2011年10月31日月曜日

青年海外協力隊の応募者の減少、時代と共に一万から四千前後へ

応募のピークは平成6年の1万1832人。それ以後減少が続いている。
国際貢献、人材足りない 青年海外協力隊の応援激減 被災地にボランティア殺到

記事には以下のようにあるが、
「JICAでは「国際貢献の質を落とすわけにはいかない」と危機感を強めている。」
質の低下は既に随分前から始まっているのではないだろうか。

質とコストの問題は常に対局の位置にあり、議論の対象となる。
質とはすなわち経験であり、すでに仕事をこなせる実績のある人たち。
主に、現職参加という形で参加してもらい、派遣中は給料の8割を補填する。
そのためコストはバカ高い。

現職参加制度はJICA0負担ということにもできる。0負担の場合、活動終了後に
職場に戻れるというだけで、金銭面の待遇は無職参加と変わらない。

現職参加の場合、馬鹿正直に補填制度を使っているという必要はない。
400人いる同期の中で補填制度を使っている人はそれほど多くないため、
堂々と「補填制度を使って自分は毎月、給料の8割を受け取っている」
なんて宣言するのは多少なりとも後ろめたい気持ちになる。
200万と1000万の違いになる事もあるからだ。(23年度からは100万と1000万か)

現職参加とは対局にあるのが、新卒参加。仕事経験0。学校の知識だけ。
経験がないので、無職参加しかできず、安上がりである。給料を貰ったことが
ある人も少なく、積立金に対する満足度は仕事の経験がある人に比べても高い。
金銭に関する文句は出にくい。JICAとしても扱いやすい。

新卒参加の中には、「をを、こいつスゲー」と感じる才能を放つ人もいるが、
平均してみると、仕事をしてきた人間と比べると、やり方が浅く雑に見える。
人間的にも未熟で、上辺ばかりを見て深く知ろうとしない事が多い。
(まぁ、30歳以上でも経験隠して、上辺だけ見せて、若い人に伝えようとしない人も多いが)

JICA的に一番美味しいのは、現職参加で0給料負担、二番目は経験豊富な
無職参加の人。ただし、年齢が上であればあるほど、情熱が低く、言語の伸びが
悪くなる傾向にあり、また、経験から世の中がどんなものかある程度わかっている事が
良くない方向へ作用する事もありがち。

応募者の減少は将来の青年海外協力隊の質を更に落とす事になる。
事業としての存続の意義を考える時なのかもしれない。

専門家などのエキスパートに的を絞るように。
(専門家の方がよほど金かかってると思うが、批判を聞いたことがない)

2011年10月30日日曜日

協力隊番外編 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 を17年ぶりに見た感想

協力隊とは全く関係ない、ただの映画に関する感想です。

私が 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 を初めて見たのは19歳でオーストラリアにいた時。
当時トム・ハンクスが大人気で、大きな話題となっていた。

英語にまだ馴染んでなかった私は、最後まで主人公が障害者だと気がつくことは無かったが、
ストーリーはわかりやすく、映画自体は楽しめた。

その後、ちょいちょいと映画を目にする機会があり、最初に見た時に足りていなかった
情報を補完していったが、映画の最初から最後までをじっくり見ることは無かった。

昨日、17年ぶりにじっくりと映画を見た。英語音声のスペイン語字幕で。
そして、映画を見ている時の感情が初めて見た時とは全く異なる事に気づいた。

オーストラリアで見た時は、まず羽に代表されるCGが印象的で、映像にナチュラルに
挿入されたたくさんのCGに、これからの映画がどんな風に変化していくのか楽しみにさせられた。
そして、ストーリーの展開の速さや軽快さは純粋に映画として楽しめた。

17年ぶりに見る 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 はヒューマンドラマとしての深みを増していた。
これは、歳をとって涙もろくなっただけなのか、それともこの17年の経験を映画の様々な
シーンと重ねられるようになり、新しい共感を生むようになったのか。

歳を取ると映画が更に面白くなるという考え方は、これからの人生の美味しいスパイスになる。
また17年後にこの映画を見てみようかな。

(ちなみに、フォレスト・ガンプの息子役がシックスセンスの子役だったのは面白い発見だった)

