2012年8月31日金曜日

このブログはいったん役目を終えます

24年度春の青年海外協力隊に落ちたので、
しばらく協力隊とは縁が無くなります。

2回目の協力隊に落ちた人間としてブログを新たに作ったので、
興味があればそちらを見てください。

http://xjsako2.blogspot.jp

2012年8月16日木曜日

青年海外協力隊 不合格

24年度春募集の2次試験合格者の発表がありました。

職種別合格者数一覧

合格者数 494
登録数 76

登録とは補欠みたいなもので、繰上げ合格になる可能性があります。

コンピューター技術は36の要請に対し、最終的に21人が合格し、登録は0人でした。

実は私、春募集を受けていましたが、2次面接をパスする事ができませんでした。
登録もされていません。

理由は「二次競合または要請不適」となっていましたが、溢れている要請数からして、
希望した場所以外への合格を出す事もできるので、面接印象が悪かったための不合格だと思います。

不合格になるとこのような通知が届きます。


大まかな不採用理由


面接と同日に受けたTOEIC


大きく分けて4つの不合格理由があり、

技術的な問題
健康上の問題
語学の問題
応募者間での席の取り合い

技術的にも、健康的にも、語学的にも問題が無かったようです。

2年の間、青年海外協力隊に参加し、帰ってきたら
協力隊に不向きな人間になっていたといったところでしょうか。

今は個人で仕事を受けていますが、先の事を考えないといけませんね。
やはり協力隊へ参加するなら「現職参加」がお勧めです。

2012年8月7日火曜日

民間連携ボランティア - 人材の育成

前にも書きましたが、最近JICAは民間からの優秀な人材を
ボランティアとして派遣する仕組みを推しています。

民間連携ボランティア制度

その枠組みでは、費用に関する民間への負担の軽減について大きく触れています。

人件費補てん制度

基本給 80%補てん
賞与 80%補てん
社会保険料 給与x15.5%
退職金給与 給与x11%

上記上限55万以内

ちなみに取り扱い説明書は57ページにも及びます。
人件費補てん/諸経費支払い

この仕組みを使って応募する方たちは、無職参加と比べ
経費が2-3倍になりますが、プロフェッショナルとして
技術力の高い人たちをJICAは派遣する事ができます。

ボランティア一人を派遣するのには700万-1000万かかる
といわれていますが、これは現地職員の高額な給料も
含まれています。ボリビアでは60人程度のボランティアに対し、
20人程度の日本から派遣されたスタッフと現地スタッフが
働いていました。彼らは専門家たちのお世話もしていました。

こういったスタッフにお金がかかるので、どうせならボランティアの
人数を縮小して、よりプロフェッショナルな人たちを募集するのも
ありかと思います。

今は常時3000人ほどが協力隊員として海外で活動していますが、
1000人程度に減らして専門性を高めてみるのもいいかもしれません。

その代わり村落開発などのTHE協力隊のような職種は、なくなって
しまうかもしれませんが、協力隊のイメージそのものが将来的に
変わっているかもしれません。

2012年7月23日月曜日

帰国後の生活

3月22日に帰国、そして今日は7月23日。

ちょうど4ヶ月が経った。

帰国してしばらくは親族や知り合いへの挨拶回りをしたり、
自治体などへ報告をしたりする生活が続いた。

1ヶ月過ぎたごろ、お誘いいただいた会社の就職面接を受けたりしたが、
縁無くお断りを入れる事になったりで、主に身の回りの整理をしながら過ごした。

2ヶ月経ち、そろそろ方針を決めなければと思っていたところに、
知り合いからWeb系開発の案件をやらないかと勧められた。
しばらくのほほんとしていたが、3ヶ月も経つと生産性のある何かをしていないと
生き心地が悪く、勧めてもらった案件をする事に。

ワードプレスを用いたWeb制作プラスアルファの仕事、
これが思いのほか面白く、しばらく関わることになった。
それから1ヶ月が過ぎ今日に至る。

本当は、青年海外協力隊に参加したことがあるという強みを生かした
仕事に就きたいと思っていたのだが、結局は参加する前までに
積み立ててきた自分のスキルを使う仕事をしている。

なかなか難しいものですね。

2012年7月5日木曜日

24年度、春募集の1次の合格発表

24年度春募集の1次選考の合格発表がありました。

【平成24年度春募集】職種別一次選考合格発表

要請数 「1109」 に対し 「1550」 の応募があり、「8」の辞退があったため
受験数 「1542」 に対し 「1022」 の合格があったようです。

クロスロード2012年7月号によると、2012年4月末時点で
派遣中の隊員数は 「2169」人となっています。
派遣年数は2年ですので、年間の派遣数は約 「1084」 という事になります。

