2011年6月30日木曜日

翻訳(市は部品の欠乏のため、仮設住宅を建設できない)

Página Siete

http://www.paginasiete.bo/2011-06-29/Sociedad/NoticiaPrincipal/28Soc01290611.aspx

Alcaldía no puede armar casas prefabricadas por falta de lotes
Se instalaron 194 de 834 casas de madera para familias afectadas
MEGADESLIZAMIENTO Los damnificados de la zona Sur piden que las casas prefabricadas sean construidas en Callapa. La Alcaldía todavía analiza dos opciones.

casas prefabricadas 仮設住宅、プレハブ
falta de lotes 部品の欠乏
damnificados 犠牲者

市は部品の欠乏のため、仮設住宅を建設できない
影響を受けた834家族の内、194家族の木造の家が建築された。
(メガ地すべり) 南地区の被害者たちは仮設住宅をCallapaに建設するよう要求。市は2つの選択を検討中。

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市役所は部品の欠乏により、メガ地すべりの影響を受けた全ての人のために仮設住宅を建設する事は出来ない。これらの人々は、冬の厳しい寒さにもかかわらず、2月から変わらずプラスチック製のテントで引き続き生活している。

市長の Luis Revilla は、「早急に場所を確保できなかった」ことで、必要な建造物の建築に成功しなかった事を認めた。

緊急事態の後で、自治体は被害者が必要とした834の仮設住宅をカバーするため、冬が来る前に家を建設しようとした。

その日までに、様々な期間から654棟を建築するためのファンドを獲得し、46棟が承認待ちとなっている。双方合わせて700棟、84%をカバーする。

しかしながら、その日までに建てられたのは194棟で、これらは Zenobio López“A”と“B”、 Kupini IIで見ることができ、また Villa Salomé で建設中である。

ラパスの南地区には難しさが存在する。ほとんどの被害者はIrpaviやFlor de Irpaviのテントにおり、Callapaに家を持っていた。彼らは、災害の影響を受けた8地区の1つの、この住み慣れた場所に仮設住宅が建てられるのを待っている。

Callapa地区の代表、José Luis Quispeは「baja de Callapaの川の近くの一部では、仮設住宅を建てるための広く平なスペースがある」と述べた。

更に、現在テントのある場所に建築することを断った。被害者の集会のコンサルティングの場で拒否したと報告した。「南地区のIrpaviには顔なじみがいて、それが気になるんだ。彼らは違和感を覚え、我々はそれが分かっている。だから、Callapaに行きたいんだ。」と述べた。

市長の Revilla は問題があることを確認した。「他の場所では家を建てるための適切な土地を見つけるのが困難だ。我々はbaja de Irpavi地域で既に建築にとりかかる事のできる状態にあり、家を建てる最終的な2つの選択の評価に入っている。」と市役所は見解を示した。

生活状態

「市役所に急ぐように頼んでいる。みんな冬のこの時期に苦しんでいる。テントは、夜には氷のようで、昼はサウナのように耐え難い暑さだ」とQuispeは言った。この先、気候の変化が被害者たちの健康を損なわないことを願う。



La Alcaldía de La Paz no logra armar la totalidad de las casas prefabricadas para los afectados del megadeslizamiento por la falta de lotes. Las personas continúan viviendo en carpas de plástico desde febrero, pese al intenso frío de la época de invierno.

pese ・・・にもかかわらず
intenso 厳しい、激しい

El alcalde Luis Revilla reconoció que no se lograron instalar las estructuras necesarias “por falta de lugares expeditos”.

reconoció 認識した
estructuras 構造
expeditos 急送

Tras la emergencia, la comuna pretendía armar las casas antes de que se inicie el invierno y para cubrir la demanda de las personas damnificadas se necesitan 834 casas prefabricadas.

Tras 後で
comuna 自治体
pretendía 意図した

Hasta la fecha se consiguió el financiamiento de diversas instituciones para construir 654 y se espera la confirmación de otras 46. Entre ambos llegan a cubrir el 84% de la demanda, 700 casas.

Sin embargo, hasta la fecha se instalaron 194 viviendas y se encuentran en los campamentos de Zenobio López “A” y “B”, Kupini II y actualmente están en construcción en Villa Salomé.

Las dificultades se presentan en la zona Sur de La Paz. La mayoría de los damnificados que se encuentran en las carpas de Irpavi y Flor de Irpavi tenía sus viviendas en Callapa. Ellos esperan que las casas prefabricadas sean instaladas en su antiguo barrio, uno de los ocho que fueron afectados por la emergencia.