2011年10月29日土曜日

国立統計院トップの誕生日

国立統計院のトップの誕生日があった。

部署の誰かの誕生日があれば、直ぐに分かる。イントラネットにアクセスすると、
誰かの誕生日であれば、それを知らせてくれるから。しかしながら、今日の
イントラネットには何も載っていなかった。

10時頃、A1二枚ほどの大きさの紙が我が部署のインフォルマティカに回ってきた。
トップにプレゼントする寄せ書きを作成するために、コーディネーターが紙を各部署へ
持ってまわる。200人ほどになる全ての人間が書く。書かない人は。。。
私はいつものように日本語で書いた。日本語は受けが良い。

10時半からほぼ全ての人が視聴室に集まり、トップの誕生日を祝う。
いつも通りサルテーニャを食べるのだが、視聴室に入りきらず廊下にまで溢れた
沢山の人達を見ていると、立食パーティのように賑やか。

トップが相当慕われているのか、それともこれがボリビア流なのか、
1人の誕生日のために1-2時間の仕事が止まる、トップの誕生日というのは、
きっと日本では受け入れられない行事だろうと思う。

日本ならばワンマン社長のゴリ押しイベント、下の者は顔色を伺いながらの
ご機嫌取りになりそうだ。しかし、ここはボリビア、雰囲気は普通。

午後からは普通の1日に戻った。

2011年10月28日金曜日

これまでこのブログに来ていただいた日本国内の皆さま

Shinjuku
Shibuya
Osaka
Chiyoda
Tokushima
Tokyo
Minato
Nagoya
Kagoshima
Yokohama
Sapporo
Kobe
Fukuoka
Kyoto
Akita
Naha
Saitama
Shizuoka
Itabashi
Komatsushima
Miyazaki
Kanazawa
Nerima
Niigata
Tsukuba
Kizuki
Kusatsu
Utsunomiya
Iida
Sendai
Nagasaki
Hamamatsu
Hiroshima
Chuo
Chiba
Gifu
Kawaguchi
Akashi
Suginami
Koide
Mito
Kanagawa
Kawasaki
Kumamoto
Tokorozawa
Nagano
Saga
Meguro
Iwaki
Nara
Bunkyo
Okayama
Koriyama
Yamagata
Yokkaichi
Ichikawa
Toyama
Urasoe
Matsumoto
Wakayama
Setagaya
Fukui
Oita
Suita
Narashino
Ota
Otsu
Nakano
Hodogaya
Edogawa
Kochi
Takamatsu
Matsuyama
Maebashi
Fukushima
Wako
Itami
Morioka
Fuchu
Adachi
Sagamihara
Tachikawa
Shinagawa
Nishinomiya
Hiratsuka
Miyakonojo
Ogaki
Uji
Kamakura
Musashino
Hirakata
Kariya
Kumagaya
Kasugabaru
Takaoka
Yamaguchi
Nagahama
Nagareyama
Sano
Owada
Kasukabe
Takachiho
Funabashi
Nagaoka
Tokunoshima
Naka
Kodaira
Asaka
Yamato
Obihiro
Ueda
Aomori
Kajiki
Machida
Tsu
Yamatokoriyama
Yawata
Akiruno
Shimodate
Ikoma
Inazawa
Taito
Asahikawa
Hachioji
Fukuura
Kitakyushu
Shiroishi
Nogata
Sumida
Ibara
Hino
Tagawa
Ryugasaki
Tonami
Kita
Tsushima
Himeji
Fujieda
Yonago
Sakado
Tsuchiura
Iruma
Kuwana
Omuta
Fukuchiyama
Misato
Sakai
Mihara
Higashihiroshima
Nisshin
Arakawa
Fussa
Kurume
Kawagoe
Kofu
Takarazuka
Higashikurume
Yao
Kokubunji
Beppu
Yamatotakada
Izu
Kakogawa
Yokosuka
Nishiwaki
Akishima
Kasugai
Chofu
Amagasaki
Takatsuki
Ina
Kitakata
Higashiosaka
Tatebayashi
Odawara
Minokamo
Numazu
Karatsu
Kashiwa
Ishioka
Ashikagga
Kamimaki
Sakura
Neyagawa
Saiwai
Okazaki
Omiya
Yokaichiba
Tokuyama
Takayama
Tajimi
Shiga
Kozan
Katsushika
Matsue
Nabari
Okinawa
Hakodate
Yamanashi
Taketa
Harima
Tanashi
Moriguchi
Iizuka
Kobayashi
Kasumigaseki
Yono
Ageo
Iwade
Omihachiman
Atsugi
Isahaya
Kaizuka
Kurashiki
Komae
Toyota
Kadena
Isesaki
Koganei
Noboribetsu
Komaki