協力隊では年2回の募集をしており、春募集での予想合格者は 「542」 です。
合格後に辞退する人も多数いるようですから、実際はもう少し多いでしょう。


受験数 「1542」 、1次合格者数 「1022」、 最終予想合格者数 「542」


要請数に対して応募が多い職種は、必然的に落とされる人も多くなります。

職種 要請数(応募数)[1次合格者数]

村落開発普及員 78(256)[135]
青少年活動 28(232)[65]
環境教育 33(95)[54]
日本語教師 35(108)[76]

我がコンピューター技術はというと2割ほどが落とされたようです。

コンピューター技術 36(35)[29]


2次選考の合格者発表は8月です。
たくさんの人が受かる事を願っています。

2012年6月18日月曜日

24年度、春募集の内容

青年海外協力隊の春募集がありました。

http://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/

これによると1109人の要請に対し1550人の応募者があったようです。
去年から応募人数が落ち込んだようですが、今年も去年と同じ水準になりそうです。

去年
青年海外協力隊、応募者数が大幅減 震災など影響か

以前はこんなにはっきりと待遇を書いていなかったと思いますが、今は待遇について詳しく知る事ができます。
待遇と諸制度

平たく言うと、

・渡航費出します
・現地で怪我した時の医療費出します
・生活費出します(国別で1ヶ月280~760米ドル程度)
・住居費出します(その国で決められてる上限まで)
・もろもろ手当て出します(無職・雇用保険無しで月8万5千円)

こんなところです。

基本的に一部の職種を除けば、要請数よりも応募者の方が少ない職種がほとんどです。

職種 要請数(応募数)

村落開発普及員 78(256)
青少年活動 28(232)
環境教育 33(95)
日本語教師 35(108)

などが要請も多いが応募も多い代表格

我がコンピューター技術は36の要請に対し35の応募。
私が応募した時も同じぐらいの数でした。

経験上1次では健康面などで1-3割程度が落とされます。
そのため1次をパスすると、リストにあるほとんどの職種では
人が足りないため受かりやすくなっています。

現在JICAでは、より良い人材を求め、現職参加制度を推しています。
世界に出ようとしている企業にとって、海外を知る社員が欲しいところです。
能力のある人をいきなり取ってくるのは難しく、社内で育てるのもまた難しい。
そんな企業の人材に2年間ボランティアとして参加してもらい、
JICAとしては優秀なボランティアを呼び込め、
企業としては海外へ出るための人材を育てる事ができる、
そんな仕組みを検討しています。

日本では留学生を積極的に採用して国際競争力を高める準備をしている企業が増えています。
国際化が進んでいる中、これはなかなか面白い提案だと思います。

2012年3月22日木曜日

帰国までのスケジュール

帰国直前の隊員はとっても忙しい。
スケジュールをメモしておきたい。

私の派遣期間は2010年3月23日~2012年3月22日となっていた。

3月17日、ラパスからサンタクルスへ帰国報告のため移動。
3月18日、帰国報告
3月19日、表敬訪問
3月20日、ボリビア出発36時間の旅の始まり
3月22日、日本の成田へ到着 ペルー、アメリカの2空港を経由
3月23日、帰国研修1日目
3月24日、土曜日
3月25日、日曜日
3月26日、帰国研修2日目
3月27日、帰国研修3日目
3月28日、途中入社面接
3月29日、実家に帰省

ざっとこんな感じであった。
3月17日の前は引越しの準備や挨拶回りなどにも時間が取られ、
ほとんど活動らしき事はできない。

現職参加の皆様はほとんどが4月から会社勤め。
その他はアルバイトしたり、学校行ったり、旅行したり人それぞれ。

2012年3月9日金曜日

さようならボリビア (Adiós Bolivia)

ボリビアを出る、それは2010年3月24日に入国した時に既に分かっていた。

2年間をラ・パスで過ごし、いつの間にかとても大好きな場所となっていた。
協力隊が終わっても、まだ残りたい気持ちが強く、仕事を探してみた。
運良く、4月から募集している1年間の仕事があり、応募してみた。
受かればもう一年ボリビアにいられる。期待が膨らんでいた。

