2010年8月27日金曜日

夜景(実際より写真がきれい)

2010年8月24日火曜日

協力隊隊員がラパスで家を探すと

8月21日にホームステイを出て、新しく家に引っ越しました。長かったような、
短かったような、家探しについてお伝えします。

元のホームステイを出て家を探そうと思ったのは、ホームステイでありながら、
あまりホストファミリーとの会話が無かったから。50代の母親と30歳ぐらいの
息子の2人暮らしで、余っている部屋をアメリカからの短期留学生に貸して
いる。時には私以外に3人の留学生が一緒に暮らしていた。彼らは
約1ヶ月ぐらいしか滞在しないため、滞在期間中のほとんどを旅行に
充てており、月に2-3回しか顔を合わさない事もあった。息子は部屋に
ほとんど篭りっきりで、母親は私が家にいる時間はどこかに出かけている
事が多かった。正直、ホームステイという商売の中で暮らしているような
気分だったので、それなら一人暮らしをしようと思ったわけだ。

家を探すには少しスペイン語でコミュニケーションができなければならない。
そのため、ホームステイ初日から4ヶ月後に家を出る事を目標にした。

3ヶ月が経つ少し前から物件を見る事に決めた。ボリビアで家を
探すには人伝えが一番いいのだが、他には新聞に出ている広告を
見て探すというのが一般的だ。毎日広告が出るが、特に日曜日に
沢山の広告が出る。私が主に利用した新聞は EL DIARIO と
LA LAZÒN で、前者は一般大衆向け、後者はピンキリで物件が
載っていた。

不動産の物件はだいたい、「家、マンション、部屋貸し」に分かれている。
私は主にマンションを中心に、部屋貸しについてもいい物があるか探した。

価格帯は家が500ドルぐらいからで、上は2000ドルぐらいまではあった。
マンションは150ドルぐらいから、1000ドルぐらいまで。部屋貸しは50ドル
ぐらいから300ドルぐらいまで。

住む家を決める際は自分一人で決められない。JICAボランティアで
ある以上、JICAからの許可が必要だからである。チェックされる項目は
主にセキュリティに関してで、少しでも不安があると、改善するように
大家に通達するので、そんな時はだいたい断られ、他の人に貸されてしまう。
ラパスには沢山の人が住んでおり、常々新しい家を探している人がいるので、
いい物件は直ぐに誰かが持っていってしまう。

実際、物件を探し始めてから毎週末、物件を見て回ったのだが、月曜か
火曜に調整員に来てもらい、事務所の許可を降りるのを待っていると、
いざ契約をしたいと申し出たときにはもう物件は他人に貸していた
という事が何度もあった。何件も物件を見ているうちに、これはもう
ある程度決め打ちで探さないと借りるのが難しいと感じたので、
高層マンションでポルテロ(警備員)がいる所に絞って探す事にした。
高層マンションであれば、窓から泥棒に入る事ができないため、
入り口が重要になってくる。その入り口に24時間ポルテロがいれば、
セキュリティとしては万全になってくる。ちなみにこちらでは東京で
よく見るようなオートのセキュリティシステムは見た事がない。

なかなか契約に至らず、今住んでる家の退去日が迫ってくると
かなり焦ってきていた。そんな折、残り1週間という時に、いい物件が
出てきた。この日は火曜日だったので、ライバルが少ないと踏んで、
ここぞとばかりに物件を見に行く前に、調整員を確保し、昼に
自分で確認した後、問題ないと思ったので午後に未に来て
もらった。この時、1年半100%住むと伝えて、ぜひ自分に貸して
欲しいと誠心誠意お願いした。そのおかげか、契約書が確定
するまで1週間かかったが、他の人に持って行かれる事なく、
借りることができた。

家賃は230ドルで、家具をベッド、テーブル、コンロなど最低限必要な
物を残してくれた。冷蔵庫と洗濯機は無いがこちらではそれが無くても
普通で、私もこの先買わないかもしれない。間取りは1DKでそれに
加えて大きなクローゼットがある。ホームステイから移ったからとても
広く感じる。

この物件の一番の売りは景色がいい事。目の前にエルナンドシエス
競技場が見え、その先にはエルアルトに続く崖に家の群集が見える。
盆地に人口が密集しているラパスならではの景色を毎日見る事が
できるのはとても幸せである。

なかなか契約を結ぶ事ができなかったが、最後の最後にこんなに
すばらしい物件に住む事ができてよかった。本当に。

2010年8月20日金曜日

引っ越しました。新しい住居の眺め



2010年8月18日水曜日

大きな文化の違い(お手伝いさん)

日本でも昔はよくあったと思うのだが、現代においてお手伝いさんを
雇っている家というのは少なくなってきた。私には個人に雇われて
家事をするという感覚がいまいち想像できない。いや、やりたくない
から想像したこともないというのが正しいか。だいたい、今の日本では
自分でできる事は自分でするというのが一番多いだろう。相当な
お金持ちでない限り、掃除や洗濯などを自分でしない人は
周りからあまりいい人間として見てもらえないような気がする。