これまでこのブログに来ていただいた国の皆さま

Japan 約半数が日本から
Bolivia 約1/4 がボリビアから

合計86ヶ国! なんかすごいねー。

Guatemala
Uzbekistan
Costa Rica
United States
El Salvador
Bangladesh
Tanzania
Brazil
Paraguay
Vanuatu
Senegal
Ecuador
Micronesia
Canada
Spain
Laos
Ghana
Panama
Uganda
Chile
Mexico
United Kingdom
Maldives
Vietnam
Indonesia
Peru
Argentina
Philippines
Morocco
Thailand
Germany
Fiji
Mongolia
Australia
Benin
Honduras
Venezuela
Taiwan
Dominican Republic
India
Kyrgyzstan
Bhutan
Kenya
Sri Lanka
Cambodia
Cameroon
Saint Vincent and the Grenadines
Colombia
Nepal
Egypt
Burkina Faso
Italy
Malaysia
Jamaica
Jordan
Uruguay
Russia
Zambia
Rwanda
Papua New Guinea
Namibia
Botswana
Greece
Ireland
Dominica
Turkey
Qatar
China
South Africa
Singapore
Hong Kong
Ethiopia
South Korea
Lithuania
Niger
Gabon
Guam
Nicaragua
Sweden
Solomon Islands
Finland
Samoa
France
United Arab Emirates

2011年10月24日月曜日

笑いの根底。個人的に感じる日本との違い。

当然といえば当然だが、ボリビア人と日本人の笑いのツボは違う。
こちらに来てから感じるようになったのは、日本では用意された笑いがあるということ。

ゴールデンタイムにテレビのスイッチを入れると放映されているのはお笑い番組。
又は、視聴者を楽しませ、笑わせる番組が多数ある。たくさんの人が番組をみる。
ビートたけし、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、たくさんの芸人たち、
日本人でこれらの名前を知らない人はほとんどいないだろう。

これらの芸人は人を笑わせるツボを抑えている。話題も様々。我々はいつしか、
彼らの笑いに慣らされ、自分たちもその笑いの上に身を置くようになっている。
彼らが提案している「笑い」を受け入れ、自分も同じ手法を使う。
笑わせられ方を学び、笑わせ方を学び、笑い方を学ぶ。
意識の共通があれば、例え笑わせるのが下手でも、その努力は見てもらえる。

ボリビアには国民全員が見ているようなお笑い番組はない。お笑い番組はあるが、
だいたいメキシコなど外国から来たもの。こちらの人はテレビを見るよりも
人とおしゃべりするほうが好きで、その中で絶えず笑いが生まれる。
話題はテレビ番組についてではなく、だいたい自分の身の回りについてだ。
きっと同じような話も多いのだろうが、あまり気にしていないように思う。

ボリビアには日本のように提案された笑いというのは存在しないが、
何故かほとんどの人はユーモアのセンスがある。そして、笑いのツボがあるらしく、
誰かが上手いこと言った後に、全員で同時に笑う。1時間も話していれば
全員で笑うのは20回ほどあるんじゃないだろうか。
(この笑いにはいつも取り残される。まだツボが理解できていない。。。)

私がボリビアに来た後、同僚たちすぐに私を笑わせようとした。顔を合わせると
いつもジョークを言ってくれる。それがボリビア流。笑いのベースは周りにいる人たち。

日本でもそういった感じはあるのだろうが、どちらかと言うと「お笑い」のプロが
用意した土台で、笑いを生もうとする人が多い気がする。

海外に住み始めると、日本のテレビ番組は見なくなる。見なくなると気にならなくなる。
現在どんな番組をやっているのか知らない。一生見れなくても別にかまわない。
一度見なくなると固執しなくなるらしい。

ただ、ちょっとまえに見せてもらったアメトーークは呼吸困難になるほど笑ったけどね。
諸見里がカミカミのやつ。死ぬほど笑った。

2011年10月19日水曜日

世界最高地のボウリング?ラパスにて

2週連続でボウリングに行ってきた。

先週は生まれてはじめてボウリングをするボリビア人と行ってきたので、
スペアとかストライクとか意識せず、スコアも気にしなかったのだが、
今週は日本人2人と行ったので頑張ってみた。

