2011年8月29日月曜日

異なる価値観、ボリビア踊りTINKUのチームにて

6月のグランポデール、7月のウニベルシタリアと踊りの祭典が続き、
8月からゆっくりした時間が流れるかと思いきや、8月の最初の週には
Villa Copacabana地区の踊りにチームがお呼ばれし、8月の末には
Guerra de danzas bolivianasがあるってことで、また忙しくなった。

Guerra de danzas bolivianasは直訳でボリビア踊りの戦争。
あるテレビ局の企画で、ウニベルシタリアなどに出場しているチームの
中から幾つかのチームを招待し、ボリビアで人気の踊りをステージで
披露して順位を決めるというもの。

この企画には8人しか出られない。本来ならチームのコアが出るのだが、
みな忙しくて出られない。それで私にもお誘いが来た。1年以上の古株は
8人の内、2人しかいない。

練習は本番の2週間前から始まった。いつもの練習と違って長いし
キビキビしている。そして、覚えるのが早い。ついていくのがやっと。
全部で5分間もある踊りで、先週でやっと半分を覚え、残り2日の今日で
3分半まで覚えた。しかし、これは8人全体のポジション替えの動きは
まだ入ってないため、どこまで完成させられるのか未知数。。。

さて本題。今回やってて色々感じた事がある。まず時間について。
ボリビア人の時間感覚は、日本人とかなり異なる。時間にルーズ。
19時と約束して、20時に来る。日本なら大激怒するところだろうが、
こちらでは当たり前。でも、en punto!(時間通りに!)が口癖。
今回、毎日19時に待っていたが、ちゃんとその時間に始まったのは1回だけ。
時間通りに動くというのは、日本人としてのアイデンティティのように
感じるようになった。

遅れてくるので練習時間がとても足りない。のだけれども、本番ぎりぎりに
なってから練習時間が早まる。18時とか17時とか。そうやって練習不足を
補い、本番に間に合わせているのだ。だったら最初から真面目にやろうよ。。。

まぁ、何にせよ、こちらの人々は時間に寛大であり、遅れに関して怒らない。
時間に間に合わない事でストレスを感じる習慣がない。おかげでこちらも
時間に関するストレスを感じなくなったが、自分が遅れる際に、
どのように遅れるのがいいのかがわからず、ボリビアでの正しい時間の
遅れ方はなんだろうと考えてしまう事がある。

時間の他に、未だ慣れないのが異性とのふれあい方。挨拶のベソは
もう慣れて、何も感じなくなったが、友としての時間が長くなると、
アミーゴ社会のボリビアでは普段話している時とかの距離が近くなる。
腕を組んだりするのも普通なのだが、これがなかなか慣れない。
話の流れから軽く抱きついたり、肩並べて話したりと、なんせ近い。
戸惑っている自分を見て、俺って日本人、と感じてしまう。

本番まであと2日、男4人と女4人で踊る。踊りが結構長いので覚えるのに
時間がかかる。でも今2人女性が足りていない。それでも普通に練習を
進めている事に違和感を感じる。日本であれば、必ずまずメンバーを
確定させるだろう。じゃないと、練習不足もそうだが、人数足りないまま
本番きたらどうするの?しかし、だれもそれほど深く心配していない。
不思議だ。

足りてない理由は、最初にお願いしていた子たちが「やっぱ踊らない」と
言ったためらしい。正直、「ちょっとまて、責任って感じないの?」と
思ってしまうところだが、メンバーは「そっか、じゃ仕方ないね」的な
感じで、誰も「あいつムカつく」的な事を言わない。出るのも入るのも
すごく自由な感じ。残された方は結構困ると思うのだが、それでもこの
社会はうまく回っているように見える。

最後に、最近面白い違いに気がついた。会話で相手に何を聞くかという事。
あるメンバーGとメンバーYについて話してて、

私「そういやあの子いくつ?」
メ「知らない」
私「あの子の専攻何?」
メ「さぁ?」
私「どこの学校行ってるの?」
メ「どこだろうね」

何というか、日本で最初に聞くようなことが、こちらではそうではない。
めっちゃ仲良く楽しそうに話しているのに、そういった事は会話に
出てこないらしい。

そういえば、異性に年齢を聞かれたら、それは相手が自分の事を
気にしているという事だと誰かに聞いたことがある。それを知らずに
相手の年齢を聞きまくっている俺は変に見えたかもしれない。
まぁ、外人は別かな。