しかし、受からなかった。不合格通知を受け取った時、
「ラパス滞在残り9日間」と書いてある棒でぶん殴られたような
ショックを受けた。たった9日間。悲しさが押し寄せてくる。
受かったらあの人会える、この人と会える、と思い描いてた。

全てが0になった。残りの9日間を大切に過ごしたい。

2012年3月7日水曜日

帰国直前、心境など

残り2週間を切った。

今日、活動先に私の活動についてのまとめを確認しに、調整員が来る。
職場の人間、調整員、私でどんな事をやったのかレビューする。
それが終わると、後は活動終了日である金曜まで好きに過ごすだけだ。

普通なら、過去を振り返り、思い出に浸っているのかもしれないが、
現職参加でない私は、4月からの生活について、どうするかが重要。
幾つか候補は考えている。ありがたい言葉も頂いている。

36歳という年齢、私の考えからすると、本来なら既に技術を会得し、
それを社会に還元し始める年齢。学習するだけではなく、その反対である、
教育も行なっていく頃である。しかしながら、私はまだまだ学ぶだけ
という領域から抜け出ようとしていない。

コンピューター業界で稼いできたわけで、技術はある程度ある。
英語圏に5年、ボリビアに2年住んでたわけで、技術はある程度ある。
これらの技術を使った仕事を探すのが普通なのだろう。

しかしながら、まだ新しい物を探そうとしている。そして見ようとしている。
自分の知らない世界が広がっている、その中の一部を体験したいと思っている。
36歳という年齢でなければ、それは普通なのかもしれない。

私はずいぶん長いこと一人でいる。孤独というのを通り過ぎ、
一人でいる事が極普通である。何をしても自由。自由にした結果、
仕事を辞め、学ぶ事に重点を置いた生き方をしている。
日本という国では、そういう生き方ができてきた。

さて、これから。新たな領域に手を出そうとしている。
受かるかどうかはわからない。しかし、受験はした。
受かれば、この仕事が完結するまで全力を尽くすのみである。

これまで出会った人たち。素晴らしい人間がたくさんいる。
困った時、私のような人間に声をかけてくれる。
励ましてくれる、助けてくれる。

ありがとう。

2012年3月4日日曜日

ウユニ塩湖への旅

2年間、行きたい気持ちはいつもありながら、なかなか行かなかったウユニ塩湖。

たくさんの空想を描きながらやっと本当に行ってきたー。
旅をする時は、まったく準備をしない私。今回も何も調べないで行ってきた。
ラパスから3時間半でオルロ。オルロから7時間でウユニの町。
朝9時に出て夜10時半にウユニ。何気に近い。

ウユニの町に着くと宿の呼び込みがいっぱいと聞いていたので、駅を出て待ってみるも
到着した旅人たちはどんどん散っていきやがて私だけに。。。 嘘情報。。。
慌てて宿を探し始める。情報無いので見た目で決めるしかない。
とりあえずホステルだよなぁ。。。 と最初に目に止まった看板の奥へ。

いっぱい。。。 

観光シーズンだし、夜10時半だし、当然といえば当然。次へ行こうとした時
同じ宿難民に遭遇。いるのね、俺みたいな、無謀な旅人。。。 一緒に探す事に。
3-4件回ってみるも空いていない。やばー、と思い始めた時、ツアー会社の
オバちゃんが話しかけてきた。宿を紹介してくれるって。そしてツアーにも
参加してーーーって。宿は40ボリで1部屋バス・トイレ共同。まぁまぁ快適。
ツアーはまだよくわかってなかったので断った。

次の日ツアーを探してみるが、その日のツアーはやたらいっぱい。
翌日のウユニ塩湖の塩のホテルに泊まる日程を組んでもらった。480ボリ。

塩のホテルに泊まる目的は、夕暮れ、夕日、夜景、星空、朝焼け、朝日!
そして、2日あれば鏡の世界を見れる可能性も広がる。
自分が見たい景色を見られるのは天候による。運。だからこの地に
何日も滞在する旅行者がいる。絶景を見るために。

私は普段のウユニ塩湖の景色を知らない。でも、私が滞在した時間は
天が与えてくれた恵みだろう、と思えるほど美しかった。

塩湖を歩くと、足の毛に塩が絡まる!放おっておくと玉が大きくなる!

塩の結晶がいっぱい流れている。ピラミッド型で神秘的。自然って面白い!

夕日は絶景!影が美しい!