日本でボウリングといえば、時間は関係なく、1ゲームいくらが普通だと思う。
徳島でそうだったし、東京でもそうだった。そして1ゲーム400円~600円ぐらいだろう。

ラパスは時間制。30分単位で申し込む。30分で45ボリビアーノ(600円ぐらい)。
靴代が6ボリビアーノ(80円ぐらい)。ゲームを始めると画面に残り時間が表示され、
時間がくるとレーンの電源が落ちる。1人が1ゲームにかかる時間は約10分。
30分で3ゲーム出来ると考えると、日本より安いが、ボリビアの物価からすると、
高級な遊びになる。
(ボーリングが先進的で新しい遊びという感覚はいつぞやの日本にもあったんだろうな)

ラパスのどこかにはおじさんがピンを並べてくれるボウリング場もあるそうだが、
今回は日本のシステムと同じ。全自動、コンピュータ制御である。

南アフリカワールドカップの時に、高地ではボールへの空気抵抗少なく、
フリーキックは浮かび上がってしまう事が多いと話題になっていた。
ボウリングのボールは、特に影響を受けないようで、日本の感覚と変わらなかった。(余談)

この日は3人で1時間申し込み、2ゲーム行った。
そして、スコア 169、168 と、鬼結果が出た。ストライクはダブルまでしか出なかったが、
スペアが面白いように取れた。

このボウリング場に来ているのはほとんどが白人。そしてそれ以外の外人(私たちのような)。
ここに来ると、こんなに外人がいるんだなと驚く反面、格差社会というのを目の当たりにする。
また、育ってきた環境の中に無いものに馴染んでいく難しさもまた感じてしまう。


2011年10月18日火曜日

目のケア、レーシック受けてて良かった

2007年の6月、池袋でレーシック手術を受けた。目はそこまで悪くなかったのだが、
夜は視界が悪くなり、コンタクトレンズやメガネが必要だった。

レーシックを受けた後に見えるようになると、朝起きた時に感動するなどと
いう人もいるが、見えるようになったことで私はあまり感動しなかった。
見え方はコンタクトレンズを入れていた時とあまり変わらず、それほど見えることに
凄さを感じなかったから。

しかしながら、術後のメンテナンスを考えると、その恩恵は計り知れないものとなる。

コンタクトはDailyや1週間、月、交換なしなど様々なタイプがあり、やはりDailyタイプが
一番清潔で使ってても気持ちが良かった。しかしそのコストは年8万ほどになり、
メガネとの併用でなんとかコストを抑えていた。交換なしで毎日洗浄するタイプも
使ったことがあるが、数ヶ月後、レンズに小さな傷がついているのか目に入れると
違和感が出るようになることが多かった。

メガネもコンタクトも、出張や旅行に行く際には忘れてはならない代物で、洗浄液や
入れ物を忘れた時の落胆は計り知れない。

メガネは着け外しが頻繁で、ふと床に置いてしまったりする時があり、
踏んでしまって少し歪んでしまったりすると、その後、レンズが斜めになったまま
使っていたりした。

レーシック後はそれらの煩わしさが一掃。どこへ行くにも、目の心配をする必要が
無くなったのだ。

青年海外協力隊で海外に出ることになり、この恩恵は更に威力を増す。
途上国でのメガネのメンテナンスやコンタクトレンズのメンテナンスは更に困難で、
メガネは壊れてしまえば、直せなかったり、コンタクトは合う洗浄液が見つからなかったりと
対応に困る。大都市隊員ならそれほどの心配も無いかもしれないが、絶対的な
安心はない。

レーシックを受けてから、目をなるべく疲れさせないように心がけているためか、
術後の1.2-1.5の視力を保ち続けている。このため、視力が原因で任地で
困ることもない。

また、日本には存在しない病原菌が途上国ではたくさんあると聞く。
目と手が接触する機会が減るのは、病原菌が目に入ることを防ぐ事にもなる。

ラパスという美しい町をいつでも好きな時に見られる目を持っている今、
レーシックを受けていてよかったと感じる。


2011年10月17日月曜日

ラパスにて世界一周旅行中の日本人カップルが死亡

新聞を読んでいると日本人旅行者の死亡記事が出ていた。

La malaria pudo causar muerte de japonesa
Hallan cadáver de una japonesa en un hostal