にしても、最近は自分を日本人だと感じる事が多くなってきたな。

2011年8月18日木曜日

日本人好き、結構いますボリビアに

ボリビアでは、日本人というだけで、現地の人に好かれる。たぶん。
日本文化が好きな人が結構いて、ついでに日本人も好きみたいだ。

ボリビアには日本のアニメやドラマがDVDで売られている。
オタクグループがあり、コスプレが好きな人もいる。
オタク祭りなんかもあったりして、コスプレ大会やったり。
結構大きな規模。

こっちの人の日本人が好きというのは、日本で言うイタリア人や
フランス人がかっこよく見えるのと同じなのかもしれない。

日本人からすると、日本人というだけで好かれるのはあまり
好まないかもしれない。中身をまったく見てもらえてない気が
してしまうので。しかしながら、ボリビアの人たちは普通に
「日本人が好き」という。まさに上辺だけなのだが、こちらの
人にとっては、中身を見ないのは、あまり重要ではないのかも
しれない。Feeling命?

こちらに来て間もない頃、日本祭りに参加したら、若い子から
一緒に写真とってくださいとお願いされた。その頃、坊主に
ひげで正直、人を惹きつける要素がまったく無い時。
ま、電話交換しても、連絡は来なかったんだけどね。。。

まぁ、オタクに電話番号を教えて、1日に何通もSMSが来るように
なったなんて、ボリビアではよく聞く話だから、オタクの
人たちの日本人に対する情熱はすごい。

最近は、K-POPやK-ダンスが結構出回っているので、
韓国人好きな人も増えてくるかも。

2011年8月17日水曜日

おばちゃんのミサというのに行ってきました

踊りのTINKUのメンバーの一人に誘われ、la misa de mi tia (おばちゃんのミサ)
というのに行ってきました。一種のキリスト教の行事?のようです。

お昼の1時半に待ち合わせをして、ラパスからエルアルトのSantiago2という場所へ。
エルアルトは広い!そしてどこもブロックの家ばっかり。場所の名前はわかっても、
自分がどこにいるのかまったく見当がつかない。そんな場所にあるおばちゃんの家に入り込む。

中に入ってすぐにミサの部屋に。親戚が8-9人ほど。そしてTINKUのメンバーが何人か
そこに座っている。そして飲んでいる。飲んで、、、飲まされて。。。まだ昼の2時半。。。
この飲みはいつまで続くのか。。。 という心配をしながら、飲み始め。

このミサってなんなのかと聞いてみると、おばちゃんが死んでから1回忌に
このような機会を設けるらしい。あんまり関係ないTINKUのメンバーがいるのは
謎なのだが、日本で言う法事みたいなものらしい。でも、日本であれば
49日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、
三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌、百回忌と
あるようだが、ボリビアは1度で終わりらしい。

今回誘ってくれた子には8人もおばさんがいるらしいので、一人が経験する
回忌の回数は同じぐらいかもしれない。日本も昔、子沢山の時代があったが、
全部やってたらすごいことになってただろうな。

ちなみに今ボリビアの人口は爆発的に増えている。いとことかもすごい
たくさんいる。いっぱいprimo(いとこ)を紹介された。

で、このミサ、ひたすら仲間と飲み続ける。若干静かでおとなしい感じだが、
飲むペースは速い。正直キャパを超える飲み方。どうせ夜まで飲み続ける事に
なるに決まってるのにこれでは体が持たない。ということで、時々20分ぐらい
部屋の外に逃げては休息を入れる。完全に酔っ払ってしまうわけにはいかない。
意識を保たねば。

