2011年10月12日水曜日

深考、隊員行事の開催の意味

よく、頑固者とか遊び心が足りないと言われる。私はそんな人間です。

例えばパスタを茹でる時、袋に10分と書いてあれば普通なら10分茹でる。
私は8分や12分の茹で具合が気になるので、それらの時間も試してみる。
逆に他の茹で時間に興味を示さない人たちを不思議に思う。

料理のレシピ。昔ながらの作り方。この通りに作れば美味しくできるだろうが、
私は途中で違った事を試したくなる。よく失敗する。
しかし、その通りにしか作らないのはなんだかつまらなく感じてしまう。

まぁ、要するに人の言う通りするのが嫌なのか、
同じ事を繰り返すのが嫌なのか、
新しいことにチャレンジしたいだけなのか、
そんな感じだと思われる。

ボリビアに来てから、隊員が行わなければならない事が色々あるのを知った。
1年に2回の総会、ほぼ総会とペアになってる分科会と懇親会。
一年に一回発行されるTINKUという隊員が制作する雑誌の編集。
隊員連絡所の管理。

これらはこれまでずっと続いてきており、現在も継続されている。
ハッキリと誰が何をやるのか決めている訳ではないが、暗黙の了解でどの隊次が
何をやるのか決まっている。やらなかったらその隊次は問題児扱いされる(だろう)。

隊員の行事は絶対的な正義を持っており、それに逆らえば逆賊である。
例えば、私はほとんどTINKUという雑誌を読まないので編集する事に全く興味が無いのだが、
編集したいという隊員がいなければ担当する必要がでてくる(幸いやってくれる隊員がいた)。
やりたい人がやればいいのだが、これらは「やりたい」より「やらなければいけない」事に
なっているように感じる。半ば義務のように。

確かに、青年海外協力隊で来ているので、隊員としてやらなければいけないことというのは
たくさんあると思う。しかし、昔からやっているからという理由で何もかもを続けていく事が
本当にいい事なのかは考えなければならない。「やりたい」という気持ちがあるなら、
続けていけばいい。やっちゃダメ、という人はいないのだから。しかし、「やらなければ」
という気持ちで他人を巻き込んで、やらない人を「なんでお前はしないんだ!」と
蔑むような事になってまでする必要があるのかは疑問である。

隊員行事は絶対的正義で反論は許さん、というのはあまり協力隊らしくない。

私の隊次が隊員総会の担当をする事になった際、私は事務所の対応に不満があり、
総会の幹事から手を引いた。しかし、幸いな事に、他の担当者からは苦情はなく、
すんなりと受け入れてくれた。絶対的正義を盾に私を非難する人はいなかった。
たぶん若い人が多かったから? しかし、義務というものを重んじる人は、
協力しない人をよく思わない事が多々ある。本当に自分が正しいのか、それだけが
正義なのか、あまり考えないのだろうと思う。

良くも悪くも、本当の意味で、協力隊隊員に義務というものは存在しない。
管理する組織が無いので、もし隊員たちが何もしない、と決めれば何もなくなる。
空中分解するだけ。それでも、各個人の隊員の活動には支障は出ないだろう。

私も結局、疑問を投げかけるだけで、何も答えは持っていない。
しかし、何も考えないで、ただレールの上を歩くのは好きじゃない。
ただそれだけである。

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