最初は女性だけだったが、今日の記事には男性も亡くなったと書いてある。
原因はこちらに来る前に行っていたアフリカで感染したマラリアではないかとの事。
ラパスではマラリアにかかる心配はほとんどない(デング熱は聞く)。

こちらに来て、日本人の死亡をリアルタイムで聞くのは2回目。1度目は
ユンガスにある「死の道」でバイクツアーに参加していた人が谷に落ちて亡くなった。

ボリビアでは交通事故が多発しており、日本人に限らず観光客が
巻き込まれるケースは多々ある。ラパスでの交通事故での隊員の死亡は
今のところ聞いたことはないが、一般庶民と同じ交通手段を利用する我々もまた
交通の面では常に死のリスクに晒されている。

今回、マラリアに感染というのは非常に珍しいケース。
私のヨーロッパ旅行の経験から、旅行中は健康状態よりもスケジュールを
優先しがちになる。同じ場所にいるのがもったいなく感じてしまうから。
旅券の事もあるし。ちゃんと、健康ケアを行なっていればこんな事に
ならなかったのではないかと思うと、悔やまれる。




2011年10月16日日曜日

GUERRA DE DANZAS BOLIVIANAS (ラパスで踊りの大会3)

大会から3週間、やっと書く気になった。

準決勝にコマを進めた我々は、大会に向けて毎日練習して望んだ。
その結果は散々なものだった。評価は軒並み低く、40点満点中18点。
他のチームが30-32点を獲得しているのを見る限り、我々のパフォーマンスは
余りにも酷いものだったということだ。

スペイン語がまだまだ弱いせいで、マイク越しに我々にコメントしている
批評家たちの言葉が聞き取れない。後から教えてもらった内容では、
散々にこき下ろしていたらしい。そして、チームの皆に堪えたコメントは
ある批評家が私に助言したこの言葉。

「Recomendo que cambie la fraternidad.」
「他のチームへ移籍する事を助言するわ」

当然、私は移籍することなど無いが、あるメンバーは本気か冗談かわからない
口調で、「チーム変わるの?」などと聞いてきた。

自分には何がそこまで評価を下げたのかがかわからない。踊りの経験が足りない。
スペイン語がわからない。TINKUを理解しきれていない。わからないから余計
虚しさと悔しさが込み上げてくる。

今回の大会はあっけなく終わってしまったが、またもっと小さな大会や
イベントの見世物としてどこかで踊る事もあるようだ。これからも少しずつ
TINKUを自分の中に溶け込ませていきたい。

ちなみに、TINKUとは現地語で「出会い」という意味。
私にとってTINKUとの出会いは忘れられないものとなっている。

(今回は動画を撮ってくれる人がいなかったので動画はありません。)

2011年10月13日木曜日

悲しい知らせ、同期隊員の任期短縮での帰国

また1通のメールが来た。今度はアフリカ同期隊員の帰国。理由は健康上の事らしい。

それにしても、任期を全うできずに帰国しなければならない隊員が多い。
私が知っているだけで7件を超える。私が知っている隊員はせいぜい200人
程度だと思うので、常時2000人派遣されている中で考えると2年間の任期では
その10倍である70人ほどが任期短縮による帰国をしているのではないかと思う。

活動がうまくいっている隊員もいれば、活動以外に力を入れている隊員もいる。
現地のためにまだまだしたいことがる隊員もいれば、早く日本に帰りたいと嘆く隊員もいる。

しかしながら、どんな隊員にとっても任期短縮は辛いことである。色々な事が頭をよぎる。
任地への想い、突然の仲間との別れ、全うできないカッコ悪さ(自分の心の中で)。
なぜ自分だけが、と思ってしまう事もあると思う。

これまでの経験上、それは突然やってくる。誰も予期していない事が起こる。
誰も任期短縮で帰りたいなんて思ってはいない。しかし、突然心をエグルのである。
残って活動する者にとっては帰る者にかける言葉もない。いや、どんな言葉をかけても、
白々しく聞こえてしまう。

これだけたくさんの人を見送ってきていても、やはり任期短縮は自分とは関係のない事に
思えてしまう。何故だろうか。残り半年を無事に終えることができると思っている。
次は自分の番かもしれないのに。