午後6時頃?飲んでいる途中に1度、みんなでお祈りをした。

そしてまた飲み続ける。ちょっとした食事が出た。 ensalada de luza。
レタスをお皿に置いて、その上にジャガイモとニンジンのゆでて刻んで混ぜたのを
乗せる、そして茹でた後の鳥を炒めたものを更に上に乗せる。鳥の味付けが
濃かったが、あまり味のついていないジャガイモとニンジンと一緒に食べると
なかなかおいしかった。

午後8時半、ミサの家を出て行く。正直、これ以上は飲めないとこまで
飲んでいたので、TINKUのリーダーに誘われて、リーダーの家へ移動し、
すぐに寝た。最近、お酒に強くなってるのか弱くなってるのか、
よくわからない領域にきている。こちらの人は本当に良く飲む。

この日、誰かが言っていたが、ボリビアは麻薬やドラッグよりも、
アルコールの方がよっぽど問題だ、と。最近ボリビア人と付き合いを
濃くしていて、言ってる意味が良くわかる。本当に飲みすぎ。

私は、お酒を30を過ぎてから飲むようになった。
飲むようになってから、お酒は飲めた方が良いなと思うようになった。
しかし、ボリビア人は飲みすぎ。まるで日本の大学生のよう。
もう少しなんとかならないものか。

2011年8月16日火曜日

ショック!カウンターパートの退職。2度目。

先ほど同僚から呼ばれ、明日のお別れ会の打ち合わせ。
突然の話に「えっ?誰が?」とビックリ。
そして、超優秀なカウンターパートが去るんだと聞いてまたビックリ。

正直、前回の退職は驚かなかったけど、今回はかなりショック。
とても才能豊かで優秀な同い年のカウンターパートだったので、
いろいろとやりやすかったのに。

理由も何もわからない。ただ、他の場所で働くとは言っていたので、
引き抜きにでもあったのだろうか。残念でならない。

しかし、職場の人らはあっけらかんとしている。ボリビア気質
なのだろうが、人が抜けるということは普通に日常として
組み込まれていて、動揺のかけらもない。

あんなに優秀な人が抜けたら結構これから大変だと思うだけどなぁ。。。

カウンターパートに恵まれていたと思う反面、2度目の退職は
残り7ヶ月の活動に大きく響くだろうな。

2011年8月10日水曜日

活動先の好意による授業。もちろん無料。

これまで何度か書いてきたが、私の活動先の国立統計院は非常に設備が整った場所で、
きっと協力隊員の中でも1-2を争うほど先進的な場所だろうと思う。

この活動先で先月半ばからある取り組みが始まった。統計院の全体のレベルアップを
図るため、様々な仕事に関連する授業のコースを用意し、無料で受けさせてくれる、
というものだ。

我がインフォルマティカ(情報局、システム課)も例外なくこの制度を受けており、
月曜-金曜が7:00から9:00(仕事の始まりは8:30なので、毎日1時間近く遅れる)、
土曜が8:00-13:00に授業がある。平日の授業の間には休憩が10分ほどあり、
コーヒーや紅茶と何か1品の食べ物が用意される。もちろん無料。

このコース、私はボランティアということで遠慮していたのだが、8人定員の
コースに「空きがあるのでJUNも来いよ」と誘われ受けることに。毎朝6時起きで
授業を受けに行っている。今受けているのは「Windows Server 2008 R2」という
コースで、2ヶ月半の間にだいたい3つのコースがあるそうだ。先進的な内容を
教えられる教育機関が少ないボリビアで、このコースを受けられるのは
今通っている機関だけらしい。自腹で受けると3000ドルそうだ。

ボランティアでこれだけいい思いをしているのは私だけではないだろうか。

授業はスペイン語で行われていて、理解出来ない事も多々あるのだが、
テキストは英語なので内容はそこから補完できる(英語は結構できるので)。
そしてコース自体はかなりいい。

[ちょっと専門語含む]
日本で仕事していた時はLAMPに偏った開発者だったので、Windows Serverに
関する知識はあまり無かった。そのため、いい感じで知識補完ができている。
(ドメインとかフォレストとかユーザ管理とかポリシーマネージメントとか)
(WindowsはVisual StudioのVC++なら多少やっていたことがあるぐらい)
Windows Serverがサーバとしてかなりレベルアップしてきているんだなと感じた。
益々企業のユーザ管理はWindowsベッタリになっていくんだろうなと。