朝靄チック。フラミンゴがいっぱい飛んでます。

言葉、いらないね。

ただただ美しい。

ここでやるトリックにしては。。。
水がいっぱいでトリックするにはちょっと厳しかったー

きれいー

雲が出てきて、こんなに綺麗に反射!

チリ人美女と ;)

信じられないぐらい観光客がいて、みんなが一箇所に集まるから
お友達ができやすい。ここで1週間友達つくればきっと世界一周できる。

塩のホテル。ティンクの衣装!

同じく塩のホテル。壁は全て塩でできてる。夜は電気無くロウソクで。

ウユニ塩湖、また行きたい。

2012年1月26日木曜日

職場での正式な扱い

ボランティアというものは常々、誰かに求められた所へ行くものと思っていた。
しかしながら、私の場合非常に微妙な立場にある。

JICAと活動先が結ぶ契約書が存在する。内容を見ると活動先がベースを作っていると思われる。
その契約書の中に気になる言葉が。Pasantía. 調べてみると見習いとかインターンシップとか
そんな意味らしい。えっと、インターンシップ?現地の知り合いに聞いてみると、経験のために
ただ働きする人ってことだとか。日本での意味合いそのまま。。。

1年10ヶ月の中で、確かに周囲を巻き込んで職場改善!なんて事はなく、
ただ黙々と上から命令された仕事をこなす勤務員の一員としてここにいた。

契約書の中にPasantíaには1年半の間バケーションが無いなんて書いてある。
1年半を過ぎれば20日の休暇の権利が与えられる。
実際にはそれほどキツイ縛りは無く、何日も体調不良で休んではいる。
しかし、日本人だからだろうが、Pasantíaという立場上、他の人が働いている時に
休みは取りにくく結局のところ長期休暇の申請はこれまでしていない。

部署のトップ以外にとって私はお客さんのようで、だいたいは私の仕事の内容や
作業の進み具合などには興味は無く、日本からきた珍しい話をしてくれる人、
ぐらいに思われている。イベント事は何でもよく誘われ、特にフットサルは
もうコアメンバーの一人となっている。

ザ・協力隊的な活動はなかなか出来ずとも、こちらでの生活はなかなか楽しい。
職場を出れば自由な時間がかなりあり、自分の好きなように使える。
他の隊員と語り合うもよし、現地人と飲み明かすもよし、踊りまくってもよし、
研究するもよし、勉強するもよし、家でボケッとするもよし、自由!

日本で時間に追われる生活をしていた人にとっては、信じられないほど
たくさんの時間がある。やりたかった事がある人にとっては、
新しい事を始めて、それを好きなだけ極める時間がある。
ある人は楽器を、ある人は踊りを、ある人は言語を、なんでもあり。

例え、職場での扱いがショボショボであったとしても、それがすべてではなく、
自分の工夫次第で、生活はいくらでも変化する。これらは視点の持ち方次第。
活動先で上手くいかないからと、他に生活のベースを移すのを「逃げ」だと
考える人もいる。しかし、他の視点からは「開拓」と取れる。

実際、隊員は好き勝手な主張ができる。それを制限する壁は低い。
自分を正当化しなければとても辛くなることもある。答えが無いこともある。

ただ、生きることに一生懸命である間は、光明も一緒についてくると思っている。

2012年1月22日日曜日

ハグミー、ハグハグハグハグ

シャイな私がボリビアで最初は抵抗あったけど、今では慣れた事、
それは女性との出会いと別れの挨拶。

「郷に入っては郷に従え」とよく言いますが、確かにこの挨拶の時の
顔を合わせる動作にもシチュエーションによって色々違いがあるのを
知る事ができた。

1年を過ぎると、顔なじみも増える。カリーニョ(親愛?)を持って接する
人たちがたくさんになる。そうするとこれまでほっぺたベソ(チュ)が
ノーマルだったのが、ベソ→ハグ→ベソのパターンになる。
ちなみに男も、握手→ハグ又は肩を叩き合う→握手になる。
毎日顔を合わせてる仕事の仲間とはそこまではしないのだが、
週明けとかはやったりする。

最近、このハグに慣れてしまって、日本人にもしてしまいそうになる。
あ、ちなみに、相手が自分みたいに慣れ慣れだとそういう挨拶します。
でも、不思議なもので、そういう習慣が無いところで知り合った人は
2年近くボリビアに一緒にいながら、一度も南米流の挨拶をしたことがない。