ただ、今回の隊員の帰国は、半分は幸運な事だった。
JICAに感謝。

2011年10月12日水曜日

深考、隊員行事の開催の意味

よく、頑固者とか遊び心が足りないと言われる。私はそんな人間です。

例えばパスタを茹でる時、袋に10分と書いてあれば普通なら10分茹でる。
私は8分や12分の茹で具合が気になるので、それらの時間も試してみる。
逆に他の茹で時間に興味を示さない人たちを不思議に思う。

料理のレシピ。昔ながらの作り方。この通りに作れば美味しくできるだろうが、
私は途中で違った事を試したくなる。よく失敗する。
しかし、その通りにしか作らないのはなんだかつまらなく感じてしまう。

まぁ、要するに人の言う通りするのが嫌なのか、
同じ事を繰り返すのが嫌なのか、
新しいことにチャレンジしたいだけなのか、
そんな感じだと思われる。

ボリビアに来てから、隊員が行わなければならない事が色々あるのを知った。
1年に2回の総会、ほぼ総会とペアになってる分科会と懇親会。
一年に一回発行されるTINKUという隊員が制作する雑誌の編集。
隊員連絡所の管理。

これらはこれまでずっと続いてきており、現在も継続されている。
ハッキリと誰が何をやるのか決めている訳ではないが、暗黙の了解でどの隊次が
何をやるのか決まっている。やらなかったらその隊次は問題児扱いされる(だろう)。

隊員の行事は絶対的な正義を持っており、それに逆らえば逆賊である。
例えば、私はほとんどTINKUという雑誌を読まないので編集する事に全く興味が無いのだが、
編集したいという隊員がいなければ担当する必要がでてくる(幸いやってくれる隊員がいた)。
やりたい人がやればいいのだが、これらは「やりたい」より「やらなければいけない」事に
なっているように感じる。半ば義務のように。

確かに、青年海外協力隊で来ているので、隊員としてやらなければいけないことというのは
たくさんあると思う。しかし、昔からやっているからという理由で何もかもを続けていく事が
本当にいい事なのかは考えなければならない。「やりたい」という気持ちがあるなら、
続けていけばいい。やっちゃダメ、という人はいないのだから。しかし、「やらなければ」
という気持ちで他人を巻き込んで、やらない人を「なんでお前はしないんだ!」と
蔑むような事になってまでする必要があるのかは疑問である。

隊員行事は絶対的正義で反論は許さん、というのはあまり協力隊らしくない。

私の隊次が隊員総会の担当をする事になった際、私は事務所の対応に不満があり、
総会の幹事から手を引いた。しかし、幸いな事に、他の担当者からは苦情はなく、
すんなりと受け入れてくれた。絶対的正義を盾に私を非難する人はいなかった。
たぶん若い人が多かったから? しかし、義務というものを重んじる人は、
協力しない人をよく思わない事が多々ある。本当に自分が正しいのか、それだけが
正義なのか、あまり考えないのだろうと思う。

良くも悪くも、本当の意味で、協力隊隊員に義務というものは存在しない。
管理する組織が無いので、もし隊員たちが何もしない、と決めれば何もなくなる。
空中分解するだけ。それでも、各個人の隊員の活動には支障は出ないだろう。

私も結局、疑問を投げかけるだけで、何も答えは持っていない。
しかし、何も考えないで、ただレールの上を歩くのは好きじゃない。
ただそれだけである。

2011年10月9日日曜日

税金泥棒

我々にぴったりの言葉。

協力隊に来ている間、我々のほとんどは税金を一切納めていない。
収めている人でも、給料泥棒ということになるだろうか。
公務員の方で現職参加で全額受け取ってる方なんて、どうなるんだろうか。

「私は税金分働いているぞ!」という隊員がいれば、どうやって証明するのか教えてほしい。

ちゃんと税金を無駄なく利用できているというのは、結局その人の判断であって、
色々な人の意見を聞けば隙間だらけのスカスカの解釈に過ぎないかもしれない。
税金をめいいっぱい使っているのは事実であり、草の根無償資金協力というもので、
更に税金を注ぎ込む事も多々ある。この草の根だって、最大限に税金を生かせているのか
という疑問には完全に答えることは難しい。

私が1年前にざっと計算した隊員一人にかかる2年間のコスト(現職参加以外)は
http://xjsako.blogspot.com/2010/07/11000.html
約750万となった。