こんな風に思うのは私だけかもしれないが、例えば掃除会社に
依頼して週1回掃除に来てもらうのは何ら抵抗がない。しかし、
それがお手伝いさんになると変に感じてしまう。
なぜそう思うのか?はっきり分からないが、多分いまの日本の
社会にそういった風潮があるような気がしている。会社に
こき使われるのは普通で、人にこき使われるのは普通じゃない、
というような雰囲気があるような気がする。

ボリビアではお手伝いさんは決して珍しくない。女性が多く15歳から
お手伝いとして働く事もある。家に住み込みで働く人もいて、朝から
晩までよく働く。本当によく働く。アパートなんかでも、ある程度大きな
ものになると、お手伝いさんが住み込めるように小さな部屋が用意
されている。住み込んでいるような人は、掃除、3食の用意、
洗濯(手洗い)、ベッドメイキングなど家の中の事ならなんでも行う。
ちなみに住み込みのお手伝いさんを雇うと1200~2000
ボリビアーノが相場らしい。

住み込み以外にも、掃除だけ、料理だけ、1日4時間、1日8時間
など限定で雇うこともできる。料金は交渉して決める。やはり経験が
ある人の方が高い。

今働いている国立統計院にも、ここで働いている人達にサービスを
提供するお手伝いさんみたいなのがいる。一人は男の人で靴磨き
をしたり、買い物を頼まれたり、フットサルコートの予約を任されたり、
とにかく何でも雑用をしている。他にはキッチンで働く人達がいて、
午前と午後に飲み物や食べ物を売りに来るし、頼めばいつでも
飲み物を持ってきてくれる。ちなみに飲みのや食べ物はタダではない。

使用人を見ていて、少し「あれ?」と思うのは、上下関係ははっきり
しているけども、雇い主に対して変にへりくだった態度をとる人が
いない事。きっとここでは使用人という仕事が確立されていて、
ごく当たり前に使う側と使われる側がその事を意識しないで
暮らしているのだろうと思う。だから雇っている方もわざわざ
自分の方が偉いんだぞという態度を取ることが無いのだろう。

横から観察しているだけでは、実際にどんな気持ちなのか
分からないので、機会があれば一度料理をしてくれる人を
雇ってみたいと思う。

2010年8月12日木曜日

病気、それは突然やってくる

これまで自分は健康体だと自負してきた。これといって大きな病気に
かかったことがないし、怪我もしたことがない。入院はおろか、点滴も
未だに一度もしたことがない。まぁ、強いて言うならアレルギー性鼻炎に
常に悩まされているぐらいだ。

しかし、ラパスに来てから健康状態を崩すことがもう既に3回もあった。
未だ入院、点滴はしていないが、時間の問題であろうと思う。

1回目はラパスに着いて1ヶ月ぐらいの時で、突然激しい下痢が始まった。
通常下痢なんて2日もあれば完全に収まるのだが、この下痢は1週間
経っても変らずすごい下痢だった。原因は分からなかったが、熱は無く
体調は普通で、食欲もあったのでずっと様子を見続け、10日ほど経った
時からマシな下痢に変った。日本ではこれほど長い期間の下痢を
体験した事がなかったので、「俺の体はどうなってしまったんだ」と
本気で心配した。

2回目は「急性気管支炎」で、これも回復するまでに10日間ほど
かかった。原因はたぶん前日に行ったPCメンテナンス中に吸ったホコリで、
翌日からセキがいやというほど出た。特に夜寝る前にセキがひどくなり、
この期間中は寝不足とも付き合わなければならなかった。

3回目は3ヶ月目の下痢。今回のは原因がはっきりしている。家の
近くでハンバーガーを買ったのだが、食べている途中で肉がまだ赤い
事に気が付いた。気が付いたが、まぁ、大丈夫だろう、とそのまま
全部食べたら、次の日に体調が悪化。ひどい胸焼けと下痢の始まりだ。
胸焼けは2日間続き、その間に1度吐いた。胸焼けの後はガスの
発生に悩まされた。腹の中で異常に大量のガスが発生して、
腹がパンパンに膨れていた。何故かわからないがガスはすんなりと
逃げてくれず、時々ゲップとオナラで出て行く。横になっていると
ガスがまったく逃げてくれず苦しくなってくるので起き上がると
すごいゲップが出てガスが抜ける。そのため、夜、寝るとすぐに
苦しくなって、1時間に1回起きてはガス抜きをするような感じで、
全然寝れなかった。

ガスには4日ぐらい悩まされたが、だんだんと発生が少なくなってきて、
まずはゲップが無くなり、その後3日ほどでオナラも無くなった。
しかし、下痢は10日を突破。さすがに程度はマシになっているが、
それにしても長い。