この広いITの世界でプログラマとしての自分の立ち位置についても見つめ
直す必要性がありそうだ。エリアを絞ってこれから伸びる所に力を入れて
知識を広げていかないと、尻すぼみの部分に陥ってしまうと後戻りする事すら
困難な未来がそこにある。これは多くの協力隊に参加しているPCインストラクターや
コンピュータ技術の隊員にも当てはまるだろう。

残り7カ月半、そろそろ帰国後の事も考える時期かな。

2011年8月9日火曜日

口論?討論?おせっかい? ブログ申請について他の隊員と。

最近ある隊員とよく言い合いをする。周りで見ている他の隊員は
かなり深刻に映るらしいのだが、当人たちは生活の一部に取り込まれて
いるようなものなので、とくにいがみ合っているわけではないのだが。

言い合いになる題はだいたいその隊員の素行や考えに関してで、
私がいろいろと突っ込むと、言い返されるといった感じだ。
まぁ、内容はつまらない事の時が多いのだが。

最近の言い合いは「隊員ブログ」について。

通常、隊員がブログを書く際は事前研修中に申請する事がほとんど。
そのため、任国へ派遣された後に申請する事はあまりない。
しかし、私の担当調整員だった人にブログの事を言うと、「ボリビアでは
再度申請が必要です」と言われた。そのため再度申請した。

2度の申請、これは周知されていないので、ほとんどの隊員は知らない。
調整員にはその事を質問したり、2度申請しなければいけない無駄な
労力について苦言し、改善をお願いした。

話は戻って、最近よく言い合いをするこの隊員はボリビアで申請は
していないと言っていたので、私と調整員とのやり取りを話してみた。
そして、一応調整員に確認をしてみるべきだろうと言ったのだが、、、

その隊員の意見としては、「ボリビア事務所が周知していないのだから
別に申請する必要は無い」、「(私が)改善を要求した後も特に連絡は
無いのだから、事務所もそれで構わないんだろう」。
だから「ブログの申請の確認なんてする必要は無い」と言い切った。

ここで私のスイッチが入り、
「そんな自分の勝手な考えで完結していいもんじゃないだろう」
「事実関係はちゃんと確認してみるべきじゃないか」
と言うと、他の隊員は
「そんなん自分だけやればいいじゃん、私はやらない」
と返ってきた。
「いやいやいや、そういう問題じゃないでしょ。」
「確認ができないならまだしも、確認ができるのに状況から判断してしまうのはまずいでしょ」
と私。そして普段ならこのまま並行して続くのだが、、、

今回はガンガンに言い合いが進む前に同期隊員に止められた。
「あたし疲れてんだから止めて。」
この隊員は、この言い合いが実を結ばないのを知っている。
そうとうどうでもいいと思っている。本人たちと同じぐらい。

その一言で、とりあえず両者振り上げた刀を鞘に戻した。
そして5分後には別の話題で盛り上がってたり。

我々の言い合い、他の隊次の隊員が見るとかなり険悪に映るようで、
本気で心配される。ご迷惑をおかけして申し訳ない。

でも、帰国まで続くのだろうな。



2011年8月6日土曜日

ラパスとエルアルト、近くにある異世界

ラパスは世界で一番高い首都(3600m)として既にご存知の方も多いと思います。
このラパス、年々人口が増加しており、入り切れない人たちが住む場所として
ラパスの崖を登った平地の町エルアルトが年々広がっています。現在までのところ、
エルアルトとラパスの人口比はほぼ同じぐらいだそうです。

Googleマップ(ラパスとエルアルト)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=-16.506706,-68.176346&spn=0.10764,0.181789&t=h&z=13&brcurrent=3,0x60f4269c63f22175:0x9dcf3fdf1f8d08a,1