El dirigente de la zona de Callapa, José Luis Quispe, informó que “en la parte baja de Callapa, cerca al río, hay espacios grandes y planos para instalar las casas prefabricadas”.

Además, desestimó que las estructuras sean colocadas donde ahora se encuentran las carpas. Informó que hizo la consulta a los afectados en una asamblea y la rechazaron. “Hay vecinos de la zona Sur, de Irpavi, que se molestan. Se sienten incómodos y estamos conscientes de ello. Por eso queremos ir a Callapa”, dijo.

desestimó 解雇した、断った
estructuras 構造
colocadas 置かれた
conscientes 意識する、気にする

El alcalde Revilla confirmó que existen problemas. “En otros lugares tenemos dificultades para ubicar los terrenos adecuados donde instalar las casas. Estamos en la evaluación final de un par de alternativas en la zona baja de Irpavi para que ahí podamos instalar las casas que ya están listas para ser armadas”, precisó la autoridad.

terrenos 土地
adecuados 適切な

Condiciones de vida

“Pedimos a las autoridades que se apuren. La gente está sufriendo en esta época de invierno. Las carpas son heladeras por las noches y en el día saunas por el calor insoportable”, dijo Quispe. Espera que en el futuro estos cambios de clima no perjudiquen la salud de los afectados.

apuren 急ぐ
insoportable 耐え難い
perjudiquen 損なう

2011年6月29日水曜日

嘘をつく隊員、収入はおいくら?

ボランティアをしていてよく聞かれる質問、それは。。。

「給料いくら?」

途上国の人にとって、ボランティアで来ている我々が、どのように
生活しているのか知りたいところだ。ボランティアで来ているが
生活するのにはお金がいる、それは誰が出しているのか、いくら
出しているのか、興味があるようだ。

私は現在現地生活費として365ドルを毎月受け取っている。
それに加えて、住居費を230ドル受け取っている。
合計すると、日本円にして約5万円だ。

ラパスの平均収入が約200ドルと言われる中で、ボランティアとして
生活するお金として受け取るのが600ドルというのは隠しておきたい
事実である。私の職場はまだ高収入の部類なので、それほどでも
ないのだが、村落など、村で生活している人にとっては、相当の
収入格差になる。ラパス市内の先生などと比べても相当多い。

たくさんの隊員は自分がいくら貰っているのか正確には伝えない。
変な誤解を生んだりするのが怖いからである。積立金の事など
もってのほかである。

「こちらで生活するには十分のお金を日本政府から貰っている」
「毎月変わるのでよくわからない」
「収入は無い」

などと言ってごまかす。

でも、彼らはなんとなく分かっている。隊員たちがお金を持ってる事を。
メキシコ、アルゼンチン、チリ、そして国内のあちこちに苦も無く
1週間、2週間の旅をしている我々を見て。1食500円以上するお店に
気兼ねなく入れる我々を見て。

嘘はつかざるをえない、しかし、その度にどこか心にズキッとくる。

2011年6月28日火曜日

ラパス地すべり災害、現在の避難所

ラパスの雨季には土砂災害が付き物だ。これまで毎年、雨による地盤の
緩みで土砂災害が発生し、10世帯ほどの家族が家を失ってきた。
土砂崩れが起きるような場所には家を建ててはならないと、行政が指導して
いるのだが、そんな事には耳を貸さず、家が建てられている現状が今でもある。

2011年2月26日、これまでで最大の土砂崩れが発生した。影響を受けた家族
800、総勢6000人もの難民をだす大災害となった。ただ、幸いな事に死者は
1人もいなかった。

この事態に何か出来る事はないかと、JICAボリビア事務所に「支援活動」
について問い合わせたところ、JICAボリビアが何かをする事は無いとの
返答だった。ただ、個人的にボランティアが中心となって支援をする事は
問題ないので、やってもいいとの事で、何が出来るか考えてみた。

だが、考えてみても、この異国の地で、自分の活動を犠牲にせずに、
被災者のためにボランティアをするのはとても難しいと感じたので、
ありきたりではあるけれども、義援金を募り物資を買うことにした。
JICAボリビアにお願いして、現地職員や調整員、ボランティアに義援金の
お願いをしたところ、総額2000ドルが集まった。

この時、災害支援に当たっていた保健局に務めるボランティアがおり、
その職場を通して支援を行う事になった。最初は定期的に食料を購入し、
支援に当たっていたのだが、市の援助体制が整ってきたら食料は不要となり、
また別の支援を考える必要性が出てきた。

