2011年11月14日月曜日

日本人ボランティアの最大のネック (2)

日本人ボランティア最大のネックは言語だと以前書いた。

日本人ボランティアの最大のネック

言葉に苦しむ隊員は多い。途上国と言えど、ある程度の組織力があるところにしか、
青年海外協力隊のボランティアは派遣されない。隊員のカウンターパートになる人
というのは、ある程度の学歴があり、仕事がある程度できる。その国のやり方や、
習慣が日本とは大きく異なり、組織全体としてうまく機能していない事はあるが、
個人能力の高い人が一緒に働く事は多い。知識がカウンターパートと比べて
物凄く低ければ、既に必要とされなくなる事もある。そんな中で、言語すらできない
というのは致命的となりうる。

机と椅子をもらって、ただのお客さんとして2年間過ごす隊員もいる。

役に立たないというのは、ボランティアとして参加した人間にとってはとても
苦痛なことで、その存在意義が守れなくなってしまう。なんとか「自分はここにいる!」
と訴えるのだが、耐えられなくなれば「どうせ俺なんかいなくても」という考えから、
活動先に行かなくなり、何か他に生きがいを見つけたり、趣味や旅行で残りの時間を過ごす。

そんな状態の彼らにJICAが注意する事もない。活動先がJICAにクレームを
入れない限りは、そういった問題が明るみに出ることはなく、放置され続ける。
よほどの事がないかぎり、活動先が隊員の事に口出しをすることもなく、
双方の歩み寄りがないままとなる。

中には、専門分野の能力は高いのに、会話がまともにできないために
同じような状況にハマってしまう人がいる。

隊員として派遣されて半年ぐらいは、どれだけ現地の言語が使えなくても、
だいたい理解を示してくれる。しかし、半年を過ぎれば周りの目は厳しくなる。
ジェスチャーなどでどうにかできるレベルの仕事ではないのである。
現地人とちゃんとコミュニケーションができないボランティアはどれだけ専門分野の
知識が高かろうと、ただの仕事のできない人間に見えてしまう。

仕事上の話だけでなく、きちんと人間としての付き合いができていれば、
そこら辺は問題になりようも無いのだが、「プライベートは別」とボランティアが区切りを
つけてしまえば、あとは職場で力を証明するしかない。しかしながら、そんな
限られた中で自分を分かってもらうには、やはり言葉は必須となる。

語学は大きく分けて2つの能力に分けられる。コミュニケーション能力と言語能力。
文法をきちんとマスターしていなくても、その国の人間にどっぷり浸かっていれば、
コミュニケーションは取れる。逆にコミュニケーション能力が低くて、会話が
成り立たなくても、言語能力が高ければ、図表、レポートなどでやり取りができる。

どちらの能力も低い場合に、ボランティアの悲劇は生まれる。
更に仕事の能力も低ければ・・・

言語というのはマラソンに似ており、毎日勉強していれば伸びていく。
毎日、現地人と会話をしていれば、会話ができるようになる。
得手不得手はあるが、誰でもいつかは話せるようになるのだ。

余りにも地道な作業なため、続かない人もいる。
でも、日本に帰る頃に笑顔になれるのは、やはり現地にどっぷり浸かったボランティアなんだろうと思う。

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