日本でながらく、女性に触れる事すら抵抗があった自分にとって、
(あ、KTCでは少しハグらせてもらったが)南米に来てからの変化は
かなり大きい。

日本に帰って同じ挨拶したら、セクハラおやじとして叩かれるんだろうなぁ。。。

2012年1月21日土曜日

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2011年9月3日土曜日

2012年1月18日水曜日

2年間、ただ暮らすだけで語学は伸びるのか

答えはNO。協力隊員は様々、語学の伸びも様々。

語学の才能に溢れる人もいて、自分とは出来が違うと肌で感じる事もある。
ただ、語学ができると言われている人は、それだけ語学に費やしている時間も多い。
努力を惜しまない、というより、普段の生活の中に語学を使う機会を組み込んでいる。

毎日家でNHKを見て、他ボランティアと日本語を話していれば、
毎日ローカル番組を見て、現地人と会話している人との差は少しずつ開いていく。

でも、NHKを見たり、日本語を話したりする事自体はそれほど問題ないかもしれない。
ボリビア隊員の中でずば抜けた語学の能力を持ってた人は、日本人の恋人がいた。
問題はきっと生活の中に現地語をどれだけ組み込むのかだろう。
そして、そういった意識をどれだけ保てるのか、それが難しいところ。

自分の語学能力を測るのは難しいが、たぶん真ん中ぐらいだと思う。
英語能力がある分、他の隊員よりスペイン語を学ぶアドバンテージはある。
たまに「英語ができるから」と他の隊員に線引きをされてしまう。

語学の能力とはきっと頭の良さにはそれほど関係ないものなのかもしれない。
物事を順序良く分かりやすく説明したり、面白い事を言ったりするのは別の能力で、
単純に言葉をしゃべる事自体は皆大差なく学べる事なのではと思う。

高校受験時には250点しかなくて志望校にいけず、大学受験時には受ける大学がなく、
海外に逃げて、そこから少しずつ積み立てて、英語を学び、コンピューターを学んだ。
積み重ねのおかげで、仕事にも就くことができたし、協力隊に来ることもできた。

頭がいいとかではなく、毎日の小さな積み重ね、環境作りへの努力が、
語学の伸びに関与してくるものだと感じてならない。

2012年1月3日火曜日

習慣という大きな壁

青年海外協力隊で派遣されて、現地で結構な数の隊員が直面する問題がある。
その国の習慣、豊かになりたいと願うのに、現状を変える努力はしない。
目標を立て、スケジュールを管理し、その成果を評価するなど、
日本では結構普通な事が行われない。組織の下になればなるほど。

隊員は、学校や保健所など、ある種の組織に配属される。そしてしばらく
働いていると、気がつくのである。本気でこの現状を打破し、レベルを
確実に上げるためには、1つの学校でちまちまやってても何も変わらない。
もっと組織の上の方で抜本的な事が変わらないと、良くなることは無い。

気がついたときに選択肢ができる。その点は割り切って今の活動先の仲間と
仲良く2年間を過ごすのか、絶望したまま2年間を過ごすのか、もっと上の
所から改善させようと動くのか、活動以外に道を開くのか。

ちなみにボリビアの公立校では、先生が来ない、ボランティアに任せて
帰ってしまうなど、日本では考えられない事が普通にあるらしい。
習慣とは怖いもので、だからと言って学校で大きな問題として
取り上げられることもない。ボリビアの学校とはそういうものだから。
こんな事を国から無くさせるためには何ができるのか。その先生を
注意したところで、ボランティアは権限が無いから相手にされない。
もし、一人の先生を何とか改心させたとしても、他の先生が感化される事はない。
やはり、組織的にトップダウンで意識改革を迫るしかない、と言うのが現実的。

習慣、それは時に協力隊の活動を妨げる大きな原因となる。時間にルーズで、
期限を守らない、約束は守らない、上辺の返事ばかり、面倒事を押し付ける。
JICAはいつお金をくれるんだと言われたり、お金が下りないと分かってしまうと
話しかけてこなくなるなんて事も。

悪い習慣だと分かっていても、それを変えさせるのは困難。そしていつしか、
自分を相手に合わせるようになる。そうしないとストレスで頭が壊れる。
ある程度の悪い習慣を取り入れつつ、自分のやりたい事を広げていく。
そういった落しどころをみんな作っていく。

前のエントリーに匿名で、

「何か成果として残せなければ協力隊員として恥ずかしい生き方」
という旨のコメントをしていただいた。
社会人経験の無い協力隊隊員のその後

成果とは何か、自分が置かれている環境の中で、どれぐらいの事を達成すれば
100%の人に認めてもらえるのか、それは第三者の評価機関がなければ
語るのにはあまり意味が無い。何故なら人によって価値が変わってくるから。