Google Earth
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=-16.50763,-68.148145&spn=0.05382,0.090895&t=f&brcurrent=3,0x60f4269c63f22175:0x9dcf3fdf1f8d08a,1&z=14&ecpose=-16.51388532,-68.08434457,10714.1,-84.17,44.892,0

ラパスの中心からエルアルトの入り口 CEJA までは20分~30分の所要時間。
たくさんの人がこの道を往復して仕事に通っています。

私の所属している踊りのチームの人たちも、どこに住んでいるのか聞いてみると
半分はエルアルトに住んでいるとの声が返ってきます。

エルアルトに住むのと、ラパスのエルアルトとは違う方向の外れに住むのと
どちらが安いかと一度聞いてみたことがありますが、相手は笑いながら、
エルアルトは casi nada (ほとんどタダ)だよと言われました。

エルアルトという土地はラパス隊員にとってはほぼ未知の世界です。
空港と有名なフェリアに行くことはあっても、それ以外の場所に用事があって
行くことはまずありません。また、JICAから危険区域に指定されているので、
住むこともできないですし、日が暮れてからの滞在は禁止されています。

ラパスでは特に制限を設けられる事はありませんが、連絡所の出入りは
夜12時までと決められています。以前はルールが無かった事を考えると、
ラパスの治安はエルアルトのそれとは比べものにならないほど良いのでは
ないかと思います。

職場で誰かが、猿を食べるのはどこか、という話をし始めました。
日本では食べないが、中国の一部では猿の脳を食べるらしい、と答え、
そういえばエルアルトでは羊の脳が食べられるよね?と聞いてみると、
誰かが「エルアルトでは何でも食べるよ」と笑いながら言ってました。
軽い冗談ですが、若干の差別発言にも取れる言い方でした。

ちなみにラパスでも何でも食べられます。インド料理、イタリア料理、日本料理、
アルゼンチン料理、などなど、様々な飲食店が存在します。

ついこの間エルアルトに初めてのフードコートができたと新聞に出ていました。
エルアルトにはたくさんの青空食堂があり、20-30ボリもするフードコートが
流行るとは思われなかったのです。しかし、人口増加に伴って、境界に
貧困層ではない層が住み始め、それなりに採算が合うと判断したのでしょう。
ファーストフードが長らく入らなかったこの地で成功すれば、この先もっと
増えてくるかもしれません。

エルアルトは私にとっては、レンガ造りの家が果てしなく広がっている場所
というだけです。オルロ、コチャバンバ、チチカカ湖など遠出をする際に必ず
このエルアルトを通るので、車窓からその景色を眺めます。

たった30分の距離、でもラパスとエルアルトのどちらに住むのかの選択は
とても遠い距離なのです。

死への価値観、日常と非現実 (ボリビアで誕生する命)

「明日死んだら」私はよく意識する。そして明日死んでもいい生き方を意識する。

日本人の平均寿命はとても長い。20歳ぐらいまではあまり葬式に出ることも
ないだろう。少なくとも私はそうだった。死に別れる人はほとんどが70歳以上。
若い自分と死がつながる事を意識する機会は少ない。日本ではそんな事を考えるより、
どうやってもっと効率良く仕事をするか、お金を稼ぐかそんな事で頭はいっぱいだ。

ボリビアでは死への距離は、日本のそれよりも圧倒的に近い。

ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボリビア
--------------------
ユニセフの発表によると、5歳以下で死亡する子供の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。 平均寿命は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
--------------------

子供は死にやすい存在なのだと目に見えてわかる。そして更に未だ、
出産へのリスクは高く、妊産婦の死亡率は高い。この国の現実。

同じボリビアのサンフアンという地に協力隊がいる。彼が書いたブログの
エントリーに、ボリビアでの死へ価値観について語られている。
旅をする木 "el viaje del madero flotante"

ぜひ一度ご一読ください。

2011年8月3日水曜日

調整員、健康管理員の帰国、閉ざされた関係

もうすぐ調整員(企画調査員)2名と健康管理員が交代となる。
送別会を行うことになったのだが、このうち2名が参加しない事となった。

今のボリビアJICA事務所とボランティアの状態をよく表しているように思う。

仕事上必要が無ければ、調整員や健康管理員からはほとんど連絡がない。
正直「ボランティアと関係値を上げてもメリット無し」と思っているのだろうと感じる。
業務上の連絡以外は、いつもこちらから。ボランティアの働き具合や
精神状態を時々チェックしたりはしない。