病気になるのは結構つらい。不思議とこれまで熱が出たことが
ないため、大事には至っていないのだが、熱が出るのも時間の
問題だろうと思う。

ラパス、恐ろしい所だ。

アレルギー性鼻炎が止まった、治った

日本にいる時は、職場の人が「本当にただのアレルギー性鼻炎か?」
と疑いたくなるぐらいひどい鼻炎持ちだった。1週間に3回は発症し、
発症すれば一日中鼻をかんでいる。その量たるやティッシュペーパーの
一箱を一日で消費するほどで、鼻をかむ騒音は業務妨害にも
なっていたらしい。

一応アレルギー性鼻炎なので、アレルギーを抑える薬(鼻炎薬)を
飲めばある程度効いていた。しかし、業務中の大半の時間を睡眠に
費やしてしまうほどの副作用がでてしまうので、服用には十分な注意が
必要だった。

何はともあれ、20歳ぐらいから始まったこのアレルギー性鼻炎とは
もう14年の付き合いとなり、何をするにも鼻炎については考える
必要がある。今回、青年海外協力隊でボリビアに来ることになって、
とりあえず薬40錠入りの箱を6箱、だいたい半年分の薬を持ってきた。
半年後はこちらの事情も分かるだろうから現地で調達しようと考えていた。

ところが、ボリビアに来て1ヶ月過ごしたサンタクルスでは変らず鼻炎
だったのだが、ラパスに来てから鼻炎になる率が減った。段々と
発症回数が減っていき、1ヶ月ぐらい経った後は鼻炎にならなくなった。
今現在、鼻炎と見られる症状はまったく無い。寒ければ鼻水は出るが
鼻炎ではない。1回鼻をかんでしまえばしばらくかまなくていいし、
直ぐに止まる。こんな感覚は久しぶりである。

持ってきた薬もまだ4箱が未開封のまま。このまま日本に持って
帰れるのであればうれしい事この上ない。

なぜ鼻炎にならないのかは分からない。単純にアレルギーに反応する
物質がこの辺りに存在しないのか、それとも高地のため鼻の粘膜が
おかしくなってアレルギー物質に反応しなくなったのか。

ラパス最高。

2010年8月2日月曜日

野良犬に対する見方が変った

近年、日本では野良犬を見ることが少なくなった。

それは当然で、野良犬がうろうろとしていれば、保健所に電話する
だけで捕まえに来てくれる。近年では減っているそうだが、それでも
10万匹より遥かに多い数が処分されているそうだ。

あまり野良犬と触れ合う機会が無くなったからたまに出くわすと怖く感じて
なるべく避けて近づかないようになった。そう、野良犬は噛むかもしれない
という怖い存在であるから。大人になってから実際に噛まれた事は無いのだが、
少しでも吠えられると怖くて逃げ出したくなる。

だが、ボリビアに来てその見方が変った。ここには野良犬が沢山いる。
ほとんどが元飼い犬だったようで、時々服を着たままの野良犬も
見かける。これらの犬は近くを通ってもこちらに何も興味を示さない。
すごく自然なのである。人間も犬に対して何も行動を起こさない。
「あっち行け」的な行動を取ったり、棒っきれを持って追い払ったり
しそうなものだが、野良犬がいてもそれが自然であるかのように、
何もしない。

日本では犬が苦手って人をよく聞くが、ボリビアにはそんな人が
いないのだろうか。もしいたら、落ち着いて道を歩くことすら
できなさそうだ。

こんな中で暮らしているから、今は野良犬が怖くない。近くを
通ってもビクつかなくなった。それよりも、元々犬好きなので、
撫でたくなる衝動に駆られるが、堪えている。JICAから犬に
噛まれたら狂犬病にかかる可能性があると聞いている事以上に、
野良犬をかわいがっているボリビア人を見たことがないから。
撫でてたら変人に見えるんじゃないかと思う。

ちなみに、飼い犬は日本と変らずかわいがられている。公園に
行くと数多くの飼い犬が放たれていて、他の犬とじゃれあっている
光景を見る。日本だったら飼い犬の責任がどうこうという問題が
あって、放せる公園は少ないが、こちらはどこでもOK。
歩道でもリーシュ無しであるいているのが半数ぐらいいる。

そういえば、道路で引かれた犬もまだ見たことが無い。これだけの
野良犬がいるのに見ないのは、引かれた後の処理が早いか、
引かれないか。多分、野良犬をやっているとどこが危険で
どこが安全か分かっているのだろう。野良は歩道をほとんど
歩いているし、車が通る道路には突然飛び出したりする事も
見たことがない。

ここでは、犬の元々の性質が感じ取れているような気がする。
日本は犬にとってもストレスな社会なんだろう。こちらに来て
これほど野良犬が何もしない動物だと感じるとは思わなかった。

日本は先進国、ボリビアは後進国。でも人間のエゴはどちらも
変らないんだなと、捨て犬を見て思うのでした。