今回の支援活動で色々と学んだ。6000人もの避難者を出すような
災害では2000ドルというのは非常に少額で、ほとんど役に立たない。
これは自己満足の支援なのじゃないかと自問自答する事が多かった。
また、20箇所ほどある避難所のうち4箇所しか視野に入れられず、
平等とは程遠い支援となった。きっと皆が満足できるような支援の
仕方など存在しないのかもしれないが、支援者からお金を預かる
立場となった今回は、少々頭を悩ました。

災害から4ヶ月、また避難所に様子を見に行ってきた。前に訪れた時は、
テント生活だったが、少しずつ生活改善がされているようで、
木造の仮設住宅が建てられている所だった。ただ、木造といっても、
板一枚のプレハブ小屋のような感じで、とてもラパスの冬を過ごすには
寒すぎるだろうと思うような物だった。しかも、1つの仮設住宅に
2家族が入ってるそうで、まだまだこれからが大変なんだなと
感じずにはいられなかった。


仮設住宅。


がけ崩れの地域へはJICAから立ち入り禁止命令が出ており、
以下の撮影は同行してもらったボリビア人に頼んでお願いしました。

がけ崩れの中心から見て右


がけ崩れの中心から見て左


がけ崩れ中心から見て正面
よくわからないかもしれませんが、整地されている部分には
元々たくさんの家がありました。

2011年6月27日月曜日

遅れてきた旅人、3年ぶりの再会

待ちに待った、旅人がやってきた!

ボリビアに来てから数ヶ月して、ヨーロッパで知り合った友達から
メッセージが届いた。「南米をバッパーするよ」。

彼は私がモンテネグロで出会ったスペイン人で、それ以来Facebookで
時々チャットする仲になった。旅好きで年中どこかの国へ飛んで回っており、
いったいいつ仕事してるのかと不思議に思うこともしばしばある。

プランなしでモンテネグロ(ヨーロッパ旅行記)

出発地であるアルゼンチンに着いたと連絡があったのは7ヶ月前、
チリにブラジルにとフラフラしていた。そろそろ来るかと思えば、
南米滞在を長くするためにブラジルでウェイターのバイトを始め、
3ヶ月働いた後、やっとこさ昨日ボリビアにやってきた。

不思議なものだ。モンテネグロで会った人が、ラパスに立っている。
また同じ時間を共有している。

旅っていいね。


再会を祝ってインドカレーの店で食事。

2011年6月23日木曜日

5時間半!踊って踊って!グラン・ポデール!

6月18日はラパス最大の踊りの祭典、グラン・ポデールでした。
前にも書きましたが、ボリビアには様々な踊りが存在し、
それぞれ人気があります。私はその踊りの中でTINKUというのが
気に入ったので、このチームに入って踊ってきました。

TINKU
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF

実際の踊りのパレードではここに書いてある説明のようではなく、
それぞれのTINKUのチームが踊りのパターンを考えて、その踊りの
美しさを競います。

今年のエントリーは28番目。なかなかいい順番で12時半に踊りスタート。



基本的にどんどん前に行かそうと、運営者側はがんばるのだけれど
なんせ3万人もの踊り子がいるこのパレードは期待通りには進まない。
どん詰まりになると、いったん休憩する。



休憩中は基本的に何でもありで、地べたに座ったり、おしゃべりしたり、
ノリのいい観客を引きずり込んで一緒に踊ったり、ビール飲んだり。
写真も一緒に撮り放題。日本、例えば阿波踊りで踊ってるグループに
飛び込んで記念撮影なんかするときっと迷惑がられるのだろうけど、
ボリビアではへーき。アジア人がTINKUを踊るのは珍しい、と、
10回ぐらいは声をかけられて記念撮影しました。

まぁ、自分もミーハーなので、チームと一緒にパチリ。



ずっと踊り続けているともう時間の感覚が無くなっていき、
自分がいったいどの辺にいて、あとどのぐらいで終わるのかという事を
だんだん考えなくなっていく。

8kmという距離を踊り終えたのは午後6時。スタートから5時間半!
「をー、終わったー」というのもつかの間、今度は皆で飲み始める。
終了地点の先にはずらりと屋台が並び、ほとんどのチームがここで
とりあえず一杯やる。これがまた長いんだな。