他の国の話を聞くと、決して全ての国がボリビアのようではないみたいだ。
ボリビアは70ヶ国以上の内の一つの国の話だが、全体での調整員、健康管理員と
ボランティアの関係は、どういった感じのが多いのだろうか。少し興味がある。

ちなみに、調整員と健康管理員の方は与えられた仕事はキッチリしてくれる。
そのため、活動でJICAの手助けが必要になった時や、怪我をした時には
滞りなく書類を通してくれた。

日本で普通に務めているのであれば、仕事さえできていれば別にだれも文句は
無いのだろうけれど、ボリビアのこの地で仕事の顔しか見れないのは、
なんだかとても寂しい気がする。

2011年8月2日火曜日

日本人はボリビア人にモテるか?自身での1年半の検証

答えは半分YES、半分NO。

普通に過ごしていると、職場の人以外のボリビア人と接点はできない。
だから、それ以外で友達などが出来ることは無い。自分から何かに
関わりをもつようにしないと、自由な時間ができた時は常に一人である。

最初の一年、協力隊の活動に関連する事以外は何もしてこなかった。
日本文化好きのボリビア人がたくさんいるのだが、そういった人たちとも
関わり合いを持ってこなかった。そのため、ほとんどの自由な時間は
一人で過ごしていた。

そのため、モテるモテないという事は検証するまでもない。ちなみに、
職場は完全男社会。15人中1人が女性で、1児のママ。男はほとんどが
家庭を持っており、家庭を大事にするここボリビアでは、休日を
私と一緒に過ごす相手にはならない。(月イチぐらい) そうすると、
職場の人から女性と知り合うこともない。

町でナンパされる事も、話しかけられる事も無いので、普段の生活の
中からモテるような要素が生まれてくる事はない。

2年目に入り、踊りのチームに所属。最初はあまり外人だからといって
チヤホヤされる事は無かった。でも、オルロの次のグランポデール
ぐらいから、会話量が増え始め、仲良くなり始める。

この頃からなんとなく女性たちとの距離を近く感じるようになるが、
なんというか、友愛的なもののようで、ボリビア男性と変わらない、
そんな感じである。(酒に酔うとほっぺたへのチューがきつくなるが)

普段のチームの集まりで、皆の会話の中に入るには、まだ語学力が足りず、
沈黙している事が多い。(1体1は問題ない)
ボリビアの大学生はFacebookでよくコミュニケーションを取るので
この中ではまぁまぁ会話をしている。

チームには全体で女性が30人以上、普段の練習には毎回変わりながら
10人ぐらいは来る。結構みんなと仲良くさせてもらっている。(と思う)

で、結論、今まで一度も「2人で遊びに」とか「付き合って」とか
言われたことは無い。ボリビアでは女性からアプローチするのは
普通だと言っていたので、特にモテてるわけではない。

しかしながら、35歳のオッサンが20歳そこそこの子たちと違和感なく
会話できるのは日本ではあまり見られない光景だと思う。これは
一種の日本人である特権かもしれない。

そして、憶測の域を超えないが、自分から行動を起こせば、
日本でいるよりは女性と付き合える確率は高いような気がする。

以上が1年半の検証となる。

しかしながら、日本人女性はこの限りではない。

2011年8月1日月曜日

ウニベルシタリア うちのチームが新聞に載ったー

La Razón

このページの5枚目の写真。img5。
http://www.la-razon.com/version.php?ArticleId=134753&EditionId=2607

拡大写真。
http://www.la-razon.com/MULTIMEDIA/PICTURESART/2011/07/30/20110730_29925.jpg

左から
マルタ、ジャミール、ドリー、ロベルトの奥さん、クラウディオ、ソフィア

私は、ソフィアの後ろの後ろ辺り。写らなかった。。。