協力隊の中には、最初からプロジェクトの中で活動を期待される人もいれば、
配属先機関から何も期待されず、相手にされず、何もする事がないマイナスの
状態からスタートする人もいる。残す成果もまったく違ってくる。

派遣先特有の習慣の壁をどのように見るか、どのように感じるか、
どのように対応するか、それはそれぞれの隊員の活動に大きな影響を及ぼす。

時に思うのは、現地の人たちからどれだけ好きになってもらえたか、
それがある意味一番の成果となるのかもしれない。

2012年1月2日月曜日

青年海外協力隊事業への提案

ボランティア事業を展開している青年海外協力隊。
毎年たくさんの税金が注ぎ込まれている。

昔は手書きで報告書を提出したのだろうが、時代が変わって
今はインターネットから投稿するようになった。IT化の流れにより、
より隊員の管理等、便利になった事もたくさんあるのではないかと思う。

青年海外協力隊の隊員が世界中に散らばって、いったいどんな事をして
その国の役にたっているのか、ほとんどの人は知らないだろうと思う。
雑誌を出版し広報に勤めているようだが、ほんの一握りの選ばれた人しか、
出てくることはない。

これだけインターネットが普及し、情報の共有化が簡単になったのだから、
JICAは隊員の活動をもう少し透明化してはどうかと思う。何か提案すると、
すぐ「予算が」と言って取り合ってくれないが、やり方によっては
それほどお金がかかるわけではない。(大企業にコンサルとシステム構築を
依頼しているだろうから、ちょっとした仕様追加でもとんでもない
金額を請求されるのかもしれないが)

具体的には、まず全ての隊員が今現在何を行っているのか、数行で書いたものを
リスト化してWEBに載せてはどうだろうかと思う。難しく書く必要は無く、
調整員が月1度、隊員から何をしているか聞いて載せる。調整員の仕事が
増えるだろうが、それほど大変な作業だとは思わない。むしろ、そういった事を
書くことで隊員もビジョンができやすく、身も引き締まるのではないか。
またタイムリーに事象を扱うことで、協力隊事業に興味のある人はより
身近に感じる事ができるだろう。

そして、全体を通してみる事ができれば、協力隊の活動はどういった
トレンドがあるのか、各国によって求められるものが変わるのかなど、
面白い発見ができるかもしれない。

ちなみにこれまで、派遣が決まった隊員全員に対してOBになっても使える
メールアドレスを発行してはどうかと提案したことがあるが、答えはNO。

協力隊員が国を超えて横つながりで活動のコミュニケーションができるように、
そして、それを自分の活動に生かせるように、隊員のSNSを作ってはどうかと
提案した事もあったが、NO。

きっと何を提案しても、ダメだろうなという、閉塞感が漂う。
テクノロジーを使えばもっといろいろできるのにね。

2012年1月1日日曜日

世界人口70億人、地球最大の問題

2011年は人口増加問題の節目となった。70億人突破。
National Geographic 70億人の地球

人口問題、単純に言うと「作物が人数分確保できない」事。

人口増加は主に途上国、もともと食料が確保できていない国がほとんど。
そのため、人口増加は更なる貧困を招く事になる。

単なる貧困問題を前に様々な団体が援助を行う。
辛うじて生きながらえる途上国の人々。
そして、10人の子供が生まれる。
貧しさから働かされる子供。

これまで長い間援助団体が働いてきて、赤ちゃんや子供の死亡率を下げ、
飢餓を減らす事はできたかもしれないが、人口増加に関してはなす術なし。

ちなみに、人口問題については、山本敏晴さんのブログで勉強させてもらってる。
人口増加問題、そして資源の枯渇の確認 2,483字

日本では既に計画出産が当たり前、生涯に何人の子供を生むのか決めている人が多い。
ボリビアの田舎なんかでは、生まれるだけ生まれてくる。

近年、小麦の価格が上がると言われている。ベーシックな食品は全てそのようになる。
コーヒー豆も需要が増え、価格が上昇している。嗜好品もじわじわ上がるだろう。
国内で穀物生産がほとんどできていない日本は今後この問題に大きく直面する。

人口増加問題は必ず起こる未来。100%やってくる。
途上国の貧困層が現在のように我々をカバーしてくれたままにはならない。
日本人として、よく考えなければならない。

国の人口順リスト