自分は2時間半飲んだところでGive up!
ここでの飲み方は、酒を持っている人が、酒を注いで皆に渡していく。
渡されたら断らない。飲む。5分-10分に1回自分の番が回ってくる。
弱い奴はつぶれていく。でも、最初っから飲まない、飲めない人には
無理やりは飲ませない。なので、酒好きはとりあえず潰れるまで飲む。
一気飲みはしないので、いきなり気分が悪くなる事はない。

この夜はかなりいい気分で家に帰り、すぐに寝ました。

2011年6月22日水曜日

海外死亡邦人647人の1人

Yahoo!のトップページを見ている時にふと
「海外死亡邦人647人で過去最多」が目に止まりました。

海外死亡邦人647人で過去最高=高齢者の渡航増要因―外務省統計
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110622-00000123-jij-pol

JICAは一部を除き、国内のJICA関係者に起きた窃盗や事件などについて、
その事件の内容を知らせ注意喚起をしてくれます。他国については、
渡航可能な国の範囲で、渡航禁止になるような事件が起きた際には、
知らせてくれます。

ですが、渡航範囲外の国については情報は流れてきません。

どこかの国で一人のボランティアが亡くなりました。理由はわかりません。
どこの国で、どの隊次で、どの職種で、どんなボランティアだったのか、
わかりません。ただ、風の噂で聞きました。

隊次も違い、顔も知らず、全くの他人ですが、青年海外協力隊に
参加した同じ仲間です。通常の組織なら、仲間が亡くなった時には
何らかの通知が来るとは思いますが、JICAは知らせません。
ニュースにある海外死亡邦人647人の内1人は協力隊の仲間です。
噂で聞かなければ、この事を知らずに協力隊の活動を終えるのだと思うと、
少し悲しくなります。

協力隊で亡くなる方のほとんどは交通事故によるものです。
途上国のほとんどの車は古く、10年、20年の昔の物が普通に走っています。
そしてだいたい交通マナーはとても酷く、自分を優先させようとします。
スピードも標識ではなく、感覚で大丈夫というところまで出します。
都市間の長距離の道はまっすぐな事が多く、事故は死亡につながります。

そういう所にボランティアは望んで来て活動をしています。
死ぬ確率は日本でいた時よりも格段に上がることになります。
それなりに日本を出るときには覚悟をしてくるのですが、
やはり誰かの訃報を聞くのは悲しいものです。

異国の地にて志半ばで亡くなられたボランティアのご冥福をお祈りします。

2011年6月21日火曜日

アイマラの新年にティワナクへ

アイマラとはアンデス地域に住む先住民族でインディオの一部族。アイマラ語を話す。
ボリビアではかなり大きな意味を持ちます。

アイマラの新年は6月21日、プレ・インカ期の遺跡であるティワナク遺跡へ行ってきました。
この日には本当にたくさんのボリビア人がこの遺跡へ日の出の光を浴びるためにやってきます。
私も同じ経験をしようと、ボリビア人に混じりました。

アイマラの新年に関するWikipedia (スペイン語)
新年の部分を抜粋して翻訳してみました。
http://es.wikipedia.org/wiki/Aimara#A.C3.B1o_nuevo_aimara

アイマラの新年
アイマラの新年を6月21日としたり、正確な年数の計算をどのようにするのか(例えば2011年はアイマラ歴で5519年(五千五百十九年))を決める歴史的背景は未だに存在しない。この日(6月21日)は冬至と一致し、ケチュアの村のInti Raymiで遠い昔から行われている祭りの日でもある。
2009年より、6月21日はボリビアで「揺るぎない国民の休日」である。

Año nuevo aimara
Aun no existen fundamentos históricos para determinar que el año aymara se celebra el 21 de junio o para establecer un cómputo exacto del año que se cumple (por ejemplo, en el 2011 se llegaría al año 5519 (cinco mil quinientos diecinueve) del calendario aimara); tal fecha (21 de junio) coincide con el solsticio de invierno, el cual fue festejado ancestralmente por el pueblo quechua en la fiesta del Inti Raymi.
A partir del año 2009, el día 21 de junio es «feriado nacional inamovible» en Bolivia.


アイマラ新年に関する2009年の記事(日本語)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2613612/4291032


夜明け前、太陽の門。この太陽の門から光を浴びるといいらしい。
しかし、人がいっぱい過ぎてそんな好条件の場所へはいけず。
写真の下には座り込んで寝てる人多数。


うっすら明るく。気がつくと、門の正面から太陽が上がるのではない様子。
約45°左側を中心的に明るくなってきた。


明るくなってくると皆が手をかざし始めた。


気がつくと丘の上にも人がいっぱい。めっちゃいっぱい。


私も光のエネルギーを頂きました。