今は経費削減で隊員の積立金やらが減っているので、100万から200万ほど
少なくなっていると思われる。

さて、これだけの税金を使っている我々は、どのようにして無駄なく利用している事を
証明するのだろうか。「一生懸命やっています」では余りに心許ない。

ここは日本から遠く離れた異国の地。納税者の方々の目はとどかない。
何にも縛られることのない隊員たちは、自分の価値観のみによって日々行動を
している(ように見える)。そんな隊員たちの個々の活動を第三者的立場で見た時、
税金分働いていますよ、なんて人は私の知っている限り一人もいないように思う。

JICAのシステムが悪い、行ったら仕事が無いから仕方がない、誰も手伝ってくれない、
任地の人間が使えない、「私は悪くない!」、と言ってしまうのは簡単で、
人のせいにして2年間過ごすことだってできてしまう。周りが自分の思い通りに
動いてくれないから税金泥棒って言われても困る、なんて言う人もいるだろう。

しかしながら、それをわかっていながら、それでも何か派遣された国のために
何かしようと考えるのが青年海外協力隊なのではないだろうか。

私には税金泥棒と言われて言い返す言葉はありません。
私がやりたい事のために、ありがたく税金を使わせて頂いております。

2011年10月6日木曜日

ボランティアじゃなかったらやりません、FINAL

ジャジャジャジャーン

最終回

連絡所に新しく設置されたパソコンは、数回の再インストールの実施の度、
変わらずアップデートの途中で不具合を起こした。単調な再インストールの
作業に飽きてしまった私は、事務所へ簡単に現状を説明し、おまかせする
事にした。

そして事務所の結論としては、別のパソコンを用意してくれる事に。

WindowsXP SP1が初期インストールの時代だから2001年、2002年辺りの
パソコンだったのだろうが、一番「うわっ」と思ったのはDVDドライブではなく、
CDドライブだったこと。最初、DVDをドライブに入れても反応が無く、
DVDメディアの焼き失敗を真っ先に疑ってしまった。ディスプレイも1024x768
という代物で、本当に倉庫から掘り出してきたような感じ。

また新しいパソコンが来たらいじることになるんだろうけど、もう多分
どこが悪いのかわからないまま作業するようなことは無いだろう(と願う)。

リカバリーなんて久しぶりにやったけど、昔はOSの調子が悪くなる度に
やってたような気がする。年に一度は再インストールみたいな感じで。
そう考えると、今のOSはかなり安定してきているんだなと思った。
仕事で使う分には何度か再インストールが必要になることもあるけど、
自分のプライベートなパソコンはもう3年は再インストールしていない。

知らず知らずのうちに変わってきている事もあるもんだ。

2011年10月2日日曜日

ボランティアじゃなかったらやりません、ただの愚痴

やっと動くようになった連絡所のPC、次の日にSkypeやらオフィスやらの
隊員が使うであろうソフトをインストールして再起動すると。。。

起動の途中で止まるようになった。前回の正常起動を選んで起動してみるが
やはり止まる。。。 回復コンソールで試してみるも止まる。。。

また一からやり直し。HPのリストアCD入れてリカバリーを始めると。。。
今度はOSインストールの途中で止まりやがる。5度やり直したが、
いつも同じ所で止まる。メモリ不良を疑い、メモリを半分にして交互に
差して試してみるもうまくいかない。

もう嫌。

試しにリカバリではなくOSを直接入れてみる。入る。問題ない。
ドライバ類はリカバリCDから直接参照できないらしく、CDを検索しても
デバイスマネージャーで?マークが出ているLAN、Audio、Graphicの
ドライバは出て来なかった。

箱を開けてマザーボードを見るとP4SDと書いてある。調べてみると
ASUSの製品らしい。ドライバーを探すとASUSのホームページには
置いていないらしい。HP専用に作られたマザー? 似たような名称の
P4SDXというのはドライバーがあったので試しにダウンロードしてみるが
残念ながら認識してくれなかった。

この日は日が暮れてしまったのでここで終了。

で、さっきまた少し調べてみると、HPがドライバを提供しているらしい
ということがわかった。製品のモデルを調べて今度はHPにドライバが
あるのか調べてみることになる。

こんな事に、いったいどれだけの時間を費やしているのか。。。

仕事をしている時もそうだが、何度も同じ作業をしていると、
人生を無駄に過ごしている気分になってくる。。。
ま、いろいろ無駄に過ごしているので今更ですが。