するのか調べてみました。

開催するに当たって、その意義を述べます。まぁ、それぞれの国に存在する
共通の問題点などを書くわけですが、各国の事情ってそれぞれの国に派遣
されている人しかわかりません。

21年度4次隊、中南米PC隊員は・・・1人だけ。

他国の情報なんて収集しようがありません。ならば、他の隊次を探すしかない。
他の隊次?どうやって?ここで大きく障害となるのが、隊次の壁。
他国の異なる隊次との連絡は取りようがないのです。

頼るのはJICAしかないわけだけれども、JICAは窓口をつくってくれたりはしません。
「中南米隊員と連絡取りたいんですけど、隊員リストくれませんか?」と
相談したところ、「各国事務所にメール送ってあげるから、自己紹介文書いて」
と言われ、各国隊員からの返信を待つことに。

隊員というのは気まぐれです。通信事情も相まって、返信が数週間後だったり
きっと返信を送ってくれない隊員もいるだろうし、しっかりとしたリストを
作るにはこのアプローチは弱い。でも、他に手段が無いので仕方がない。
JICAよ!中南米ネットワークぐらい作らせてくれよ!と心底思います。

元々中南米に人数が少ないのか、返信が来ないだけなのか、全部合わせて
国数5の総勢10人ぐらいで、どうしようもない雰囲気が漂う。

せめてPC隊員がどこに何人ぐらい派遣されているのかぐらい知らないと
全体のイメージが出来ないのだけれど、そんな事もJICAからは教えてもらえない。
すごく非協力的です。とても残念。

今出来ること、それはとりあえず返信を出してくれた人たちとの
連絡を途絶えさせない。そして、その人達が相互に連絡を取り合える
ネットワークを作る事ぐらい。本当に小さなネットワークではあるけれど、
将来に向けてやらないよりマシですね。

問題は新隊員の勧誘。JICAが協力的でない以上、自分で探すしか無い。
23年度2次隊については運良く技術補完研修中の隊員ブログを見つけたので、
中南米隊員と連絡が取れたが、毎回こんな面倒臭い事はできない。

技術補完研修先のウチダ人材開発の講師にでも協力を仰ぐべきなのかな。
でも、将来ずっとここの会社が請け負う訳でもないだろうし。
ああ、悩ましい。

JICAが手伝ってくれればどれだけ楽だろうか。
ただ、中南米PC隊員と連絡が取りたいだけなのに。

2011年7月6日水曜日

ボリビアで1ドル以下で暮らす人々

最近、「1日1ドル以下で暮らす」という表現で貧困を表す場面が増えている。
日本で暮らしていれば、1日80円で暮らす事は、かなり驚異的にみえるだろう。
日本じゃ暮らせる金額ではないのは確かだ。家賃、食費、学費、冠婚葬祭、
税金、様々な場面でお金がいる。1日1ドル、1ヶ月30ドル、1年365ドル。

ボリビアは南米で一番貧しい国と言われており、1日1ドル以下で暮らす人も
南米で一番多い。

Página Siete

26% de la población boliviana vive con menos de $us 1 al día
ボリビア国民の26%が1ドル以下で暮らしている

http://www.paginasiete.bo/2011-06-29/Economia/Destacados/9Eco002291.aspx

26%。新聞によると、それほどの人が1ドル以下で暮らしているそうだ。
ラパスに住んでいると、この数値は驚異的に感じる。そんなにいるのか?と。

1ドル以下ということは、既に家に住むのは無理。冬は極寒のこの地では
家が無いと凍死する事もありうる。冬のシェルターがあると聞いたことがあるが、
そんなに大量の人間は収容できないだろう。どこにそんなにいるのだろうか。
田舎と都市の収入格差は大きな社会問題になっているので、田舎では
たくさんの人が1ドル以下で暮らしているのかもしれない。しかし、
人口の26%という数値は、都市部にもこの金額で暮らしている人がたくさん
存在するという事になる。しかし分からない。私に見えないだけなのだろうか。。。

ちなみに、ここは昼飯が1ドルで食べられるぐらい食品が安い国で、
贅沢を言わなければ胃を膨らませる事はできる。食品が安いからか、
街で見る一般的なボリビア人は一般的な日本人よりかなり太っている。

大都市から遠く離れた場所で農業をしている人たちは1ドル以下で暮らす
のはそれほど大変ではないだろう。彼らは家賃を払う必要もないし、
食料は自分たちで調達する。裕福ではないが、貧困というイメージからは遠く、
しっかりと生活をしている。生活にお金はかからない。ただ、最近は
気候の変化で雨が必要な時に降らなかったり、大雨で洪水になったり、
日照りが続いたりと、農業を続けていけないようになっているかもしれない。

さて、とりあえず新聞のニュースは信じがたい事実なので、
一度知り合いのボリビア人に事実確認をしておく必要があるだろう。
何か新しい発見があるかもしれない。

2011年7月5日火曜日

経費削減、ボランティアへの影響

未確認情報なので、あまり深く信じないでください。
色々と詳細が分かってきたら、またその時に書きます。

6月末に23年度1次隊がボリビア入りしました。
一見いつもと変わらない新隊員ですが、派遣中の待遇がガラリと
変わったそうです。

例えば、準備金。
訓練所での試験に合格して、いよいよ任地に向けて出発する事に
なった時、引越し、身辺整理や現地での必要物資を買うための
出発準備金が支給されます。22年度4次隊までは30万円が支給
されていたようですが、23年度1次隊から半分に減ったそうです。

そして、帰国準備金もまた減るようです。
(これはまだ支給されていないのでいくらかは知りません。)

帰国後の生活をサポートするための、毎月10万近く振り込まれる
積立金も減ったようです。ちなみに私はここから、国民年金を
支払っています。国民健康保険は海外在住という事で必要ない
みたいで、支払っていません。ボリビアでの健康管理はJICAが
面倒みてくれます。

経費削減は全体的な流れのようで、きっと調整員やJICA事務所の
職員の給料にも影響を与えているんじゃないかと思います。

ついこの間、事務所と連絡所の清掃を担当していた人たちは
契約の延長がされず、クビになりました。ボランティアとの間で
事務処理をしていた方もいなくなりました。事務所側も
経費削減をいろいろと考えているようです。隊員連絡所も
近い将来無くなる。。。とか。

他にも、噂では外務省担当の草の根無償資金協力も申請が通りにくくなったとか。

90年代後半まで、いけいけどんどんで膨らんだODA、
一時期は誇らしげにアメリカを抜いたなんて言ってたけれど、
削減の方向に進みはじめると、いろいろな不満があふれてきているようです。

ODA予算 1978年-2011年
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/yosan.html

2011年7月1日金曜日

ブログ内のアクセスランキング

ブログを書くのに「Blogger.com」を使っています。
このブログプロバイダーには統計機能がついており、
エントリーのアクセス上位を知ることができます。

現在までのトップ10は以下の通り。


隊員1人1000万と言われるコストについて考えてみる
2010/07/22

同僚の任期短縮、他の任期短縮
2011/03/03

ブログ申請
2010/05/13

社会人経験の無い協力隊隊員
2010/09/30

キルギスの観光隊員
2010/10/08

新しい彼女
2011/06/20

究極の一枚
2010/07/24

ブログ再び
2011/04/19

南米一貧しいと言われる国だが
2010/07/21

途上国の怖さとは
2010/09/23


キルギスについて書いたのが意外に上位です。なぜ?